森の空想ブログ

私の昭和史(五)―子供の遊び/白い花の咲く頃(69)[詩人・伊藤冬留のエッセイと画人・高見乾司の風景素描によるコラボ]

私の昭和史(五)―子供の遊び

伊藤冬留

団地の防犯パトロールをしながら、子供時代のチャンバラごっこに話の花が咲いた。筑後地方では漆(土地の名産)の木刀を相手にこすりつけ、皮膚をかぶれさせたそうだ。それで被害の子は1週間は病院通いだったとか。私たちもチャンバラはしたが、刀はもっぱら川原に生えるネコヤナギだった。柔らかくて細工が容易だったから。
ところでよく遊んだのは「けんけんぱ」。私の郷里では短く「けんぱ」といった。地面に釘で円を描いて長く連ね、平べったい小石を円に投げ入れ、石のある丸を避けながら一つ丸は片方で「けん」、二つ丸は両足で「ぱ」と踏み往復した。
鬼ごっこは色々あって、替り鬼(鬼にタッチされたものが新しい鬼)、助け鬼(捕まった捕虜をタッチして開放する)、手繋ぎ鬼(捕まった新しい鬼も入れて手を繋ぎ、獲物を追う)等があった。
縄跳び、コム跳びは私は苦手だった。後年東京郊外の小さな私立学校に勤務の時、子供たちが男女仲良く跳んでいたし、中国・大連に語学留学していた時も地元の子供達が路地裏でゴム跳びをしていて懐かしかった。
もう一つはメンコ(郷里ではこれをパッチといった)。色刷りの絵を貼った大小の円形の厚紙の遊具で、4、5人でこれを地に打ち付け、相手の札を裏返したら自分のものになる。柔よく剛を制す、を地で行って、小が大に勝つと大喜びした。北国は春が遅く、雪が解けて少し土が顔を出すと、子供らはすぐ集まってメンコをした。
他にも色々あるが、最後に三角ベースボール。電柱や街路樹が塁で、ホームベースは釘で地面に描いた。グローブはなく素手。ボールは小石を芯にした布製。バットも自分たちで削った。鬼ごっこもそうだが遊ぶ所は家の前の道路で、今のように車など走っていなかったから子供たちの天下だった。遊ぶときは男の子も女の子も一緒。戦後間もなくで物はなかったが、子供達にはいい時代だった。

二〇一六年十一月二日 執筆

            
            「遊」 水彩・インク・墨 18cm×38cm

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