いまから ここから

趣味のこと・家族のこと・ワンコのこと、
日々の生活を思いつくままに綴っていきたいと思います。

初・従兄弟会

2012年09月25日 | 身内

主人の父親方の従兄弟会出席のため先週の18日,19日の二日間、岡山へ行って来ました。

7月下旬に本家の従兄弟さんから「従兄弟会開催のご案内」との封書が届きました

初めての従兄弟会開催されるとの事で案内書と従兄弟会メンバーの名簿が入っていて

従兄弟会メンバーは62歳から78歳で23名がいらしているとのこと。

案内書には多数参加の呼びかけが書かれてていました

  

この封書が届いた時から、主人に初めての従兄弟会なので是非参加させて貰ったらと話したのですが

絶対参加しないと言い張って聞き入れませんでした

仕方ないので締め切りの迫った9月始めに欠席の通知を送りました。

欠席通知を送って間もない頃に従兄弟さんや兄弟から誘いの電話が頻繁にかかってきました。 

ところがどうでしょう。 誰が何度説得しても聞かなかった主人が自分の弟からの電話で即OKの返事です

 

一度欠席通知出しているけれど夫婦の参加可と言う事で主人の弟嫁と私も参加する事になりました。

昨年の初めての兄弟旅行同様7人で従兄弟会に行く事が決定。

従兄弟会会場は主人の父方の本家の近くということで大阪からでも結構遠いので兄弟で話し合った結果

交通の便を考えて倉敷で一泊し従兄弟会当日に倉敷から会場に直接行く事にしました。

私は弟が倉敷に住んでいるけれど主人の兄弟達との行動なので今回は連絡せずです。

 

従兄弟会に行く予定の2日前に義弟嫁が体調が悪くなり行けなくなったと連絡があったので

主人の5人兄弟と私の6人で18日に新大阪駅で全員待ち合わせ倉敷に行きました

昼過ぎに倉敷に到着、ホテルのチェックインは13時なのでまずは倉敷駅前で食事しホテルに向いました。

ホテルは美観地区内にあるので大原美術舘の前を通って、川舟流しを見ながらなので充分観光になっています。

   

初々しくて素敵な花婿・花嫁さん、末永くお幸せに

主人の5人兄弟です。                             私達夫婦

  

アイビースクエア(ホテルに行く敷地内)です。

  

 アイビー学館                                      ホテルの入り口

  

夕食までの間、ホテルに荷物を置いて美観地区を6人で散策することに。

美観地区内に重要文化財の井上家住宅がありました

    

私の弟夫婦は倉敷在住なので美観地区は何度も来ているのですが、この井上家住宅のことは知らなかったです

主人の兄弟も倉敷には何回か来ているとの事と、この日ホテルに行くまでも通っているので軽く散策。

JR倉敷駅前に気がつかなかった花時計がありました。  花時計、以前からあったかしら

次は以前あったチボリ公園跡に出来た「三井アウトレット倉敷」へ行って

ウインドウショッピングやお茶して過ごしホテルに戻りました。

お風呂に入った後は楽しみの夕食です              

  

朝食はバイキング                               早めのチェックアウトです。

  

 

倉敷駅前から1時間にたった1本出ているバスで50分程、終点まで乗り、

まだそこからタクシーで20分位行ったところで従兄弟会の会場〇〇料亭に着きました。

従兄弟会会場は岡山県内だけど電車ではもっと遠回りになるらしく遠い遠いところにありました。

従兄弟会に行くバスの中からの車窓です。  のどかな田園風景が魅力でした。

  

南は長崎県島原、北は神奈川県相模原、名古屋からと皆さん色んな地方から集まっています。

会場の料亭に着くと写真を写すために写真館の方が待ってくれていました。

全員、約束の時間には到着。 参加者全員揃ったところで記念写真撮影です

私は度胸を出してカメラマンの助手でいらした女の人に私のデジカメで撮って貰うのを頼みました。

従兄弟会会場の料亭の前で参加者22名です。             料亭のお庭

          

今回の従兄弟会のお世話、幹事、司会をして下さったKさん。 

立ってられる従兄弟さんが式進行をして下さいました。         同じく従兄弟会のお世話して下さった本家の従兄弟Sさん。

       

本家の従兄弟さんが初・従兄弟会の会場が何故ここになったかの経緯を話されていました。

「〇〇家の出発の原点がここからと言う意味で今回は本家に近いこの料亭にさせて貰いました」の言葉に皆、納得です。

初回の従兄弟会の参加者の中で主人が一番年長者と言う事で

乾杯の音頭を頼まれて乾杯するまでの軽い挨拶しているところです。    

 

乾杯の音頭が済んだ後、次々料理が運ばれてきました。 

             

             

主人の父親の兄弟は7男1女の8人兄弟で8番目に、やっと女の子が生まれたとのことでした。

宴も酣(たけなわ)の頃になって順番に自己紹介です。

何番目の子供であるとか、私の様に何番目の子の配偶者であるとか、従兄弟の子供さんやお孫さんを

連れだっての参加者の方もいました。

(ちなみに主人の父親は5男で一人だけ早くから大阪に出ていたとのことです。)

皆さん、自己紹介の時に今回の従兄弟会開催が本当に嬉しいと口々に言ってられました

自己紹介が終わって、少しして本家の従兄弟さんが先祖の系図を持って来られて自分達のルーツ

みんなで拝見しているところです

   

  

今回のお世話、幹事、司会をして下さった従兄弟さんのご主人から皆さんにお土産の差し入れです

                        

本家の娘さんでいらした従兄弟さんが主人が疎開していた時に

“はったい粉”が好きだったのが思い出されると、わざわざ買って持ってきてくれました    

     

参加者一人、一人に帰りのお弁当まで用意してくれていて、これでお開きです。

勿論、次回の従兄弟会も楽しみと約束していました。

全員が本当に大満足してこちらで名残り惜しく解散です 

私達は少しの時間、本家に寄りました

私は3回しか本家に行った事はなかったけれど本家の横の川の流れの音が脳裏に焼きついています。

   

 帰りは本家から新倉敷まで車で送って貰いました。

私は勿論、他の従兄弟さん達や、その配偶者の人、従兄弟のお子さんやお孫さんと

初対面の方が多かったようです。

親同士が兄弟だったことで、すぐ意気投合し和やかに和気藹々と楽しい時間を過ごすことが出来ました。

どの人も従兄弟会を企画、開催してくれお世話して下さった方々に感謝していました

従兄弟会に主人が参加した事で私まで参加できて沢山の従兄弟さんやその身内の方々と

会える事が出来、楽しい時間を過ごせたこと本当に嬉しく思いました。

主人が幸せそうにしていたことは言うまでもありません

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

   

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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孫守りと娘夫婦宅の引越し

2012年09月17日 | 家族

先々週の8日は孫守り、そして先週の13日は娘夫婦宅の引越しと2週続けて娘の手伝いに出かけていました。

2週間前の土曜日は娘の年に1度の定期健診日でした。

婿の休みに合わせ数ヶ月前に予約していたのに、婿が抜けられない接待ゴルフが入ったとの事で

娘が検査する間の孫守りをしてほしいと頼まれました。

娘が検査してもらう病院の近くの喫茶店でお茶しながら孫守りです

しばらくは大人しくしていたけれど後、ぐずりだしたので私はベビーカーを押しながらKくんのご機嫌取りです

    

娘の健診後、娘達が結婚以来住んでいた家を次の週には引っ越すので名残り惜しさもあって寄る事にしました

家に着いてからの孫Kくんはとてもやり易くよく遊んでいました

 

この日は婿がゴルフから帰って来てから少しして外食も兼ねて娘ファミリーに駅まで送って貰い帰路に

 

そして次の週の13日(先週のこと)娘夫婦宅の引越しの日なので手伝いに。

婿は荷物出すかかりの為そのまま居残り、

娘は転居先で荷物の配置を指示するかかりと分担していました。

娘宅の新居を知らない私と娘とが新居へ一緒に移動との事なので

早めに娘宅へ到着するよう出かけました  

着くと引越し業者の車が停まっていて荷物が車の中に運ばれているところでした

娘の家に行くと子供が小さいので荷造り一切頼んでいたというダンボールが山ほど詰まれていました

私が着いて間もなく娘は孫を抱っこ紐で抱いて私の来るのを待っていたらしく、すぐ新居の方に出発です。

タクシーの中で孫はキョトンとしています。      娘達の新居、これからのkくん達ファミリーの住まいなんだよ

                                              

私達が引越し先に着いてすぐのガラーンとした部屋です

すぐに引越し屋さんが着いて荷物を入れるための準備にかかりだしました

       

孫のKくん、ほとんどお利口にしていました。(私はこの日も孫守り役)

 

引越し業者の社員さん、汗をかきながら一生懸命働いている姿にどの仕事も大変だと思いました

引越し業者の方がカーテンまで付けてくれていたのをパチリ     壁に貼っていた青いシートの様な物を外して最後の仕上げです。 

       

引越し業者の人、帰られて間もなく婿もこっちに帰って来ました。

各部屋は荷造りされたままのダンボールが山盛りです

  

     

      

   

私は娘の所に泊まって荷物の整理の手伝いをしたいところですが予定が詰まっていて

どうしても帰らなくてはいけなかったので後ろ髪引かれる思いだけど帰ることに。

それでも2週続けて行った私に婿も娘も感謝してくれていました。

前の週と同じく私を送りがてら夕食を外でと雰囲気のいい中華料理店に入りました。

注文した料理は3人とも簡単な物ばかりでしたが婿と私はビールも飲みました 

ここのお店の味はとても美味しかったので娘達常連になる可能性大です。

食事済ませしばらくはその辺りの店をウロチョロし最寄の駅まで送ってもらいました。

「今度はおじいちゃんと来るね」と孫に話しかけ娘ファミリーとバイバイです

あの山盛りのダンボールの片付け、ベビーを抱えて娘夫婦大変だろうと

その事が気になるけれど後に用事が詰まっていたのでごめんね

手伝わず悪く思っているよ。

引越しは心機一転の気持ちにもなるけれど荷物がすっきり片付いて落ち着く日が待ちどうしいね。

まぁ 後はボツボツ片付ければいいよね    

 

とブログ更新しょうと思った先ほど娘から携帯にメールが入りました。

“もう ほとんど片付け終わったよ ~~~” 驚きです。

婿も今日まで休みなので二人で頑張ったみたいです 

 

       番外編    敬老の日

今日は敬老の日、老人と言われる年齢には達しているものの今まで意識した事が無かった私達へ

孫Kくんから初めての「敬老の日」のプレゼントがたった今、届きました。

娘夫婦が初めて孫を持った私達にKくんの代理でプレゼント贈ってくれたこと、とっても嬉しいよ

Kくん有難う。 Kくんのお父さん、お母さん有難うね     

   

           メッセージも入っていました。

携帯メールの中ではこの事に全然触れていなかったのでサプライズです。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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不思議発見!(関西)

2012年09月11日 | 日記

我が家の購読している読売新聞の中に、週1度のわりで入っているある日の“ 読売ファミリー” で

とても興味深く引き付けられた内容の記事がありました。

今回は私が関心を持ったその記事をブログに掲載したいと思います

 

それは不思議発見!(関西)ってタイトルの書き出しで

「〇回生」って言わへんの?(言わないの?)と続いていました。

皆さんもたぶん「へぇ~!」と思われるのでは

そこに掲載されていた全文を載せたいと思います。

 

関西育ちの人は、大学生は「1回生」と呼ぶのが当然だと思っていました。

しかし、関東圏では「1年生」と言い、それが全国的に多いそうです。

東西で違う理由を探ってみると、その原因は日本で大学が設立された100年以上前に遡(さかのぼ)るようです。

呼び名 なぜ大学だけ

まずは現役大学生に確認するため関西学院大学(西宮)のキャンバスへ。

A の学生にこのことを問うてみると

「大学に入ったら先生も生徒も使っていたし、(回生)の呼び方には何の疑問もありませんでした。

関西だけと聞いて驚きです。」と話し、

B の学生は関東の友達に「(回生)って何?」と不思議がられたそうです

関東は「年生」が主流

大阪大学(吹田市)の広報に問い合わせると

「学生は日常生活では(回生)を使うことが多いようです」というものの、

正式な文書では(年生)を使っており、記録もなく詳細は分らないとのこと。

 

そこで関西の大学で最も古い京都大学に向いました。

大学が発行する「京大広報」の2011年12月号をみると、(回生)の表記が使われています。

日本近現代史に詳しい同大大学文書館の西山伸准教授(48)は

「一般的に関西の大学では(回生)を使うことが多く、呼び方のルーツをたどると、

東京大学と京都大学の教育システムの違いに原因があるかもしれません」と指摘します。

 

京大の東大への対抗意識か

1877年、日本で最初に設立された東京大学では国家の官僚を育てるという明確な役割を担っていました。

そのため、西洋の文明に追いつくために知識を詰め込まなければならず、

教育内容は相当厳しいものでした。

フランスを手本にした大学が「学年制」です。

学年の区分を厳密にし、学年ごとに履修する科目を決め、すべて同格しないと進級できな仕組みです。

試験は大変難しく、その上、1科目を落とすだけでその学年全ての科目を再履修しなければならず、

「厳しすぎる」という声があったほど。

 

その20年後、全国で2番目に設立されたのが京都大学です。

関西初の大学ということもあり、東京大学との違いを明確にするため、

初代総長の木下広次氏は学年制を廃止し、卒業までに一定の科目を

取ればよいという「科目制」を採用しました。

これは当時、学問の中心だったドイツのシステムで少人数のゼミなどを設けて

「研究・自由・学生の個性」を重視し、東大と異なるカラーを打ち出しました。

「この学年制と科目制の違いが、学年の呼び方の違いとなったかもしれません」と西山准教授。

東大は学年を意識した言葉を導入したので「1年生」「2年生」。

京大は入ってから1年間のサイクルを回数で数え、

「2回目の学生を2回生という言葉を使ったのでは」と推測します。

関西の高等教育機関の教員に京大出身者が多かったということもあり、

次第に関西を中心に広まったのではないかとみられます。

とはいえ、(回生)は俗称で、誰がいつから使い始めたかに関する文献はなく、

いつのまにか定着していったというのが真相のようです。

 

最古の記録は87年前

1925年12月15日付け「京都帝国大学新聞」の記事中の「純哲三回生」「英文科一回生」という

表記が学内に残る最も古い史料であることから、実際はそれ以前に使われていたと思われます。

西山准教授は「近畿以外では島根、岡山、愛媛、熊本県内の大学でも(回生)を

使っていますが、関西でも使っていない大学もあります。

今後、時代とともに使わなくなっていくかも知れませんね」と話していました。

 

                         

 

 以上のことから思ってもいなかった関東と関西の大学生の学年の呼び方に違いがあったとは

この “読売ファミリー” の中の記事で初めて知りました

 

 

                           

     おまけに我が家のゴーヤを。

     8月28日の収穫                  9月10日の(昨日)収穫            あと2個ゴーヤが育っています。    

 

 

 

 

 

 

 

 


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充実満載の「夏合宿オフ会」

2012年09月04日 | ブログ関係

今年も ラッシーママさん が8月31日、9月1日の一泊二日の 「夏合宿」 に誘って下さいました。

ラッシーママさんの厚意でセカンドハウス伊東の家を提供、企画を考えて下さっての「夏合宿」です。

一昨年 に初参加させて貰い、 昨年 は2度目の参加になるはずだったのに苦い不参加

今年はお誘いの連絡を貰ってから作戦を練りました。

息子が協力してくれるとの事で実家に来て貰い主人(父親)の守を頼むことにしました。

私は安心して楽しみの「夏合宿」参加出来ることに。

一歩家を出た途端、もう嬉しさいっぱいで出発

参加者は銀河さん、だんだんさん、ビオラさん、nao♪さん、そして私です。

全員、伊東で待ち合わせです。

伊東の駅にはラッシーママさんが車で迎えに来てくれていました。

nao♪さん、だんだんさんとは初対面です。

熱海に着いた頃からお二人の方との対面にドキドキし出しましたが、ブログ友の不思議さ

初対面の挨拶が済むとすぐに旧知の仲のように溶け込むことが出来ました

正午頃に待ち合わせだったのでまずはラッシーパパさんが席取りのため

先に待っていてくれた「ふしみ食堂」で昼食です

お店の前には海が見えています。

伊豆と言えば海が傍にあるのがいいですね  綺麗でした。

昼食後はラッシーママさんご夫妻の伊東のお家に直行です

私とパパさん以外は、この日の第一予定のスーパー銭湯

皆さんがお風呂に行っている間、「昼寝してていいよ」のお言葉に甘えて

少しの間、昼寝をさせて貰いました

昼寝から目が覚めた後ラッシー家の近くから見える伊豆の景色を写真に撮りました。

お風呂済んだ皆さんと合流し次は予定のカラオケへ繰り出しました

ラッシーパパさんはカラオケが趣味というだけあって歌は、もちろんお上手なんですが、

左手に力が入ってグイッグイッと動かしながら大熱唱で歌っている姿に

全員もノリノリでパパさんの真似をして左手をグイッグイッとし、お腹抱えて大笑いです

 

全員でも合唱、とっても楽しく、数曲一緒に歌いました

「合唱団の名前を考えなくちゃ~」なんていいながら 

カラオケで2,3時間遊んだ後、伊東の家に戻り夕食です

    

ラッシーママさんのお姉さんが作って送って下さった ちまき とっても美味しかったです

夕食後、暫くは楽しくおしゃべりタイム。

そして翌日に用事のあるビオラさんとnao♪さんは帰られるとの事で

又の会える日を楽しみに名残り惜しくお別れしました

一日目だけでもご一緒できて本当に良かったです。

日帰り組みの人が帰られた後、外からお家を撮らして貰いました。        夜の外景も

   

それからお泊り組み達はラッシーママさんに 折り紙と猫ちゃんバサミ を伝授して貰いました

手の早い銀河さんは “ひまわり”  も作られていました。

 

この日、寝たのは夜中の1時過ぎ楽しい一日目を堪能して眠りに尽きました

 

二日目はハイキングの計画立ててくれていました。

ハイキング初めての私のタメにとだんだんさんが軽いコースを考えてくれたとのことです。

朝食にピザとかサラダや銀河さん手作りのパンなど用意してくれていたのに写真撮るの忘れていました。

ハイキング用にはおにぎりやゆで卵など、持って行くものを準備してくれて

午前10時過ぎにハイキングに出発です

未経験の私は足でまといにならないか心配だったけれど 初ハイキング楽しみでもありました。

ハイキングの途中までは車で行く事に、宇佐美駅が見えました。

宇佐美は童謡 ♪ みかんの花咲く丘 ♪ の発祥の地と言う事で歌碑がありました。

私達年代には懐かしい曲です                 

  

車で走っていると世界平和大観音(うさみ観音)が見えたので寄る事に。

                                                             御身丈50メートルらしいです。

          

日本一の七福神と書かれていた大きな七福神が並んでいました。

それぞれ触るといい事があると書いていたので順に触りました。 

    ご利益ありますように                                全員で記念写真を

       

船の形をしたレストラン

      

うさみ観音を見学した後はいよいよハイキングです。

これから行く巣雲山ハイキングコースの入り口

     

ラッシーパパさんが先頭、続いてママさん、銀河さん、私、一番後ろはだんだんさんです

ラッシーパパさんは勿論軽やかな足取りですが、ラッシーママさんもスイスイと前を歩いていました。

新米の私、 ところどころ恐々歩いているのを前からは銀河さんが、後ろ側ではだんだんさんが気にかけてくれ、

お二人がその時に応じて私の手を握って誘導してくれたことで

何の不安もなくハイキング出来た事は有り難かったです

だんだんさんの話では今回のコースは登りあり下りあり、平らな道ありで初心者にはいいコースらしいです。

そうこうしているうちに山頂に着きました。

標高580・5mと書いてありました。  低い山だけど私はヤッターて気分です

    

女性陣4人をラッシーパパに写真を撮っていただきました。      山頂に着いた頃はもやで周囲はあまり見えません。

    

楽しみの昼食、おにぎりがとっても美味しかったです

もやで見えなかった山頂近辺、食事をしている間にいい天気になってきて目の前に 富士山 が見えて来ました。

写真でははっきりと見えないですが肉眼ではしっかり見えて歓声をあげました

         矢印が富士山です。                         他の山々もよく見えてきました。

   

 下山途中ではこんな綺麗な景色も見えることが出来ました。

ハイキング後、伊東のラッシーママさん家に帰宅、お風呂に入ったりビールを飲んだりして又 休憩

私が熱海から乗る新幹線の時間を計算して帰りの時間を銀河さんもだんだんさんも合わせてくれました。

帰る時間になったので、ラッシーパパさんとはここでお別れして

ラッシーママさんに伊東駅まで送って貰いました。

ラッシーママさんご夫妻の行き届いた気配り、それでいて私達に実家に帰ったような

くつろいだ気分にさせて下さり、お二人には感謝、感謝です

ラッシーママさんの人の良さもありますが何と言ってもこうした機会を作って頂けるのは

ラッシーパパさんの包容力のお陰だと思います

今回ご一緒したビオラさん、nao♪さん、銀河さん、ハイキングの事では

特にお世話になっただんだんさん皆さん本当にお会い出来て良かったです

充実満載「夏合宿オフ会」楽しく過ごせて爽快な気持ちで帰路に着く事が出来ました

いい思い出ができました。 有難うございました

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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