kyon's日誌

つれづれに・・・

「天の光」

2016年12月10日 | 日記
能代に出掛ける前に本屋で「天の光」葉室麟・著を求めた。
それを読み終えて・・・・なんだかなぁ~・・・とため息をついたりしている(苦笑)
本の帯には、愛に迷うあなたへ・・・とあるが・・・う~~ん・・・
愛などと言われても・・・と戸惑いを感じつつ・・・(^^;)

物語は仏師とその妻の話なのだが・・・
聞き慣れない仏教用語があれこれ出て来る・・・物語よりそちらの方に興味が沸いた。
「不受布施派」(『かくれ』)と言われる信仰の徒がいたというのも初めて知った。いわゆる隠れキリシタンのような存在が仏教徒にもいたということなのだが・・・
仏性とやら、悪性というやら・・・難しい仏教用語も出て来る・・・僧侶修行で勉強でもしなければ普段使いをするような言葉では無く・・・まぁ、当たり前なのですけどね(苦笑)
後で少し調べてみたいなぁ~とは感じました。
仏像を見るのが好きなので、ついほだされる興味でありますが(^^ゞ

物語は仏像を彫る仏師が自分の修行(仏師の道を求めて)の為に妻を置いて京に上り、三年も音信不通で戻ったら、師匠は賊に殺されその娘である妻は賊に凌辱され行方知れず・・・・その妻を置いて己の道のみを求める一心で妻を顧みなかった、守り切れなかった己を責め、問い続ける・・
物語の詳細は省くが、その妻を救い出そうと妻を探し続けていくうちに・・・『かくれ』の徒と出会い・・・。。。

何かの道を極めることは難しい。
全てを投げ捨てて一心に打ち込むあまり、己を貫き通したいあまり、気付かぬうちに周りの大事な人を傷つけたり不幸にしたり・・・という話は物語にはよくある話ではある・・・
人の道を捨てて己の道のみを求めるのは六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の天道に当たるのではないか・・・ある意味、自己中である・・・という風に理解したが・・・なるほどなぁ・・・
「天」だから素晴らしいのはない、人は常にその六道の中を行ったり来たりしているらしい・・
食べてる時は餓鬼道・・・という感じですかね(苦笑)
どこまでも生きている限りその苦は続くのであるから・・・時々は仏心であったりもするし、一心不乱だったりもする、邪であったり、意地悪であったり・・・どこまでも愚かな生き物でありますねぇ・・・などと、自分をふと振り返る・・・(苦笑)

なんだかなぁ~・・・べっぴんさんのヒロインがいつも口癖のようにつぶやく言葉が・・・今の気持ちとしては便利である・・・ため息がでる・・・(苦笑)
コメント (4)
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