倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

「終戦記念の日」に思う

2022-08-16 | 日記

8月15日は、さきの第二次世界大戦が終結した日です。

ドイツによるポーランド侵攻(1939年)に端を発した第二次世界大戦は、日本軍によるアメリカ真珠湾奇襲攻撃(1941年)により各国を巻き込む戦禍に発展、その後は4年間に亘り 命が命を削ることとなる「世界の黒歴史」を刻むこととなりました。

わが国は (戦争の)序盤こそ勢いに乗じて快進撃を進めましたが、ほどなく 燃料・武器弾薬・食糧などの物資(資源)量が底をつくこととなりました。が…にも関わらず軍部は依然 過剰なまでの拡大方針を続け さらには物資補給を軽視した戦略(補給船団に丸腰(護衛をつけない)で航行を命じる)などの愚策の累積により戦況はみるみる悪化、やがて「カミカゼ」などの精神論に頼るような根拠なき戦いぶりにより敗走を重ねることになりました。

最終的には(ご案内のとおり)南方諸島での玉砕に次ぐ玉砕、あげくはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下や沖縄敗戦により止(とど)めを刺され、ついに1945(昭和20)年の8月10日に米英中3国による「ポツダム宣言」の受諾、そのうえでの8/15の「無条件降伏」に至ることとなったものです。

 

 

 

 

この日は、単に第二次世界大戦が終結した日と記(しる)すのではなく、戦争の誤りと それによって導き出された惨禍(結果)を反省したうえで、戦争を知らない世代にも この(戦争の)経験と平和の意義を伝えるため(この日を)「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としたものです。

 

顧みれば 第二次世界大戦は、一部の政治家が抱いた欲望達成のための 壮大な悪しけき侵略計画の成(な)れの果てであったと思います。

そのうえで恐ろしいのが、その(一部の政治家が描いた)悪魔の計画に対し 他の政治家のみならず、本来は中立中庸であるハズのマスコミが乗ったあげく陽動に加担したこと(プロバカンダ)、そしてその勢いは ときの陛下のご意向をも左右することになったことであります。

「世論の支持」という幻想を作り上げ、それ(戦争待望論)を あたかも正しい論理であるかのように独り歩きさせる…当時の社会の流れは、目に見えない土石流のように人心を巻き込んでいったということであったのでしょう。

 

 

 

 

 

結果 日本は開戦の道を歩み、最終的に自国民300有余万人の尊い生命を奪うことになってしまうのでした。

 

戦争とは、何と無意味な行為でありましょうか。

領土を巡り 資源を巡り、あげく無用な面子(メンツ)の故をもって 人と人とが殺し合う。

それも、欲を覚えた当事者同士だけが殺(や)り合うのではなく、(欲とは)無関係な国民が(戦場という)修羅場に引きずり込まれる無慈悲(矛盾)。

そして、かかる戦争も 国民の総意によって起こされたのなら致(いた)し方(かた)ないところですが、事(こと)の起こりは (前掲のとおり)一部の軍属の独善によって引き起こされたもの…今回の戦争は その始まりから終わりまで、(一部の)政治家の思惑(おもわく)というの掌(てのひら)の上で国民生活が翻弄(ほんろう)されたともいえる〝日本の最たる黒歴史〟とされるところでありましょう。

 

こんな愚かなことは もう2度と御免、2度とあってはならない愚行であることは論を待ちません。

しかし今、そんな愚かなことが 再び起こされるような伏線が引かれ始めているのではないかと憂慮するものの一人です。

ロシアによるウクライナ軍事侵攻に伴う、論点がズレた(ずらした)中で進められる 防衛費増額の議論・自国防衛の大義の下で進めようとされる〝先制攻撃〟を含んだ憲法改正議論等々、あの忌(いま)まわしい黒歴史から77年が経過した中 その歴史的事実を歪曲させてまで進めようとする、今の(一部の)政治家の言動には、さきの大戦を誘発することになった「一部の政治家の暴走行為」に重ね合わせる〝デジャブ(既視感/きしかん)〟として懸念をもって見ざるを得ないところです。

 

8月15日の「戦争記念の日」この日は、単なるメモリアルデーであってはならないと思います。

日本国が この日を迎えたこと…いや 迎えなければならなくなったこと(原因)に思いをいたし、もう二度と こんなことを〝記念〟することのないよう、全ての国民(特に政治家)が学習する機会、それこそが「終戦記念の日」の真の目的であるべきと思うところです。