いまから ここから

趣味のこと・家族のこと・ワンコのこと、
日々の生活を思いつくままに綴っていきたいと思います。

近居住まいだからこそ

2024年07月20日 | 日記

 

娘の家と我が家は道路を隔てて徒歩12分位の距離の住まいです。

市は違うけれど、いわゆる親子近居住まいなので何かと便利で安心です

 

娘が書道教室を開くまでは近居住まいと言えども娘からして親のことが気になるので

「元気メール」を入れて欲しいと要望があってメールを入れていました

娘が教室を開いてからは孫のKくんが小学2年生とまだ小さかったので私が娘の家へ

留守番に行く様(週に3回)になり

Kくんが小学校卒業するまで留守番は続き「元気メール」は自然消滅していたのです

 

それが孫のKくんが今年中学生になったことで娘の家の留守番は無くなりました。

娘の家へ行かなくなってから近居と言えども娘も私も忙しくお互いの様子を

把握していない状態だったのです

娘は独り住まいの私の事が、やはり気になるのでとのことで又 娘から要望あって

スタンプだけでもいいのでと「元気メール」が復活しました

 

スタンプ入れるだけでも安否確認になるので良かったと私自身も思っています

娘からの返信のスタンプは色々種類があって今では楽しみの一つでもあります

   

   

     

 

時にはワンちゃんのトリミングの報告書が送られて来たりします。

 ワンちゃん可愛い

私も娘も金曜日が空いている日なんだけど娘も私も、その空いている日に予定を入れていたりするので

最近は近居と言えども滅多に会わないのです。

 

昨日、久し振りに娘の家に行ったところ娘が家にいました

  

娘がいない時のワンちゃんは私に懐いてくるのだけど娘が家にいると娘にベッタリで私に寄りつきません。

残念ながら親(?)に勝てないと思わされました

 

娘が婿から預かっていると大相撲名古屋場所の番付表をくれました

私はオフ会でも会っているブログ仲間の影響で東前頭4枚目の翔猿の大ファンなんです。

そのことを知っている婿は今場所の番付表を貰ったので「義母さんにあげて」とのことで私が頂くことに。 嬉しいわ

 

 

折角なので額に入れて飾っています。 

近居住まいだからこそだわ   婿殿有難うね

 

 


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2人でカラオケ

2024年07月10日 | 友人

 

先週の金曜日(5日)にグランドゴルフで親しくなったNさんと2人でカラオケに行って来ました。

 

カラオケに行く前にNさんは郵便局に用があるのでと郵便局へ

私は新紙幣の交換に銀行へ行き  途中で折ち合うことにしました。

 

私は好奇心旺盛で色々な事に興味を持っているのですが、物の収集も好きで以前は切手やコインが発行されると

郵便局や銀行で並んでまでして収集に凝っていたのです。

だけど今は止めていたのに

今回は20年振りの新紙幣発行(2024年7月3日)と聞いて、どうしても新紙幣と交換したくなり

カラオケに行く前に銀行へ行き新紙幣を手に入れました

   表面         裏面

    

新1万円札は「近代日本経済の父」と呼ばれる実業家の渋沢栄一

新5千円札は日本で最初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子

新千円札は破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎  ネットより検索

   

 7月4日産経新聞朝刊掲載              旧紙幣と新紙幣

 

新紙幣を交換した後はNさんと会ってカラオケに行きました

Nさんと私は歳が同じ家も近いし価値観も合うので親しくなり、時たま行動を共にしています

Nさんの趣味は「歌を歌う事」との事で週に1度は”歌仲間”と歌いに行っているとのことです。

そんなことでNさんからカラオケに誘われていたのですが、歌が下手なのでとお断りしていました

ずっとお断りしていたけれど何でも好きな私は、実際は歌を歌う事も好きなのとNさんの人柄も分かってきたので

先日の「二人でカラオケ」へ誘って貰った時は、思い切って彼女の誘いに乗ることにしました

 

現在の地に来てカラオケは娘親子と1度行ったきりで今回で2度目です

Nさんは慣れた歌い方だし、とても上手に歌ってられました

   

「ホンマに下手やけど笑わんとってね」と念を押して最初は彼女も一緒に歌って貰いました。

次からは勇気を出して一人でも歌いました。

  

2人で3時間と長かったので彼女の前で歌うことに、あまり恥ずかしく思わなくなって

私も何曲か歌いました。

 

とっても楽しくて又二人で「来ようね」と約束してお互い買い物もあるので現地解散

本当に楽しかったです

楽しみがもう一つ増えて誘ってくれたNさんに感謝です

 

 


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姉妹って、いいね。

2024年06月30日 | 身内

先日の26日(水曜日)に京都在住の妹が泊りがけで来ました。

妹が我が家に来るのは主人の三回忌以来で6年振りです。

昨年11月に妹夫婦と倉敷へ旅行して後は、お互い都合がつかず今回やっと会えることになりました。

妹は私が今の所に越して来てから一人で我が家に来たことがないので我が家最寄りの駅ではなく

JR在来線の新大阪駅の東改札口で待ち合わせることにしました

 

もう直ぐ新大阪駅の東改札口と思っていた場所に立派な文楽人形が飾ってありました 

  

新大阪東改札口に約束の時間より早く着いたので暫く待っていると妹が到着です。

  ネットからお借りしました。

私は外食するつもりでいたけれど妹は家の方がいいとの事で我が家に直行です

 

妹は最初2泊位出来ると言っていたけれど義弟に「2泊は困る」と言われたらしくて(笑)1泊になりました

誰にも気兼ねのいらない独り暮らしなので妹が我が家に着いてからは2人でお喋りしまくりです。

私が写真を写そうとすると、どうしても嫌がるので泊まった日はこの写真1枚のみ。

 

 

私が82才、妹が80才になっているので姉妹2人とも完全にいい歳になっています。

今2人とも元気な方だけど、「もう私達は人生の最終章に入っているんやね」と自覚しつつも

姉妹2人ともイキイキ前向いてが心情なので暗い話はありません。

姉妹ならではの話や老いの話や子供の頃の話等、ともかく共通の話題は尽きなくて、

気がつけば真夜中の2時なので寝ることにしました

 

2人とも朝はゆっくりとお目覚め

朝食済んでから趣味の話になり私の趣味の一つの手編みのセーターが欲しいと妹が言ったので

出来て間がないセーター(左端)以外に妹が欲しいと言う合物、夏物、冬物のセーターをあげました

             

             

妹は「ホンマにエエの?」と何度も私に聞き返していたので「ホンマにエエで」に

妹は喜んで荷造りし宅急便で送りました。

 

荷物を送ってからも2人で楽しい時間を過ごしました

 

帰りは我が家最寄りの駅近くの中華店で食事をした時に、ようやく妹と私1枚づつ

写真を写すことが出来ました。

   

妹も私も姉妹の良さを再認識、これからは出来る限りもつと機会を見つけて会おうねと約束したのです

我が家の最寄りの駅から帰り方が分かったのでと一人で帰って行きました

 

娘のところへ行かなくなってから又”元気メール”が再開しています。

”元気メール”の再開後はスタンプだけでOKとのことでスタンプだけの日が多いです

妹が来た26日〈水曜日)は妹と話し込んで”元気メール”のことスッカリ忘れていて

妹が帰る日(木曜日)に気が付いて娘に”元気メール”を送りました。

 

娘にとって叔母が来ていたことは伝えずなので、今回のブログで知ることでしょう。

 

姉妹二人で話していたことだけど本当に姉妹って、いいね。と

何度も2人とも言いあっていました。

妹よ来てくれて有難う 義弟よ妹を来させてくれて有難う

 

 


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手芸仲間と明石へ

2024年06月20日 | レジャー

先週の水曜日(12日)に手芸仲間とバスツアーで明石へ行って来ました。

 

先ずは明石公園に行きました

明石公園内を歩いていると間もなくお城特有の石垣に気づきました。

手芸仲間の何方も知らなかったのですが、近くにいらした方に教えて貰いそこが明石城と知ったのです

私は勉強不足で明石にお城が有るとは今回まで全く知らなかったです。

 

家に帰ってから早速ネットで検索しました

検索によると明石城は1619年築城で国指定重要文化財です。

明石城の特徴は美しい三重櫓 全国に現存する三重櫓はたったの12基のみで、

そのうち2基が明石城にあります。

本丸の南東端にある櫓は「巽櫓(たつみやぐら)」と呼ばれ、かって明石の地にあった

船上城から移築されたと言われています。

反対側に位置するのが「坤櫓(ひつじさるやぐら)」こちらは現在の京都府伏見区伏見から移築されました。

この櫓は場内で最大の三重櫓です。

天守の代わりとして使用されていたそうです。

西国の抑えとして築かれた明石城は姫路城の補佐役を担う存在だったようです。

2基の櫓は明石城のシンボルの木々は伐採されて見やすくなったそうです。

 

徳川家康のひ孫 小笠原忠政築城の明石城を中心としたのが明石公園だそうです

 

ついでに天守閣がない理由は?と調べてみたところ

初代城主・小笠原忠政の一代記に「天守ハ終ニ不甲候」

(天守は結局 立てなかった)という文が残っているのみです。  

 明石城の前で記念の写真です

    

明石城の前に変わった木を見つけて仲間はスマホで写真を写していました

 

 

「和楽心」という所で昼食です

手芸仲間、私以外は誰も飲まないので私も飲みません。   飾ってある蛸を撫でているKさんをパチリ

  

食事が済んで次は明石、魚棚という所に行きました。

 

海の幸が豊富な商店街、魚棚(うおんだな)は古くから賑わう町自慢のスポットらしいです

私達のイメージからすると明石と言えば蛸が直ぐ目に浮かぶし実際、商店街の店々には

何処も蛸がいっぱいだったのに私は1枚も写真写してなかったわ

 

そして最後は菊正宗記念館見学でした。

  

    

入館して説明を受けてからお酒の試飲がありました

仲間も私もレモン酒という薄い味のお酒を試飲したのですが、ジュースの味の様な軽いお酒でも

酔っぱらった仲間に私は笑ってはいけないけれど笑ってしまいました

      

菊正宗、記念館内の模様です。                外の庭に水車が有りました。

     

手芸仲間とバスツアーを楽しんで帰路に着きました

 

2015年6月26に越してきた私は早いもので、もう直ぐこの地に来て満9年になります。

今のマンションで手芸サークルがあったことは、私にとって幸運だったと思います

最初は「借りて来た猫」状態で暫くは皆さんの中に入ることは出来なかったですが

今では親しい仲間が出来て最近ではバスツアーなど誘って貰っています。

仲間に感謝です 

 最近、仕上がったサマーセーター

 

 


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娘夫婦の誕生日祝い

2024年06月09日 | 日記

娘夫婦の誕生日会がありました。

娘は5月28日生まれ婿は6月7日生まれと紫陽花の花が美しい頃に二人の誕生日です

散歩中の紫陽花とワンちゃんとご近所で咲いている紫陽花を写してみました。

     

     

 

子供が欲しくて欲しくての思いと裏腹に中々授からず長年いました

7年目にして娘を身ごもった時は私達夫婦は勿論大喜び、周囲の皆がとても喜んでくれたのです。

短歌を趣味にしていた母の喜び様は今でも私の脳裏に焼き付いています。

母、自筆の短歌に凄く年月が経った今も母の気持ちの有難さに涙が出ます

 

 

そうして待ちに待って生まれた娘が47歳(もう歳言われるの嫌と思うけれど)になりました。

「娘の誕生日」は「私が母になった誕生日でもあるよね」とフト思いました

 

娘の誕生日会が5月終わりの週末にありました。

娘達の誕生日は2人の誕生日が日は近くても大抵別々にあります。

みんなで乾杯です。 誕生日おめでとうと乾杯

 

家が近いこともあって、こうした祝い事があると呼んで貰っています

    

私は何時もグラス一杯のビールが定番 焼肉もビールも美味しく頂きました。

 

頻繁に行っていた娘の家へ最近は滅多に行かないのでKくんとは

中学入学式以来に会いました。

少し見ない内に又 大きくなったみたいです

 久し振りに背比べしました。

娘達とは現地解散しました

 

そして昨日は婿の誕生日会がありました

婿の誕生日は昭和45年6月7日生まれなので覚え易く1970年生まれなので、

現在の年齢も直ぐ計算出来ます

娘の誕生日会は食道園で、婿はKollaBoでと2軒の焼き肉店巡りです

               誕生日おめでとうの乾杯

  

   

   

焼肉店もお店が違ったら又 違った味がして2軒ともお気に入りのお店

美味しく楽しく過ごす事が出来ました

家が近くても娘家族も私も忙しくて会う機会が少ないので、娘から声がかかると

嬉しくて喜んで行きます。

 

有難うね。感謝しているよ

 


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