クズラのブログ

日頃の農作業や社会活動、そして両親の介護などを綴ります(22年1月記)

父のショートステイの間は自宅に帰って作業

2022-01-21 | その他
 今日(1月21日)は父がショートステイから帰ってくる日で、僕が17時前に田舎に帰ると、父と母は父の部屋で何か話していました。僕は「帰ったよ」と言った後、車から荷物を下ろし、炊事場の片付けなどをしていました。しばらくして父の部屋から「ご飯にしよう」という声が聞こえ、庭に出ていた母も戻ってきて3人で夕食。夕食の途中、父が食べかけていた唐揚げが箸からすべって床に落ち、母から「食べるときは口の下にお皿を受けて・・・」と注意が入り、僕も母に賛同してしまい、父は機嫌を損ねて「お前ら、親子してお爺さんを悪う言う」とすねました。父は文句を言いながらも、部屋に戻って寝てくれました。

 自宅にいた3日間の僕は、田舎の買い物の清算、我が家の家計簿への記帳、請求書に対する送金、介護施設や役所・農協・共産党などの書類のチェックや作成、残飯暈しの準備、残飯暈しの埋設、残っている家事などのいつもの作業をしました。また、遅くなっていた共産党議員の議会報告配り、赤旗日曜版の配達、集金、赤旗日刊紙の早朝配達(金曜日が僕の担当です)も行いました。やり残したこともありますが、時間を見つけてハマチと大根の煮付、かぼちゃと豚肉の甘煮も作り、煮大根とかぼちゃは少し田舎に持って行きました。

 毎週木曜日は母のデイサービスです。母はデイサービスに行くのが楽しみで、前の日から行く用意をして、後で聴くと「楽しかったー」と言います。

田舎で木を伐採。慣れないチェンソーで疲れる

2022-01-19 | その他
←剪定した梅の木(左上に少しだけ枝を残している)

 今日(1月19日)から3日間、父はショートステイです。
 6時過ぎ、父の部屋に蓋つきのコップに入れたスキムミルクを持っていくと(朝スキムミルクをお湯で溶いて父に飲んでもらうのは、母がかなり前からやっていた習慣です)、父は部屋のトイレから出たところだったので、声をかけてスキムミルクをベッドの端に置き、トイレのかごを見ると軽めの使用済み尿取りパッドが2枚あり。これなら紙パンツの方は濡れていないなと思いました。以前は、2回分吸収用のを使っていて尿が漏れることがあり、3回分に替え、4回分に替え、最近は5回分のパッドを使っています。
 父はゆっくり動作で、母に手伝ってもらいながら着替えを済ませ、食事と薬の服用、検温を済ませ、トイレにも行って、施設からの迎えに間に合ってショートステイに出かけました。

 午前中は、先日から母に頼まれていた、下の雑種地に生えている木の伐採をしました。チェンソーを家の温風ヒーターで温めてからエンジンをかけ、まず枇杷の木に取り掛かり、太めの枝を切り落としていき、最後に根本近くを切り倒しました。その琵琶の木は、世話ができていなかったので、まともな実がならなくなっていたそうです。次に花枝の木を何本か切り倒し、そして梅の木の太めの枝を切っていきました。チェンソーに不慣れだったので、枝の切り落としのときにチェンが2回はずれ、切れ味も悪くなって、途中でほとんど切れなくなってしまい、本日の伐採はここで終了しました。

 父がショートステイで施設に宿泊しているときは、僕は自宅で宿泊します。田舎では母が1人になりますが、ご飯だけは自分で炊けるので、おかずを作り置きしておけば大丈夫のようです。
 僕は、お店で買った海苔巻き弁当を食べながら車で自宅に帰りました。慣れないチェンソーで疲れていたのか、お腹の調子が少し悪くなり、ときどき横になったりしていて、出席予定の共産党県委員会主催の動画作成講習会には行けませんでした。行ったとしても、大半は居眠りしていたと思います。

母からも保険証や診察券を預かる

2022-01-18 | 介護
←今朝は雪景色。土の上の雪は解けています。

 今朝(1月18日(火)デイサービスの日)の父は順調でした。6時過ぎにお湯で溶いたスキムミルクを父の寝室に運んで「おはよう」と声かけ。トイレの隅に置いてある、中にナイロン袋を敷いたかごに使用済みの尿とりパッドが1枚だけ(いつもは2枚くらい入っていて、濡れた紙パンツが入っていることも)。ソックスを履き替え、ズボンと上着を身に着けて、食卓まで出てくるのは相変わらず遅い。でも、残り物の焼鮭を温め、具だくさんの味噌汁、その他の残り物を食べ、施設の連絡帳に書くための体温を測り、トイレに座って用を足し、玄関に出てくると8時半過ぎ。ちょうどそのころに施設からの車が来て”出勤”(父が「出勤」だと言うんです)できました。

 母は、昨日(17日)夜中に「あった、あった」と言って保険証の入った小物入れを僕に渡してくれました。3日前に地元の病院にかかったときから保険証が見つからず、ずっと探していたのですが、母の寝室の枕元にある箱の隅にあったそうです。こんなことは以前にもありました。母が受診するときは僕が付き添うので、これからは僕が保険証や診察券を持っておくことにしました(父のは以前から僕がもっています)。母は、夜中に洗濯したり入浴したり雑用をしたりします。今は、朝食後の食器を洗ったあと、ベッドに斜めに横たわって眠り続けています。

落ち込んだことも忘れてくれる"認知症"

2022-01-17 | 介護
 1月17日、父はデイサービスの利用日でした。僕は、昼間に自宅で用事を済ませ、少し買い物をして、17時すぎに田舎に帰ると、父はいつものように施設の方に送ってもらって母の待つ田舎の家に帰っていました。父の部屋に行って「帰りました」と言うと、父も帰って間がなかったみたいで「帰りました」と返してくれました。今朝の重たい雰囲気は忘れ去られたみたいで、これが認知症のいいところだなと思いました。
 夕食は、冷蔵庫のご飯を温め、サケを電子レンジで焼き、あとは残り物(南瓜と鶏の煮物、ひよこ豆の煮物、千切り大根の酢の物、鯖の甘酢漬け、買った漬物類)で済ませました。

便が軟らかくなりすぎて失敗か

2022-01-17 | 介護
 昨日(1月16日)は、父と「今日は天気が良さそうじゃから、昼から少し歩こうや」と話していたけど、午前中に排便を失敗。軟便で、便座に落ち着く前に漏れたみたいです。それで落ち込んだのか、午後の歩行はやめて、ベッドに入って寝ました。
 夕方は、トイレの汚物入れの上に尿取りパッドが置いてあり、開くと軟便が付いていました。普段はあまり失敗しないのに、今日は2回も失敗。
 夕食後は普通に床に就きましたが、深夜に大きな声で「おーい」と呼ばれ、父の部屋に行ってみると濡れたズボンとズボン下、ソックスが部屋のトイレに脱ぎ捨てられていて、父は「こねーに布団を冷とうして、しっこが漏れたがな」と怒っています。電気シーツの温度調節が冷たい方にいじられていました。「誰が冷とうしたんなら」と怒られましたが、父以外にいじる人はいませんでした。乾いたズボン下、ズボン、ソックスを持っていくと、自分で履いて寝ました。
 今朝(17日)は父の動作が非常に緩慢で(昨日の落ち込みを引きずっている模様)、朝食は何とか済ませましたが、施設からのお迎えまでにトイレが済まされず、数十分遅れで僕が送って行きました。父は、朝と夕に酸化マグネシウム(カマグ)各1錠を他の薬といっしょに飲んでいますが、今朝は朝の薬からカマグを除いて飲んでもらいました。カマグは便を軟化させるみたいなので、今朝は飲まない方がいいと考えました。薬は、朝は5錠、夕は7錠飲んでいて、以前は僕の手から父の手に手渡ししていましたが、たまに薬が床に落ちていたこともあったので、今は薬を小さなカップに入れて渡しています。

田舎で介護しています

2022-01-16 | 介護
←お正月に柚子ジャムを作って、お遊びで柚子の皮の中に入れてみました。

 2020年ごろから、田舎の父に対する母の老々介護が限界になり、僕の妻と協力して、介護と家事の援助で田舎と自宅を通うようになりました(田舎は車で35Kmのところです)。

 20年5月、蕗取り中の妻が斜面から転落、大腿骨折して2カ月入院しました。僕は、田舎の両親の介護や自宅の家事などで右往左往。

 今は、1カ月30日のうち20日間、田舎で介護や家事の手伝いをしています。妻は自宅でリハビリ中ですが、最近は田舎の介護・家事などたまに手伝ってくれるようになりました。
 父は、1カ月のうち14日(4回)のショートステイと13日のデイサービスを利用しています。母は週1回のデイサービスを利用しています。ときどき父が「今日は行かん」と言って困らせることがあるので大変です。

2022年度も冬期湛水を試みます

2021-10-29 | 冬期湛水田

 10月27日夕から上段の田んぼの湛水を始めました(田んぼは稲刈りをしたまんまです)。このところ、雨が2度降ったので、貯水池(「大正池」)から水が流れはじめました(上の写真は翌28日午前撮影)。

 12月5日の田んぼ。ときどき雨が降るので、湛水が途切れることなく続いています。
 田んぼの右端は、小川などへの水漏れを減らすために代掻きしています。
 電気柵の効果もあって、イノシシにも入られていません。
 今のところ順調です。

冬期湛水(?)に再度挑みます

2021-03-13 | 冬期湛水田


 3月13日、昨夜から本日未明に降った雨で、やっとため池(大正池)の水が堤を越えて流れ始め(上写真)、田んぼに水が溜まるようになりました。以前は冬期から水が流れて湛水ができていましたが、最近は雨が少なく「春期湛水」になっています。

 田んぼはイノシシが掘った穴が開いたままですが、水を入れています。その後、雨が降らず、田んぼが干上がることが数回ありました。

 3月27日、近くの狩猟名人から、冬以降にこの近くでイノシシを2頭獲ったと聞きました。今年はイノシシの被害が減るのではないかと期待しています。

 6月1日、田んぼを半分ほど代掻きしました。田んぼの水が少なかったので十分な代掻きにはならず、また、イノシシが開けた窪みが多いので、田んぼの表面はデコボコです。

 6月2日、田んぼの残り半分を耕しました。右の写真は、田んぼのあぜに生えている桑の実です。

 6月8日に代掻きして、10日に田植えをしました。
 今年は、両親の介護(主に朝夕の食事を作っていっしょに食べ、父を介護施設に送り出す)に時間を費やし、草刈りなどの農作業が遅れ、6月4日には軽い接触事故もあって、綱渡りのようでしたが、何とか田植えができました(この田んぼの下の小さい慣行田2枚、表の大きい慣行田1枚も植えました)。

 表(窪)の慣行田の畦にカモが巣をつくって卵を温めていました。
 7月13日、田んぼの畦に近づくと、1羽のカモが飛び立ちました。飛び立った辺りを見ると、カモの巣と卵がありました。触ってみると温かい。この畦は、2日前に草刈をしたばかりなので、卵を産んで間がないようです。カモの父さん母さん、頑張って育ててな。

 7月25日、側溝から田んぼに入る水の量が少なかったのですが、広い用水路から小川に落とす水路に塩ビパイプを突っ込んで、左にある田んぼに水を入れることにしました。塩ビパイプの支え棒は、最初は物干し竿2本つないだものでしたが、折れ曲がったりするので、9月10日単管(4mと3m連結)に替えました。

 8月26日の田んぼ。数日前から出穂が始まりました。でも、肥料不足で葉の色が薄くなっています。

 これから、稗抜きの仕事が残っていますが、時間が取れるかどうかはっきりわかりません。

 あと、猪ちゃんが出てくるかどうかも心配です。

 9月4日、田んぼの稲の上部に数個、葉っぱなどを寄せ集めた丸いボールがくっついています。これって、カヤネズミの巣?それとも何かの虫の巣?
 先日、下流で稲作をしている人から「水路が草でおおわれて水の様子が分からん、あんたの田んぼの周りを刈っといてもらえんか」と言われました。3日かかりましたが、今日刈り終えました。

 9月10日頃、奥(片島)の最上段にある畑(実態は草地)にイノシシが入りました(右写真)。農作業に十分な時間が割けない中で、畦草刈が遅くなり、伸びた草が電気柵の電圧を下げていたからだと思われます。
 9月15日にやっと奥の田んぼの上段までの畦草を刈りました。なお、この畑の畦草刈はできなかったので、その電気柵への通電を切断しました。

 10月6日、稲刈りが終わりました。初日の3日は、コンバインから煙が出て、Vベルトを交換。そして奥の下段、中段(どちらも冬期湛水ではないけど無農薬無化学肥料です)と刈り、上段は途中で夕暮れになって中断。4日と5日は表(窪)の慣行田を刈りました。
 6日の朝、奥の上段の続きを刈ろうと思って、初日(3日)に籾の乾燥・籾摺りを頼んだところに搬入の電話すると、量が少ないからもう引き受けられないと言われ、別のところを探して搬入しました。なお、そこは最低料金が2万5千円だと言われて、高いコメになるなと覚悟しました。

 10月11日、2か所に出していた籾の乾燥・籾摺りができました(3日に出したところの料金は6千円でした)。合わせて玄米が5俵と2㎏できました。約2反の田んぼなので、反当2.5俵になります。去年はイノシシ被害で壊滅的だったのと比べると少しはましですが、刈り取りを1日で済ますなどの工夫が必要だと感じました。
 なお、12月にJAから表の田んぼ(慣行田)の清算書が届きました。一般米が14.5俵、屑米が2.3俵、計16.8俵(反当6.2俵)でした。販売単価は一般米8,700円/反(屑米は3,204円/反)で、例年の6割に下がっていました。

トマトの直播とポット蒔

2021-03-10 | 慣行農業


 3月8日、枯草に覆われた奥の畑に、トマト(甘九郎)を直播しました。枯草を少し押し分けて種を1粒ずつ蒔き、土をほんのり掛けた上にスクモを掛けました。46か所に蒔きましたが、この種袋の種は軽いものもあったので、発芽率は低いだろうと思います。

 3月9日、自宅でポットにトマト(ホームトマト桃太郎EX)を12粒蒔きました。

 残った13粒の種は、昨日のトマト(甘九郎)に続けて蒔きました。そして、昨日草焼きをした灰があったので、蒔いた種の間に少しずつ入れました。(左写真:立てた棒の右が甘九郎、左が桃太郎です)

 3月27日朝、自宅のポットから発芽していました(右写真)。自宅は畑よりも温かいところにあります。
 結局、奥の畑に直播したトマトは全滅でした。

 4月19日、自宅で発芽したトマト7株を奥の畑に移植しました。

大根を蒔きました

2021-02-24 | 慣行農業


 2月24日、小屋前の畑に青首大根を蒔きました(上写真。小屋前から撮影)。

 青首大根を3粒ずつ50カ所に蒔き、水を遣ってスクモを被せました(昨年から両親の介護に費やす時間が増えたので、野菜作りにあまり時間が割けなくなっていたので、久しぶりの種まきです)。

 畑には、去年の秋から落ち葉や柴などを入れてきて、それがまだ形をとどめているので、大根の真っすぐな成長は諦めています。

 そこで、固形物を堆肥化させようと思い、藁で囲いを作って、落ち葉や柴などを集めて入れました。うまくいくかどうかわかりませんが(右写真。畑の奥が小屋)。

 3月3日、人参(春蒔五寸人参)を蒔きました。大根の畝の延長線上に94カ所蒔き、スクモをかけました。

 写真の奥が小屋で、いちばん左(=山側)の畝は今年休作にします。
 左から2つ目の畝には、小屋寄りに大根、手前に人参を蒔いています。

 3月8日、スクモから大根の双葉がのぞいていました(写真右)。

 囲いの落葉にぬかを振り土を掛け。3月26日までにこれを2段作り、その上に落ち葉を入れておきました。

 3月26日には人参の双葉も出ていました。

 4月13日、まくわ瓜を7か所に蒔き(左写真の左畝)、インゲン豆をその向こうの畝に1条だけ蒔きました。昨晩少し雨が降ったので、水遣りが省けました。

 昨日(12日)は、春菊を筋蒔きし(まくわ瓜の右畝)、その右の畝にバジル(画像は手前半分が切れている)を蒔きました。

 5月6日、ナスを蒔きました(右写真中央の畝)。2月に立てた畝の表面を三つ鍬で耕し、茄子の種を3粒ずつ34カ所(17×2条)に蒔き、スクモを掛けました。

 その右の畝では、手前で大根が、その奥で人参が成長しています。茄子の奥には枝豆を蒔き(4月10日)、茄子の左畝には手前にバジル(4月12日)、その奥に空心菜(4月28日)を蒔いています。また、5月6日には春菊の奥にオクラも蒔きました。

イノシシに喰われだしたので早めに稲を刈りました

2020-09-25 | 冬期湛水田


 9月22日から23日にかけて、片島(奥の田んぼ)の稲を刈りました(写真は9月18日)。

 以前からたまに、イノシシの足跡やあぜ際を掘った跡が残っていたので、あぜの際などのミミズを食べたりしていたと思われます。

 数日前から稲穂が食べられるようになり、”これは急がんといけん”と思って予定より少し早めに水を止め、田んぼを干していました。

 そして22日、何とかコンバインが動かせるところまで干たと思い、午後にイネを刈り始めました。イネは2~3割がイノシシに食べられている状態でした。
 しかし、湿った田んぼでコンバインの不慣れな旋回などをしため、移動用のV字ベルトが傷んで切れてしまいました。
 農機具屋さんに修理してもらって、足りなくなった燃料を買ってきて、稲刈りを再開しましたが、半分ほど刈り残した状態で薄暗くなりました。
 その日の内に籾摺り屋さんに持って行こうと焦り、薄暗く細い坂道でバランスを崩してコンバインが横転。そのとき打ったわき腹に少し痛みがありましたが、ほぼケガはなし。でも、暗くなって1人ではどうしようもないのでその日は帰ろうと思って、横転したコンバインが塞いだ道を避けて、別の細い道を進んでいたら軽トラが脱輪。知人の軽トラを借りて帰りました。

 翌23日、父を介護施設に送り出して9時ごろ現場に着いてみると、農機具屋さんから2人来てコンバインを起こしてくれていました。昨晩は思い悩んであまり眠れなかったので、ほんとにありがたかった。
 脱輪した軽トラは、知人がジャッキも貸してくれ、手伝ってもらって脱出。これもありがたかった。

 その後、残ったイネを刈って籾摺り屋さんに持っていくことができました。
 今年は、雨不足で冬期湛水ができず、除草もできなくて、肥料不足になってイネの分けつが進まず、大いに不作でした。
→田植えなどの記事

 9月29日、頼んでいた乾燥調整ができ、中段の田んぼと合わせて121.9キロありました。上段の田んぼの広さの割合で計算すると約100キロ(反当1.7俵)あったことになります。

田植えが済みました

2020-06-18 | 冬期湛水田


 6月16日に田植え機で苗を植え、17日にあぜ寄りの2条だけ補植、入・排水の調整、電線下の草刈りをしました。
 3月以前は水不足で湛水できなかったので、中途半端な湛水田です(→経過)。

 イノシシが凸凹にしたあとの補修や代かきが不十分だったため、田んぼの凹んだところで苗が水没しています。

 中段の田んぼ(右写真)は湛水田ではありませんが、苗があったので田植えをしました。昨年はヒエがたくさん生えて、その種が落ちている田んぼです。
 9月中旬の稲が実り始めたころ、田んぼに入る水が止まった機会に、ヒエと大きめの雑草を抜きました。短時間ずつですが6~7回でほとんどのヒエを抜きました。肥料不足であまり株が張ってなかった分、比較的抜きやすかったです。

 下段の田んぼは、ヒエの種が落ちる前に刈っていたのですが、今回は苗が足りず、田植えができませんでした。

(中途半端な)湛水田の話に戻ります。
 
 上写真の左は7月30日の田んぼです。肥料不足で稲の分けつは進まず。右は9月7日に抜いたヒエです。

 稲が実り始めた9月中旬、3日続けてイノシシが田んぼに入りました。子どものイノシシの様で、荒らされたところは一部分です。

 9月16日、「黒い灰があれば警戒するらしい」という話を父から聞き、イノシシが入ったと思われるあたり2か所でワラを焼いてみました(左写真)。その2日後の雨によって「黒い灰」が流されると、イノシシの侵入は続きました。

 9月22~23日、まだ田んぼの乾きは不十分でしたが、イノシシに2~3割食べられたので、早めの稲刈りをしました。コンバインの刈り取り部にイグサなどの雑草が絡んでときどきコンバインを止めて雑草取り。田んぼがじるいため、コンバインの方向転換などに負担がかかり過ぎてベルトが切れ、農機具屋さんの修理が終わるまでしばし中断、日が暮れてコンバインを移動し、路肩に乗り上げて横転してしまいました。そんなことがあって、稲刈りに2日かかりましたが、モミの収穫は少量でした。
">→稲刈りの詳しい記事へ

2020年5月、さつま芋植える

2020-05-11 | 慣行農業


 5月11日、奥(片島)の畑にさつま芋の苗を植えました。購入が遅かったようで、お店には枯れかかった苗しかありませんでしたが、比較的青みが残っているものを選びました。カウンターでは、日にちが経っているので3割引きにしてくれました(698円。26本ありましたが1~2本はほぼ枯れていた)。

 今年は親の介護や妻の入院で忙しくなって、片島の畑は草の中に埋もれていました。

 10月中旬、草の中から顔を出して2~30枚ほど葉っぱをつけていた芋づるを伝って、草の中の葉っぱをつけていない部分を辿って行くと、つるは曲がりくねりながら草の中を這っていました。つるの元に辿り着き、その周りの草を刈って、芋を掘ってみました。すると、1つのつるに小さめの芋がだいたい1つ付いていて、葉っぱの少ないつるには膨らみのないままの根がついていました。
 上の写真は、手前が、青いの容器に収穫した小さな芋と、その奥が、草むらから顔を出して葉っぱをつけている芋づるです。


 比較的見る機会がある小屋前の畑にもさつま芋を植え、10月6日に2つの株を掘ってみました。その1つの株で、4ℓ缶に近いくらいの、これまでに見たものの中では一番大きなさつま芋が穫れました(右写真)。

2020年4月、枝豆を蒔く

2020-04-23 | 慣行農業


 4月22日、奥(片島)の畑に「おいしい枝豆」を蒔きました。種を1袋買って、20cm毎に1粒蒔いていると種が足りなくなり、2袋を買い足して蒔きました。合わせて200粒ほど蒔きました。

 当日の写真は誤って削除してしまいました。上の写真は6月4日のもの。雑草に負けそう、頑張れ!

 6月10日、土寄せして、一部の枝豆の周りの雑草を抜いていました。

 数日後、雑草を抜いて目立つようになった枝豆は、わずかな茎だけ残してカラスかアオサギに食べられていました(左は、大雨が降った翌日の19日の写真)。
 それに対して、雑草を抜かず雑草とともに生えている枝豆は、ほとんど食べられていません。

 奥の畑は、手入れの余裕がなくて草に覆われました。

 6月26日ごろ、小屋の前の畑にも枝豆を蒔きました。

 7月15日に土寄せしました。右写真は7月31日のものです。

2020年4月、パクチーを蒔く

2020-04-23 | 慣行農業


 4月21日、奥(片島)の畑にパクチーを蒔きました。電気柵に沿って、柵側には溝を掘らないで、10cmごとに2粒くらい蒔きましたが、自家採種の種が不ぞろいなのが心配です。
 柵の外は山の裾でイノシシが出やすいので、パクチーの臭いでイノシシがかく乱されて内側の野菜が守られることも狙っています。

 パクチーの芽が出ません。種のせいなのか天候のせいなのか分りません。

 5月10日、種を購入して再度蒔きました。

 6月3日、あぜ道などを刈った雑草を置く場所がなかったので、育った(?)パクチーを全部抜いて、その後に刈った雑草を置きました。

 右の写真が、今日抜いた、可愛いパクチーです。早く抜いたこと、1か月以上耕していないところに蒔いたので、生えてきた雑草に負けたこと、肥料が不足していたことが、この可愛さの原因だと思います。

 これ、まむし?写真の左上部が頭です。

 ようわからんのじゃけど、水路の周りを刈った雑草を片付けてたら、出くわした。