kyon's日誌

つれづれに・・・

命の期限

2021年06月12日 | 日記
昨日はもう~・・・暑かったねぇ。今季最高気温だったらしい。日差しも強かったな・・・

さて、今朝7時ちょい前、もしやと思ってネットでワクチン予約を覗いてみた。
11日からの大規模接種会場予約が出来るとあったし、昨日は全くネットを覗く気にもならなかったし、今朝・・・あら、取れた!
意外に簡単でした。良かったなァ・・・
叔母と一回目の同じ日の予約も二回目も取れたぜ!
やれやれ~~・・・亭主からの任務終了だ。
何だか本当に予約を入れて・・・という一連の評判が思わしくないのはやってみて分かりましたね(苦笑)

さて、ここからは自分の身内のことなので、お目障りもあるかもしれないけど、お許し願いたい・・・
で、・・母の件・・・
11時に病院で先ず胃ろうや栄養を鼻から入れるなどの説明を一時間みっちり。
説明している医師は母のアルツハイマーのことなどから話し始めた。
聞いて良かったし、ワタシと妹の考えも一致した結果、午後からの主治医からの説明も加味しても結果は同じで、結局、胃ろうなどはしないことにした。
決め手は、一旦始めたらこれを途中で止めて欲しいとは言えないのだということ、止めるに当たっては警察沙汰も覚悟しなければならないこと、例え今、延命治療をしても、僅かの先延ばしをするだけで、いや、勿論、数日、数か月、何年かの生を永らえたとしても、意識も無く寝た切りで床ずれ、血管に入れてる点滴で血管にもリスクが生じ感染症のリスクも高くなること、コロナ禍の中、面会も出来ないのに植物状態でいつまで持つか分からぬ延命となること・・・
そして、一番は、母のアルツハイマーが既に限界の微妙な位置にいること・・であった。
ご存じの方も多いだろうが、アルツハイマーが何時発症したのかが問題で、気がつかなかった時間が曖昧としているのだが、既に始まっていただろうと思われる頃までさかのぼると、一般的に言われている5年から10年、或いは15年までの間に死を迎えると言われている病である。先ごろ、ニュースではアルツハイマーに光明か?と言われる薬が発表されたが、それが庶民レベルまでの特効薬になるには当分見込めもしないし、アルツハイマー自体が治らない病であることはワタシも多少知っている。
母の状態は既に10年はゆうに超えているだろうと思われるし、説明によればお盆まで持つかな?・・・という見解で、胃ろうなどの延命措置をしても体の臓器や諸々・・既に弱っていて嚥下などの力も弱まっている・・・まぁ少しだけ命を先延ばしにするだけだという・・・
で、素朴な質問をした。
「胃」という臓器はダメにならないのでしょうか?と。
「心不全」とか「呼吸器不全」で死亡という話はよく聞くでしょう?『胃不全』という話は無いでしょう?胃ろうなどで延命治療が出来る方法は元々は小児用に向けられた治療法であったのが今は延命だけでなく生かせる方にも用いられるようになった訳で、それはそれが「延命」ではなく「治療」としての生ある先が考えられるから行っている・・・というような説明であった。つまり、母の様な食べられない状態で体も衰弱してるしアルツハイマーも進行してる状態の場合は明らかに「延命」という意味を持つが、下降線をたどっている状態だから、少しだけそれを先延ばしにする・・・という意味しかなく、明らかに母には「延命」となる治療であると。
死生観というのも人其々な訳だが・・・と、医師は仰っておられたが、ワタシも妹も説明には納得。
胃ろうをすることが果たして母の本当に望む治療となるのかは意に添わないものになるだろうと分かる。医師も此処に母がいて、今の話をされたときにどんな風に言うのか、しっかり考えて下さいと。
母は絶対に延命治療はしないでくれと言っていた。多分、きっとそういう治療は嫌だというに違いないと思われるのは妹も同じように思えていた。
後は・・その命を使い切るまでを見守るのがワタシらの役目だろうと理解と納得をした結果、医療的治療(今までの様な点滴だけとなる?)が出来ないとなれば、今の病院には居られないという訳で、終の棲家になる他の病院に転院・・もしくはワタシらが引き取るか、という選択肢が残ったことになる。ワタシらが引き取って・・・というのは無理だとなれば一つしかない。次の医療施設兼病院に・・・ということになった。
単純に「胃ろう」などの治療をしてもらえばいいと思っていたのは、ワタシや妹が母の命を決める負い目から逃れたい意味もあったのではないかと自戒する。
が、本人の意志が通じないのだからそれを決めるのは子供の役目なのだろう。もう、妹とワタシの腹は決まって、もう少し無駄であっても次の行動に移らねばならないだろうねと話し合った。
それに、今までも、ワタシらに出来ることは出来るだけやれたと思うし、後悔も無いし、・・・とはいっても100パーセントではあるまいが(苦笑)などと互いに笑って言えるからね・・・それで勘弁してもらおうさ。
今はそんな感じだ。(苦笑)
命は確かに尊い。その期限がある程度見えてる中、ただ生きててくれさえすればよいという問題でもないように思える。後悔のない介護は無いし、終わりのない介護も無い。いつかは来るべきものと今は向き合う時なのだねぇ・・・
コメント (4)
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