大分県中津市耶馬渓町の雲八幡宮で5日、「湯立(ゆだて)神楽 火渡りの祭(まつり)」と題した神楽祭りがあった。宮司代替わりの際にだけ執り行ってきた祭りで、1991年以来32年ぶりの奉納。コロナ禍を乗り越えてようやく開催にこぎつけ、境内は地元の食が楽しめる出店も並び、終日にぎわった。
市内で神楽を継承する植野神楽社と戸原(とばる)神楽社が共演。三十三番におよぶ演目を朝から晩まで約12時間かけて奉納した。湯釜の火のそばで、鬼の面をつけた舞い手が「斎鉾(ゆぼこ)」と呼ばれる高さ約10メートルの柱によじ登って餅まきを始めると、盛り上がりは最高潮に。最後はならした炭火の上を神職や氏子、参拝者らが次々に歩いて締めくくった。
☆
これは行きたかった、が、宮崎から現地・大分県中津市耶馬渓町までは東九州高速道をぶっ飛ばしても6時間かかる。近くて遠い国。
私と弟(高見剛)の生まれ、育った村(英彦山山系の山の村日田市秋原町戸山ノ台)には、昔は耶馬渓から神楽が巡って来ていた。一度だけ、村の神社で開催された神楽を見た記憶があるが、それは遠い霞の彼方の景色。舞の途中で鬼神が跳躍し、神楽が舞われている拝殿の高い梁に飛び乗り、またひらりと飛び降りてきた場面を鮮やかに覚えている。山麓の小野地区や藤山地区にも来ていたという。英彦山山系の神楽が「豊前神楽」の様式でこの地方一帯に分布していたものと考えられる。私は25年ほど前に英彦山峰入り修行に同行し、小倉から英彦山まで山中走破の旅をしたことがあるが、修行の最終日に山伏たちが英彦山神宮前で神楽を奏上した。太刀の舞で地霊を鎮め、弓矢の舞で悪霊・悪鬼を防ぐ神事舞であった。矢は、森の奥へと放たれた。豊前地方の人たちは、山伏が山から下ってきた時に満願祝いの神楽を開催して迎えた時代もあったと言っていた。
近年、各地で途絶えていた神楽が復興・復元される例がみられる。この神楽も近隣の神楽座の協力を得て開催されたという。これも神楽の復元と伝承の一つの形であろう。
*撮影は高見剛。