いまから ここから

趣味のこと・家族のこと・ワンコのこと、
日々の生活を思いつくままに綴っていきたいと思います。

姉妹って、いいね。

2024年06月30日 | 身内

先日の26日(水曜日)に京都在住の妹が泊りがけで来ました。

妹が我が家に来るのは主人の三回忌以来で6年振りです。

昨年11月に妹夫婦と倉敷へ旅行して後は、お互い都合がつかず今回やっと会えることになりました。

妹は私が今の所に越して来てから一人で我が家に来たことがないので我が家最寄りの駅ではなく

JR在来線の新大阪駅の東改札口で待ち合わせることにしました

 

もう直ぐ新大阪駅の東改札口と思っていた場所に立派な文楽人形が飾ってありました 

  

新大阪東改札口に約束の時間より早く着いたので暫く待っていると妹が到着です。

  ネットからお借りしました。

私は外食するつもりでいたけれど妹は家の方がいいとの事で我が家に直行です

 

妹は最初2泊位出来ると言っていたけれど義弟に「2泊は困る」と言われたらしくて(笑)1泊になりました

誰にも気兼ねのいらない独り暮らしなので妹が我が家に着いてからは2人でお喋りしまくりです。

私が写真を写そうとすると、どうしても嫌がるので泊まった日はこの写真1枚のみ。

 

 

私が82才、妹が80才になっているので姉妹2人とも完全にいい歳になっています。

今2人とも元気な方だけど、「もう私達は人生の最終章に入っているんやね」と自覚しつつも

姉妹2人ともイキイキ前向いてが心情なので暗い話はありません。

姉妹ならではの話や老いの話や子供の頃の話等、ともかく共通の話題は尽きなくて、

気がつけば真夜中の2時なので寝ることにしました

 

2人とも朝はゆっくりとお目覚め

朝食済んでから趣味の話になり私の趣味の一つの手編みのセーターが欲しいと妹が言ったので

出来て間がないセーター(左端)以外に妹が欲しいと言う合物、夏物、冬物のセーターをあげました

             

             

妹は「ホンマにエエの?」と何度も私に聞き返していたので「ホンマにエエで」に

妹は喜んで荷造りし宅急便で送りました。

 

荷物を送ってからも2人で楽しい時間を過ごしました

 

帰りは我が家最寄りの駅近くの中華店で食事をした時に、ようやく妹と私1枚づつ

写真を写すことが出来ました。

   

妹も私も姉妹の良さを再認識、これからは出来る限りもつと機会を見つけて会おうねと約束したのです

我が家の最寄りの駅から帰り方が分かったのでと一人で帰って行きました

 

娘のところへ行かなくなってから又”元気メール”が再開しています。

”元気メール”の再開後はスタンプだけでOKとのことでスタンプだけの日が多いです

妹が来た26日〈水曜日)は妹と話し込んで”元気メール”のことスッカリ忘れていて

妹が帰る日(木曜日)に気が付いて娘に”元気メール”を送りました。

 

娘にとって叔母が来ていたことは伝えずなので、今回のブログで知ることでしょう。

 

姉妹二人で話していたことだけど本当に姉妹って、いいね。と

何度も2人とも言いあっていました。

妹よ来てくれて有難う 義弟よ妹を来させてくれて有難う

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手芸仲間と明石へ

2024年06月20日 | レジャー

先週の水曜日(12日)に手芸仲間とバスツアーで明石へ行って来ました。

 

先ずは明石公園に行きました

明石公園内を歩いていると間もなくお城特有の石垣に気づきました。

手芸仲間の何方も知らなかったのですが、近くにいらした方に教えて貰いそこが明石城と知ったのです

私は勉強不足で明石にお城が有るとは今回まで全く知らなかったです。

 

家に帰ってから早速ネットで検索しました

検索によると明石城は1619年築城で国指定重要文化財です。

明石城の特徴は美しい三重櫓 全国に現存する三重櫓はたったの12基のみで、

そのうち2基が明石城にあります。

本丸の南東端にある櫓は「巽櫓(たつみやぐら)」と呼ばれ、かって明石の地にあった

船上城から移築されたと言われています。

反対側に位置するのが「坤櫓(ひつじさるやぐら)」こちらは現在の京都府伏見区伏見から移築されました。

この櫓は場内で最大の三重櫓です。

天守の代わりとして使用されていたそうです。

西国の抑えとして築かれた明石城は姫路城の補佐役を担う存在だったようです。

2基の櫓は明石城のシンボルの木々は伐採されて見やすくなったそうです。

 

徳川家康のひ孫 小笠原忠政築城の明石城を中心としたのが明石公園だそうです

 

ついでに天守閣がない理由は?と調べてみたところ

初代城主・小笠原忠政の一代記に「天守ハ終ニ不甲候」

(天守は結局 立てなかった)という文が残っているのみです。  

 明石城の前で記念の写真です

    

明石城の前に変わった木を見つけて仲間はスマホで写真を写していました

 

 

「和楽心」という所で昼食です

手芸仲間、私以外は誰も飲まないので私も飲みません。   飾ってある蛸を撫でているKさんをパチリ

  

食事が済んで次は明石、魚棚という所に行きました。

 

海の幸が豊富な商店街、魚棚(うおんだな)は古くから賑わう町自慢のスポットらしいです

私達のイメージからすると明石と言えば蛸が直ぐ目に浮かぶし実際、商店街の店々には

何処も蛸がいっぱいだったのに私は1枚も写真写してなかったわ

 

そして最後は菊正宗記念館見学でした。

  

    

入館して説明を受けてからお酒の試飲がありました

仲間も私もレモン酒という薄い味のお酒を試飲したのですが、ジュースの味の様な軽いお酒でも

酔っぱらった仲間に私は笑ってはいけないけれど笑ってしまいました

      

菊正宗、記念館内の模様です。                外の庭に水車が有りました。

     

手芸仲間とバスツアーを楽しんで帰路に着きました

 

2015年6月26に越してきた私は早いもので、もう直ぐこの地に来て満9年になります。

今のマンションで手芸サークルがあったことは、私にとって幸運だったと思います

最初は「借りて来た猫」状態で暫くは皆さんの中に入ることは出来なかったですが

今では親しい仲間が出来て最近ではバスツアーなど誘って貰っています。

仲間に感謝です 

 最近、仕上がったサマーセーター

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘夫婦の誕生日祝い

2024年06月09日 | 日記

娘夫婦の誕生日会がありました。

娘は5月28日生まれ婿は6月7日生まれと紫陽花の花が美しい頃に二人の誕生日です

散歩中の紫陽花とワンちゃんとご近所で咲いている紫陽花を写してみました。

     

     

 

子供が欲しくて欲しくての思いと裏腹に中々授からず長年いました

7年目にして娘を身ごもった時は私達夫婦は勿論大喜び、周囲の皆がとても喜んでくれたのです。

短歌を趣味にしていた母の喜び様は今でも私の脳裏に焼き付いています。

母、自筆の短歌に凄く年月が経った今も母の気持ちの有難さに涙が出ます

 

 

そうして待ちに待って生まれた娘が47歳(もう歳言われるの嫌と思うけれど)になりました。

「娘の誕生日」は「私が母になった誕生日でもあるよね」とフト思いました

 

娘の誕生日会が5月終わりの週末にありました。

娘達の誕生日は2人の誕生日が日は近くても大抵別々にあります。

みんなで乾杯です。 誕生日おめでとうと乾杯

 

家が近いこともあって、こうした祝い事があると呼んで貰っています

    

私は何時もグラス一杯のビールが定番 焼肉もビールも美味しく頂きました。

 

頻繁に行っていた娘の家へ最近は滅多に行かないのでKくんとは

中学入学式以来に会いました。

少し見ない内に又 大きくなったみたいです

 久し振りに背比べしました。

娘達とは現地解散しました

 

そして昨日は婿の誕生日会がありました

婿の誕生日は昭和45年6月7日生まれなので覚え易く1970年生まれなので、

現在の年齢も直ぐ計算出来ます

娘の誕生日会は食道園で、婿はKollaBoでと2軒の焼き肉店巡りです

               誕生日おめでとうの乾杯

  

   

   

焼肉店もお店が違ったら又 違った味がして2軒ともお気に入りのお店

美味しく楽しく過ごす事が出来ました

家が近くても娘家族も私も忙しくて会う機会が少ないので、娘から声がかかると

嬉しくて喜んで行きます。

 

有難うね。感謝しているよ

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする