報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

アフガニスタンを出ました

2005年05月26日 19時31分31秒 | ●アフガニスタン05
 21日、アフガニスタンを出て、バンコクに戻りました。
 アフガンから、せめてあと一回はブログを更新するつもりでしたが、残念ながら出来ませんでした。
 物理的には可能でしたが、心理的に不可能でした。
 というのも、5月4日に当ブログを更新した3日後、そのネット・カフェが自爆テロで爆破され、二人が死亡するという事件が起こったからです。
 自爆テロの当日は、僕はカブールから遠く離れたカンダハルという街にいました。利用していたネット・カフェが爆破されたことも知りませんでした。カブールに戻り、自分が利用していたネット・カフェが自爆テロに遭ったことを知らされ、恐怖しました。米軍施設でもない、米軍関係者が利用するわけでもない、ただの民間のネット・カフェが自爆テロの対象になるなんて・・・誰が予想しただろうか。もちろんアフガニスタンでは、はじめてのことです。もはや外国人を殺傷できるなら、なんでもするということなのか。

 そのネット・カフェは、僕の泊まっていたゲスト・ハウスから一番近く、歩いて3分ほどでした。20台以上のパソコンがあったと思います。ノートパソコンを持ち込む客のために、大きなテーブルもあり、真ん中からケーブルが10本ほど出ていました。いつ行ってもすぐに利用できる理想的な店でした。通信速度も100Mbpsと申し分ない。そのため利用客は外国人がほとんどでした。

 カンダハルに発つ前に、二日続けて利用しました。初日は、友人にメールを送り、次の日に当ブログを更新しました。ブログを更新した日は、二時間半いました。そしてその3日後に自爆テロ・・・。

 もはや、ネット・カフェに行こうなどという気にはなれませんでした。「外国人の行かないネット・カフェなら大丈夫さ」と宿の連中は言いましたが、僕自身が外国人です。僕が利用することで、店番の人がヒヤヒヤするかもしれない。いや、僕自身が一分も座っていられないでしょう。
 ネット・カフェどころか、自爆テロの話を聞いてから二日間は、僕はほとんど宿からでませんでした。宿の周辺を少し歩いたものの、道行く人がすべて自爆テロ犯に見えてしまう。そそくさと宿にもどりました。情けないが仕方がない。一度恐怖に取り付かれると、もうどうしようもない。爆弾テロの恐怖とは、その破壊力とともに、いつどこで爆発するか予測できない点にあります。少なくとも僕は、これまでに二度、爆弾テロを目の当たりにしています。爆弾テロの怖ろしさ、無慈悲さは身に染みています。
 3日後には、ようやく普段どおり街を歩くようにはなりましたが、いままでのような暢気な気分では歩けなくなりました。僕は、アフガニスタンの状況を楽観視しすぎていた。

 それから数日後の5月16日、イタリア人のNGO女性スタッフがカブールで誘拐されました。カブールに滞在するすべての外国人に激震が走りました。

 アフガニスタンを取り巻く状況は、今後ますます悪くなっていきそうです。

 中司達也
 アフガニスタン取材を終えて