後藤ミホコ~アコーディオンらいふ~

アコーディオニスト・後藤ミホコのブログ

あるステーキハウスで「白いカフェ」

2019-01-17 20:13:07 | 日記


上の写真は兵庫県芦屋市にある「芦屋霊園」から今年の元旦の初日の出の様子です。

何と神々しく、そして清々しい光景でしょう。

24年前の今日の1月17日の朝も、こうして太陽は東の空から姿を見せていたのです。街の様子がどう変わろうとも。。。不思議な気がします。

あれから24年も経ちました。

実は、私が自分のオリジナルとして一番よく演奏しているのは「白いカフェ」という曲で、インターネットラジオの「情熱タイム」でも、放送開始の20分前からよく流れています。

そして、ライブでも今もよく演奏しています。

この曲に関して、いつも演奏前にお客さんに申し上げているのは「私がもうずいぶん昔にパリに旅行したあと、パリのイメージを描いて作曲しました」としています。

それはそれで事実ですが、実はこの曲をライブで演奏し始めたきっかけは1995年、ちょうど阪神淡路大震災のあと、被災地が復興に立ち上がり、混乱の中でも何とか前に一歩踏み出そうと動き出したころです。

神戸の、あるステーキハウスでは、長年、毎日食事中にピアノや弾き語りのライブをしていましたが、震災のために半年間ライブは休止状態に。
しかし、神戸を復興させようという活動の一つとして、ライブを再開、その時に私にアコーディオンのソロ演奏のお声がかかったのでした。

教員を辞めてミュージシャンになったあと、試行錯誤を重ねて何とか活動を始めたとたんの震災。
すべての仕事を失ってかなり厳しい状況にいた私に、この話は元気を与えられました。

もちろん喜んで引き受け、毎週一回、夜の食事中にBGMとして30分ステージが3回。

お客さんも和やかで静かにステーキを楽しみ、音楽に耳を傾けてくれます。

BGMと言えども、その時は新米ミュージシャンです。真剣勝負。
このライブのために、レパートリーを一曲でも増やそうと曲の採集に励む毎日。

そして・・・このステーキハウスのライブの一番初めに、オープニングの曲として演奏していたのが「白いカフェ」でした。

その時は、実はステーキハウスの名前のイニシャルを取って、「S(エス)ワルツ」と命名していました。

そのうちに、演奏の場も拡がり、この曲も他で披露することが多くなり、いつしか曲タイトルもパリのイメージの「白いカフェ」というのに変わりました。

今となれば懐かしい話ですが、当時、被災地も復興に一丸となって無我夢中に突き進み、私自身も何とか自分の演奏を聴いてもらって演奏の場を獲得しようと必死の時です。

もうあんな恐怖と、たくさんの人を失った悲しい思いはしたくない、災害はこりごりだと思うのは当然ですが、あの時の何が何でも立ち直ってやると言う執念のような勢いは、その後の自分に少なくとも影響を与えました。

生涯忘れることのない、阪神淡路大震災の経験。
被災地となった私のふるさとの地域を、遠くからでもずっと応援し続け、地域の活性化に、たとえ小さな小さな力でも貢献できればと思っています。
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