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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

チベット学33年

2008年03月22日 | 今日も生かされて
大谷大学で33年間チベット学を教えてきたツルティム・ケサン教授が退官される。
準貴族の家庭に生まれ、59年の動乱で国外脱出。ダライ・ラマ14世の亡命政府で高僧の教えを受け出家。国際仏教徒協会の招きで74年来日した。
過酷な自然の中に住む多くのチベット人は、現世より来世を重視する。
ツルティムさんは、最後の講義でこう話した。
「有事の事物は、無常であり、空である。喜びも悲しみも、いつまでも続くことはない」
  などと、今朝の地元紙コラム「凡語」にあった。

ちょうど昨夜、ニュース報道番組番組ZEROで、「独占 目撃チベット」を見ていた。
 家族から一人は僧侶となる国。質素な食事風景。
 彼らは僧侶とともに、信仰とともに一生を過ごすのだという。
 僧侶たちは経を唱え、言葉のやり取りで相手の論理を突いてく
 無常観...
 彼らの笑顔が美しい。

人種、国籍、文化、宗教、思想、環境... 多様な違いがあり、対立がある。
自分とは異なるものはどうして受け入れにくいのだろう。
誰もが、平和に、幸せに生きる権利があるはずだ。日常、成育歴の違う者同士での結婚、嫁と姑、親子間のいがみあい...。
大綱で、共通する思いを共有できたら、もっと穏やかに生きていけるのだろうか。
相手の思いを共有するという表現もあるが、排斥とは対極の、「受け入れる」というテーマは、自分にとっても大きなテーマだと感じる。

彼らはよく抗議デモをするという。
あんなに質素に、誠実に暮らしているような彼らが抗議していること。
今回の暴動で、ここの僧院から多くの拘束者が出ていると伝えていた。
力による制圧は許されまい。

僧侶達の美しい笑顔が目に浮かぶ。




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