倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

猛暑の日々/川中島小学校「陣屋門」の〝里帰り事業〟

2021-07-19 | 日記

暑い。

梅雨明けと同時に、ここ長野市も うだるような暑さが到来するに至っています。

空はどこまでも青く…というと聞こえはイイのですが、同じ青でも〝青天井〟という言葉があてはまるように、温度計の表示もグングン上がっているようです。

 

 

 

 

週末には、市内中御所にある気温表示が この夏最高の36℃を示し、それを見て このエリアの暑さを再認識させられ、グッタリ感が増したところでした。

 

 

 

 

そんな 暑さにグッタリの大人を尻目に、子供たちは大はしゃぎ。

場所は 新装なった城山公園。

同じくリニューアルオープンした長野県立美術館に隣接、公園の中心にある噴水が 全く新しい形で〝市民サービス〟を提供していました。

 

 

 

 

今までは〝見るだけ〟であった公園の噴水が 「親水型」に造り直され、こんな暑い日には 誰もが(噴水の)中に入って涼(りょう)を取ることができるようになっているのです。

 

 

 

 

子供たちにとってみれば、この暑さを〝逆手〟に取っての親水浴は、何とも気持ちのイイもの…何というか、規模の大きい行水といったところでしょうか。

 

 

 

 

このときばかりは、無邪気に噴水に飛び込む童子らがうらやましく映ったものでした。

 

これからが夏本番。これほどの暑さが どれほどの期間続くのでしょうか。

コロナ禍に伴う健康被害に加えて、熱中症対策も怠りなくしなければ。

あっちでもこっちでっも「自己防衛」が求められる時節の到来であります。

 

 

 

 

 

◇長野市立川中島小学校(旧校名:日新館)の「陣屋門」の〝里帰り〟を

週末の7月17日(土)、私の暮らす川中島町の公民館本館において「川中島小学校150余年の歴史を探る」の標題で講演会が行なわれ、設営のお手伝いと併せて聴講させていただきました。

 

 

 

 

この講演会は「日新学校校門を復元する会」の主催で行なわれたものです。

 

(日新学校校門を復元する会の啓発チラシ)

 

 

 

川中島町内にある 開校150年の日本で二番目の歴史と伝統を有する「長野市立川中島小学校」は、明治2年の頃に当時の新政府による「府県施政順序/学校を有すること」の施行に基づき「日新館」として開校(後に「今里郷校」と改称)されたのですが、その際に 旧幕府大名であった松平忠厚氏が 自らが所有していた「陣屋門」等を日新館に寄贈したそうです。

 

 

 

 

その後 さまざまな経緯を経て、日新館の校門(陣屋門)は 現在の千曲市の個人の手に渡ったものの、その家が取り壊されることになりそうだということから、歴史的資料ともいうべき「陣屋門」の解体を惜しむ関係者が一体となり「そもそも日新館(川中島小学校)に設置されていた「陣屋門」なのだから、この際 元の場所(川中島小学校)に〝里帰り〟させよう」という機運を醸成、そのため 川中島小学校の卒業生を中心とした「復元する会」を設置し、復元や再移設のための資金繰りをはじめとする事業を展開しているものです。

 

 

 

 

この日は、かかる〝陣屋門の里帰り事業〟の理解と造詣を深めることを目的とし、長野市教育に詳しい 長野市公文書館指導主事の西澤康彦先生を講師に招き、幕末から明治にかけて変遷を遂げた川中島地域の歴史や、それに伴う教育(学校)の歴史などについて ときにユーモアを交えてご講演いただきました。

 

 

 

 

聴衆の中にはメモを執りながら聴く熱心な方も居られ、講演を通じて 地域に身近にある小学校が、長野市教育のみならず わが国の教育史においても「ルーツ」ともいうべき意義(歴史)を有していることが再認識されていました。

 

 

 

 

 

「日新学校校門を復元する会」におかれては「この移設が実現すれば、川中島小学校は 明治2年に新政府が造らしめた当時の学校の「門」を有する唯一の学校となり、長野市・長野市教育にとっても唯一無二の貴重な存在となります。」とし、広く まさに門戸を開いて協力の呼びかけを行なうと同時に、門の復元と川中島小学校への移設実現の暁には、門自体を長野市(教育委員会)に寄贈し、小学校児童の教材として活用してほしいとの〝願い〟を込めて 募金などの活動展開を行なっています。

 

地域の先人たちが遺した史跡が、今を生きる人達の手で里帰りを果たし、それを間近に見る「これからの者たち」が〝現存する歴史的教材〟として自分たちの通う学校や地域の歴史を学び直す…まさに〝循環型教育〟の好事例として、私自身 この事業の成功を願うものであります。