森の空想ブログ

古代の女性シャーマンの系譜をたどる「女面」の歴史/「神楽」と「仮面」の民俗誌(7)[展示品解説⑦ /オンライン展覧会<4-7>]

「女面」を真っ赤なパネルの上に配置し、赤・黄・白の御幣を添えたら、古代の女性シャーマンを髣髴させる空間となった。古代の女性シャーマンといえば、「天照大神」「天鈿女命」をその頂点とする。天照大神は太陽神であり、大和王権を象徴する国家の最高神である。天鈿女命は、弟神・スサノオノミコトの暴虐に怒り、岩戸に籠った天照大神を半裸の舞を舞い、八百万の神々の笑いを誘って導き出して太陽を復活させ、天孫降臨の一行の前に立ちはだかった先住の神・猿田彦をその性的呪力で和した、シャーマンである。芸能の祖・神楽の祖とされる由縁である。宮崎の神楽に、霧島山系から宮崎平野を経て米良山系の神楽には「神和(かんなぎ)」という演目が分布し、静かで呪術的な舞を舞う。この芸態は、鹿児島神宮に伝わる「隼人舞」と同系である。先住の神の儀礼が、宮廷の守護職・芸能職「隼人職」に関連しながら、天鈿女命の子孫「猿女君(さるめのきみ)」に引き継がれ、民間に分布したものであることを示唆する。

                

女面と女性芸能の源流については、以下のような謎と課題がある。

  1. 神楽や能楽などで男の演者が女面をつけ、女物の装束を着て演じる演目があるのはなぜか。
  2. その様式は、いつ、どのようにして発生したのか。だれが考案し、普及・分布したのか。
  3. 本来、神がかりの舞を舞うはずだった女性芸能者は、いつ、どこで、どのようにして消えたのか。あるいは現存するとすれば、どのような歴史と芸態をもつのか。
  4. 日本列島には縄文時代という長い歴史を有する時代があり、そこでは女性シャーマンが祭祀を行い、国を治めていたと考えられている。ところが古代から現代に至る歴史の中で、政治と祭祀は男性が行い、女性芸能者は時代とともに零落していった。この連続性と非連続性をどう説明すればよいのか。
  5. 女面を含む「仮面」は芸術性が高く、「神」として信仰されてきたものが多い。その製作者はどのような人々か。いつごろ発生して、どのように普及と分布に関与したのか。

上記写真2点は古代の神子舞を想定して撮影したもの。古代中国の歴史書によれば、2600年前頃の朝廷の儀礼として「日食があり、壇を設えて楽器を打ち鳴らし神がかりして太陽の再生を乞う儀礼を行なった」とある。それが日本の神楽「岩戸開き」の源流とすれば、いつどのようにして伝わり、現地では消失したのか。これらの「謎」について、既著「神楽が伝える古事記の真相」(廣済堂/2019)で私はくどくどと書いたが、まだ書き足りない。現在、「小説」の手法で一書の原稿は仕上がっているが、まだ発表の機会は得られていない。書き続けてゆくべきテーマである。

「女面」由布院空想の森美術館所蔵。

中之又神楽の「神和」

高千穂神楽の「天鈿女命」

諸塚神楽の「浮輪取」。天鈿女命が岩戸の開いたことを喜んで舞う。

諸塚神楽の「天照大神」。6歳~7歳の少年が神面をかぶって岩戸に籠り、春日大神の舞によって導きだされる。この時、はるかな山脈に昇った朝日が神面を照らす。


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