日々の暮らし*『ちゅらさん』

2022-05-02 | 日々の暮らし
 風薫る五月、いかがお過ごしでしょうか。


図書館へ行くとき回り道をして、秘書にゃんこの大好物を背景にパチリ


 さて、小学3年生の頃、麻疹(はしか)に罹って学校を休んだとき、

母が『少女フレンド』を買ってくれたのが少女漫画との出会いでした。

ちょっと調べてみましたら、昭和30年に『りぼん』(集英社)と『なかよし』(講談社)、

そして昭和38年に『マーガレット』と『少女フレンド』が発行されたようです。

夢のような物語、お手洗いに行けなくなる怖いお話に、日本中の女の子が夢中になったものです。

巻末には「ペンパル」のコーナーがあり、読者が自分の住所氏名を載せて文通相手を募るという、

良くも悪くも「個人情報」などとは無縁の時代でした。

 札幌に住んでいた私は運良く掲載され、それを見てくれた沖縄の女の子から手紙が届きました。

彼女は雪を見たことがないと言い、私もまた想像の中の南国に憧れ、

お互いに写真を同封してそれぞれの暮らしを伝え合い、心弾む時間を共有したものです

中学・高校へと進み、いつしか手紙が途絶えた1972年(昭和47年)に、

沖縄返還(沖縄の方にとっては本土復帰ですね)を迎えたとき、彼女のことを思いました。



琉球ガラスの一輪挿しと星の砂


 6年後の昭和53年、沖縄で「車は左側通行」となりました。

その頃、私は CA(当時はスチュワーデス)として乗務し、たびたび沖縄に宿泊しました。

空港からハーバービューホテルまでの10分ほどの道のりに、なんと1時間以上かかり、

車窓から街を眺めると、信号機も標識も、そしてバスの乗降口も以前とは左右逆になり、

そんな時ですからスピードを出す車はありませんが、それでもあちこちで小さな接触。

「私が新人だった頃は、お金はドルだし、沖縄に来るにはパスポートが必要だったのよ」

先輩が、歴史の変わり目に立ち会った貴重な体験を話してくれたのが印象に残っています。

そして私も今、沖縄にとっての大きな転換期を目の当たりにしているのだと。。


 本土に復帰して、来る5月15日で半世紀。

NHK で沖縄を舞台にした朝ドラが放送され、この連休中には『ちゅらさん』が再放送されます。

「文通」という言葉すら死語になった今、あのときの彼女はどうしているかしら。

大人になって雪を見る機会はあったかしら。


お読みくださいましてありがとうございます。
先日より少し葉っぱが増えた ひまわりの苗 に、
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