森の空想ブログ

猪の跡を追跡し、狩るという儀礼/米良山系「銀鏡神楽」の「シシトギリ」 [九州脊梁山地・山人の秘儀と仮面神<14>]

昨日まで、米良山系尾八重神楽の「猪鹿場祭り」と銀鏡神楽の「シシバマツリ」を見た。これは、動物霊を供養する儀礼と猟師の山の神を祭る儀礼が混交したものである。
これから、同じく米良山系に分布する「シシトギリ」をみてゆく。これは、猪の足跡を追跡し、狩る儀礼である。古式の猪狩りの作法を再現した「神楽」と解釈することもできる。次回にみる村所神楽の「狩面」の最後に、猪をしとめた猟師たちが、「猪が獲れたぞ、カクラ舞いを舞うぞ」というくだりがあることから、それを説明できる。
以下は、来月発刊予定の「新編/火の神・山の神」(花乱社)に収録された文から抜粋したもの。


・銀鏡神楽/奉納された猪頭

    
狩法神事「シシトギリ」 

 銀鏡神社の本殿は、厳粛な雰囲気を持つ社殿である。質素な、古びた木材が、その歴史を物語り、辺りには清明な空気が漂う。華美な装飾はないが、屋根の妻の部分に大ぶりの赤鬼の面が取りつけられており、その様式の古さを伺い知ることができる。
 屋根に取りつけられている鬼面は、通常みられる鬼瓦とは違って、この地方で「破風面」と呼ばれる木製の仮面である。「阿」と「吽」の一対の面が、東西の破風に一面ずつ取りつけられているところから、これを「守護面」と位置づけることができる。「日の王・水の王・風の王」という仮面との関連で考えることも可能である。鬼瓦や沖縄の屋根獅子などと同様の古い起源や来歴を有しているのかもしれないが、古面そのものは一度盗難にあっているということなので、断定はできないが、地区の山の神神社に中世頃のものと思われる破風面が現存するから、古くはこの地方にこの様式の仮面が分布していたものと見られる。
 銀鏡神楽の式三十二番「シシトギリ」は、この神社での「本殿祭」のあと、行われる。 本殿の後方に、「ユーギまたはユーキ」と呼ばれる御幣(神様が渡って来る橋)や、「カミノモリ、タカノモリ、ヤハズノモリ」などと呼ばれる人形御幣〈ひとがたごへい〉が飾られていることはすでに述べた。山の神様は、いろいろなかたちで降臨なされるのである。
 さて、本殿祭がすむと、舞人(祝子)や氏子や見物客などは、前夜から明け方にかけて神楽が舞われていた場所へと移動する。「シシトギリ」がいよいよ始まるのである。
 式三十一番「鎮守<くりおろし>」の舞の後、注連柱や御神屋などは取り壊され、柴垣に使われていた椎の葉が堆く積み上げられている。それが狩りの行われる「山」を表す。このシシトギリは、神楽の演目の中に加えられてはいるが、本来、べつの祭りとして存在していた狩猟の儀礼だということが、ここまでの一連の儀式でわかる。いくつもの神社が合祀され、習合した歴史のように、このシシトギリもまた、いつのころからか銀鏡神楽の演目として加えられたのであろう。
 社務所の裏手から、「ホッ、ホーイ、」という掛け声をとともに出現するのは、翁面を被った猟師と、媼面を被ったその妻である。これは豊磐立命<トヨイワタテノミコト>と櫛磐立命<クシイワタテノミコト>の二神であるという。社務所は付近の民家と変わりはなく、二神は、老いた猟師夫婦あるいは爺(じい)と婆(ばば)といったほうがわかりやすい。
 爺も婆も、長い弓と矢を手にしている。爺は股間に大根(男根)をぶら下げ、婆は前掛けをしている。互いに声を掛け合いながら、狩場に近づいた二人は、耳を澄ますふうをして、遠い峰の彼方に向かって、爺が、「オーイ、どこそこのだれそれどんは〇〇の峠に居ってくれーい」と呼びかける。彼方から(じつは観衆の中から)「ホッ、ホーイ」と応えがある。続いて、爺は「どこそこのだれそれどんは〇〇の木のそばにいてくれーい」となじみの深い猟師の名を示し、位置の確定を指示する(これをカクラのマブシワリという)。すぐに「ホッ、ホーイ」と応えがある。このシシトギリは、猪を遠巻きに巻いて(囲んで)仕留める巻き狩りの所作や猟師の作法などをこの場に再現しているのである。
 婆は勢子<セコ>で、爺が射手<マブシ>である。爺は、マブシであるとともに、この猟全体を差配する頭<かしら>でもある。
 さて、狩場に着いた爺と婆は、一服つける(一休みする)。背に負って来たテゴ(ツヅラで編んだ背負い籠。この地方独特のもの)の中に、メンパと呼ばれる曲げ細工の弁当箱が入っており、ささやかな昼食をとるのである。弁当の中身は、握り飯と梅干しとたくあんだけの質素なものだ。箸は爺が薮から切り出してきた小枝で拵える。婆とのやりとりやその所作が飄々としておかしみを誘うが、それは、山での生活の実際と寸分違わぬものである。
 二人が弁当を食べ終えるころ、遠くで犬の声がする(といっても、実際に犬が吠えるわけではなく、爺のしぐさでそれがわかるのである)。
爺は、「おっ、犬が縦(つ)けたぞ」と、婆を急き立て、弓矢を採る。ここで、狩行事との問答がある。このシシトギリは、爺・婆と狩行事の三人だけしか登場しないのだが、大規模な巻き狩りの様相を彷彿とさせるところが見事だ。狩行事は、マブシとの問答のなかでカクラ(神倉=狩座)について語るのだが、古語と米良言葉、狩り言葉などの混じったその内容を私どもは聞き取れない。
 爺と婆は、いよいよ猪を山(椎の葉を敷き詰めたシメ)に追い詰め、仕留めようとする。ところが猪の抵抗は激しい。逆に猪に追われた爺と婆は、手近にあった椎の木によじ登ろうとするが、木は二人の重みに耐え切れず、倒れてしまう。観客がどっと笑う。
 猪狩りは生命の危険をともなう激しい猟である。迫真の演技は、いつしか観客を狩りの現場にいるような緊張と興奮状態へと導き、剽軽なしぐさはまた、笑いを誘う。
 ここには、古い時代の狂言の色彩が濃厚である。が、仮面をつけた二人の老人は、もはや架空の人物ではなく、生命を賭して猪と闘う老練な猟師と化している。固唾を呑み、そのなりゆきを見つめる観客の幾人かの目には、すでに野生の炎が宿り、ゆらめいているのである。それが、近在の村人や猟師であることを私は知っている。彼らにとっては、それは繰り返される日常の行為そのものなのだ。それが、こうして「祭りという場」で神の化身として演舞者によって表現されれば、いつしか自分自身も神の領域の一員と化し、狩りそのものを再体験しているのだ。




 私も、いつの間にか、かつて山で暮らし、祖父や父や、村の大人たちと一緒に鹿や猪を追って山を駆けた日々の自分に還っていた。
(爺さん、頑張れ、それ、逃すなよ・・・)
(危ない、逃げろ、逃げろっ!)
(そこだ、射てっ!)
 声援を送り、右へ左へ、体を動かす。人波も同様に揺れているから、ここで感情移入しているのが私だけではないことがわかる。こうして、騒動の果てにようやく猟師は猪を仕留める。椎の葉の下にあらかじめ隠されていたマナイタが、猪と見立てられたご神体である。狩行事は、それに向かい、古伝による「ケバナカケ」の呪文をとなえる。この年、椎の葉の下に隠されていたのは、マナイタではなくて本物の猪であった。祭に先立って行われた猟で、折よく獲れたというのである。重さ10キロほどの瓜ン坊だったが、爺がそれを背負うときには、おもわず生唾を呑み込むほどの迫力があった。
(ホッ、ホーイ、大きな猪が獲れたぞーい)
(ホッ、ホーイ)
 爺は猪を背負って、山を下り始める。
(ホッ、ホーイ、若いもんは加勢に来てくれーい、大きな猪が獲れたぞーい)
(ホッ、ホーイ)
 私はその後を追って歩きながら、
(爺さん、良かった、良かったなあ・・・)
 と胸のうちで呟いている。
私の頬に、涙が流れている・・・。


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