6434人が犠牲になった阪神淡路大震災から今日17日で丸15年。
今朝、追悼の気持ちを込めてあの震災時間の5時46分の空の写真を撮りました
震災があった時間の空はまだ真っ暗。
大阪に住む私にとって阪神淡路大震災は15年経った今となっても忘れられない記憶です。
そこで当時の日記を振り返ってみました
当時、震災前日1月16日は娘の親友が我が家に泊まりに来ていました
これが震災当日の日記です。
「 今朝5時46分、大きな地震があった。
今まででこれほど揺れたのは初めてだ。
いつもと違う。
7時半頃、また大きな余震。
テレビのニュースで神戸震度7、大阪震度5とのこと。
神戸・芦屋・西宮等の被害は思ったより大きく、ビルは壊れ、阪神高速もつぶれ、
家も軒並みつぶれ、火災が発生。
もうめちゃめちゃや。
死者も多数出ている模様とのこと。
地震がここまで怖いとは・・・
こんな中でも、お父さん(主人)は会社、○○ちゃん(娘)とMちゃん(娘の親友)は高校、
XXくん(息子)は中学校へとそれぞれ出かけたが、
後、長い時間、それぞれ帰って来ないし、連絡もとれない。
(今思うと、こんなに大きな震災とは思いもせず、
会社・学校とも休みの連絡が無かったので、それぞれ出かけたのだと思います。)
凄く心配。
長時間かけてやっと3人帰宅、家族全員揃った。
あぁ~良かった。 一安心だ。
本当に今日の地震は京阪神に被害を大きくもたらせた。」
と記されていました
震災翌日、被災地近くにお住まいの娘の親友のお母さんと連絡がとれたのですが、
その電話内容では「 もう大変です。 」の一言でした。
震災からまもなくして、西宮在住のおじ宅へ見舞いに行きました。
商店街のシャッターはグニャグニャ、ブルーシートが被ったままの家、
そしておじ宅の前の家は全壊し、整備され空き地になっていました。
おじ宅の前に住まれているご家族に怪我人がいらっしゃらなかったことが、不幸中の幸いでした。
おじ宅は壁と柱の割れ目が15cmほどあるものの、半壊で済みました。
おじのお嫁さんの話では、
「 食器棚が倒れ食器が粉々になったので、これからは100均の食器買うわ。 」と
気丈に笑って話していましたが、大変な思いを経験されましたことに違いはありません
阪神・淡路地区に大被害をもたらした阪神大震災は兵庫県南部地震によって発生した
大規模災害だったとのことで 『 阪神淡路大震災 』 と名前が付けられました。
震災翌年からは神戸復興を願いクリスマスの季節には 「 ルミナリエ 」 が開催され、
今もなお続き、人々の心の灯になっています
早いものであれから15年経つのですね・・・。
昨日は震災遺児家庭の追悼式「第15回今は亡き愛する人を偲び話あう会」が開催されました。
震災遺児の3人の手紙の朗読を聞き、私は涙が止まりませんでした。
亡くなられた方、被災者の方を思うと、毎年1月17日来るたび当時が思い出され胸が痛みます。
事故は防げても、天災は我々の力ではどうにも及びません。
あの地震以来、私も防災に対し、以前よりかなり気に掛けるようになりました。
私たちに出来ることは天災に備え知識を付け、防災グッズ等を準備すること・・・。
あのような思いはもうできればしたくないけれど、
万が一に備え、準備だけはしっかりしておかなければと思っています。
そして、被災者の半数近くの人たちが 「 悲しみがまだ癒えてない 」 と言う事を新聞で知りました。
被災者の方々の心が一日も早く癒える日が来ることを願っています
今朝、追悼の気持ちを込めてあの震災時間の5時46分の空の写真を撮りました
震災があった時間の空はまだ真っ暗。
大阪に住む私にとって阪神淡路大震災は15年経った今となっても忘れられない記憶です。
そこで当時の日記を振り返ってみました
当時、震災前日1月16日は娘の親友が我が家に泊まりに来ていました
これが震災当日の日記です。
「 今朝5時46分、大きな地震があった。
今まででこれほど揺れたのは初めてだ。
いつもと違う。
7時半頃、また大きな余震。
テレビのニュースで神戸震度7、大阪震度5とのこと。
神戸・芦屋・西宮等の被害は思ったより大きく、ビルは壊れ、阪神高速もつぶれ、
家も軒並みつぶれ、火災が発生。
もうめちゃめちゃや。
死者も多数出ている模様とのこと。
地震がここまで怖いとは・・・
こんな中でも、お父さん(主人)は会社、○○ちゃん(娘)とMちゃん(娘の親友)は高校、
XXくん(息子)は中学校へとそれぞれ出かけたが、
後、長い時間、それぞれ帰って来ないし、連絡もとれない。
(今思うと、こんなに大きな震災とは思いもせず、
会社・学校とも休みの連絡が無かったので、それぞれ出かけたのだと思います。)
凄く心配。
長時間かけてやっと3人帰宅、家族全員揃った。
あぁ~良かった。 一安心だ。
本当に今日の地震は京阪神に被害を大きくもたらせた。」
と記されていました
震災翌日、被災地近くにお住まいの娘の親友のお母さんと連絡がとれたのですが、
その電話内容では「 もう大変です。 」の一言でした。
震災からまもなくして、西宮在住のおじ宅へ見舞いに行きました。
商店街のシャッターはグニャグニャ、ブルーシートが被ったままの家、
そしておじ宅の前の家は全壊し、整備され空き地になっていました。
おじ宅の前に住まれているご家族に怪我人がいらっしゃらなかったことが、不幸中の幸いでした。
おじ宅は壁と柱の割れ目が15cmほどあるものの、半壊で済みました。
おじのお嫁さんの話では、
「 食器棚が倒れ食器が粉々になったので、これからは100均の食器買うわ。 」と
気丈に笑って話していましたが、大変な思いを経験されましたことに違いはありません
阪神・淡路地区に大被害をもたらした阪神大震災は兵庫県南部地震によって発生した
大規模災害だったとのことで 『 阪神淡路大震災 』 と名前が付けられました。
震災翌年からは神戸復興を願いクリスマスの季節には 「 ルミナリエ 」 が開催され、
今もなお続き、人々の心の灯になっています
早いものであれから15年経つのですね・・・。
昨日は震災遺児家庭の追悼式「第15回今は亡き愛する人を偲び話あう会」が開催されました。
震災遺児の3人の手紙の朗読を聞き、私は涙が止まりませんでした。
亡くなられた方、被災者の方を思うと、毎年1月17日来るたび当時が思い出され胸が痛みます。
事故は防げても、天災は我々の力ではどうにも及びません。
あの地震以来、私も防災に対し、以前よりかなり気に掛けるようになりました。
私たちに出来ることは天災に備え知識を付け、防災グッズ等を準備すること・・・。
あのような思いはもうできればしたくないけれど、
万が一に備え、準備だけはしっかりしておかなければと思っています。
そして、被災者の半数近くの人たちが 「 悲しみがまだ癒えてない 」 と言う事を新聞で知りました。
被災者の方々の心が一日も早く癒える日が来ることを願っています
昨年の1月17日の私のブログ記事です。
よかったら読んでみてください。
翌年夫が大阪に転勤になり芦屋の単身寮に入りました。
あの瀟洒なはずの芦屋の荒涼たる風景は今でも忘れられません。
あの時は同じ日本人でありながら何もわかっていなかった自分を恥じました。
今尚心に深い傷を負われ、懸命に生きている神戸の人々!
一日も早く立ち直られることを祈ります。
あれから、もう、15年も経ちますか。月日のたつのは早いですね。
震災にあわれた皆さん、建物は、目に見えて再建されていきますが、心の傷はそそんなに早くは癒えませんよね。
喪失感の苦しみはまだまだだと思いますが、どうぞ、無理をせずゆっくり回復されることをお祈りしています。
改めて恐ろしい天災だったと思い知らされました。天災は忘れた頃にやって来る!!
一日一日を大切に生きなければ、無念の死を
遂げられた方々に申し訳が立ちません。
又ハイチでは数倍もの死者が出たとの事
痛ましい限りですね
何も出来ない自分が歯がゆいです。
コメント有難うございます。
夢路さんの昨年のブログ読ませて頂きました。
私は直接の被災者ではなかったけれど、身近に被災者の人がいたので思いは夢路さんと一緒です。
震災後1年半の、ご主人が芦屋にいらした当時まだ復興には、ほど遠かったようですね。
昨日も震災関係のテレビを見ていて辛さがつのりました。
本当ですね。
被災者の方が受けた傷は一生消えないだろうけど、一日も早く立ち直られることを私も願っています。
コメント有難うございました。
あの地震の時は、それまで経験したことがない「ドッーン」と下から突き上げるような感じで主人と「今日の地震、何時もと全然違うね」と話したのを覚えています。
それで震度5だったので震度7だった神戸、芦屋、西宮方面は大変だったと思います。
見た目の復興はされていますが被災者の方の心の復興はまだほど遠いみたいですね。
私もまが~さんと同じように被災者の方々の心が癒える日が一日も早いことを祈ります。
コメント有難うございました。
神戸新聞社の実話記録を私も見ました。
天災は忘れた頃にやって来る!無念の死を遂げられた方、ご遺族の気持ちを思うと胸痛みます。
そんな中ハイチの地震の大地震のニュースは
痛ましく天災の怖さを感じます。
湘南ピースさんの言われるように無力な自分が歯がゆくなります。
もう涙、涙でした。
あの日私たちの所も震度4で下からドカーンと突き上げられるような揺れで目が覚めて
すぐに息子達の名前を呼んだのですが、その後はどうしていいか解らず戸惑っていたのを
今もよーく覚えてます。
あの当時仕事で凄く落ち込んでいてその悩みを日記に
書いていたんですが、連日のニュースを見て
私の悩みなんか何て、小さいものだろう、こんな事で悩んでいたら被災された方々に申し訳ないと書いた事を忘れません。
私の両親も昭和23年に大地震があり被災した
話をずっと聞いて育ちましたので人ごとでは
ないと思ったものです。
何も出来ませんが、お亡くなりになった方々に
心からご冥福をお祈りします。
こんな悲惨な事はもう起きて欲しくないですね
直接被害にあわれた方達にとっては心の傷として
これからも消えることはないでしょうね
震災当時赤ちゃんでよくわからなかった子が
小学生ぐらいに成長してもあの地震の時刻になると
目を覚まして怖がったという話を聞きました
地震の衝撃を心が・体が忘れていないという証拠だということです
東海地震が言われてその被害が大きいといわれる地に住んでいても
漠然としかとられていなかった私ですが
あの地震以来水をストックしたり非常持ち出し品を揃えたりと
いざという時に備える意識ができたような気がします
地震を防ぐことはできませんがその被害を少しでも
小さく抑えることができるような努力は必要ですね
コメント有難うございました。
わんこさんの所も私達の地域に近いので同じ様にあの時の地震を体験しているんですね。
確かに神戸新聞社の実録ドラマをみたり震災でご家族を亡くされた人の話を聞くと、人はその立場にならないと分からないものだと思いました。
わんこさんのご両親も大震災を体験なさっているのですね。
昨日はハイチの大地震のニュースが流れていました。
ハイチの復興と阪神大震災での被災者の方々が
心癒される日が早く訪れて欲しいです。
コメント有難うございました。
私自身は直接の被災者じゃないけれど、あの
地震で阪神高速が折れ曲がっていたり、あっちこっちと家の倒壊、火災の発生などがあったので衝撃は大きかったし忘れられないことです。
だからビオラさんがお住まいの東海地震の時、
大変だろうと心配していました。
日本で慰霊祭という時にハイチで大地震。
天災の恐ろしさを痛感しています。
本当ですね。
地震を防ぐことは出来ないけれど被害を少しでも抑える努力が必要ですね。
ハイチの復興と震災を受けた人たちの心が癒える日が早く訪れて欲しいです。