森の空想ブログ

花月川源流の一日 [風を釣る日々<5>] 



花月川(かげつがわ)は、九州北部の山岳地帯、英彦山山系の国見山と大将陣山を源流とし、下流で日田市を貫流する三隈川とともに大河・筑後川に合流する。
筆者はその源流部の村で生まれ、ふもとの花月小学校へ通い、中学校も高校もその流域にある。
母校・日田林工高校の校歌を紹介しよう。

 照る月、隈の丘を占め 巡り流るる花月川
 爛漫春は校庭を 埋むる花の色くわし
 健児こもりて 年たちぬ
 ―以下略

進路を誤ったことにより(文系志望のはずが工業高校の電気科に入学してしまった)、高校三年間は、あまり愉快な思い出はないが、この校歌と男子校ゆえのバンカラの気風は好きだった。
2012年、花月川が氾濫し、二箇所の堤防が決壊して大きな被害が出た。母校の周辺の豆田町、月隈山付近なども冠水し、古代伝説が語る湖のような風景が現出した。花月川と小野川(民陶小鹿田焼窯元のある地域の上流部を源流とする)が合流する戸山中学校付近も例外ではなかった。あの巨岩の下には、いつも鯉が群れていた、あの瀬はハヤのポイントが連続した、あの淵では飛び込みの競争をしたものだ・・・ニュースの画面に流れる場面は、少年期に親しんだ川筋が、壊滅した状況だった。



それから二年が経過した先日、その花月川の源流部を、およそ50年ぶりに訪ねた。
遠く青い山の彼方に遠ざかってしまった故郷の山河だが、今でも、時折見る夢の舞台は故郷の村であり、藁屋根の家であり、雑木林や小川のほとりである。年老いて生まれ故郷の村に帰るという心境ではないが、友人との待ち合わせ時間に変更があり、間が空いたので、なんとなく、訪ねてみる気になったのである。

国道が大きくカーブを描くなじみの場所から林道に入る。
昔はなかった大きな砕石場が砂埃を上げ、四辺の山々も川辺も白い粉をかぶった状態だったが、そこを過ぎると、懐かしい「花月林道」の標識。そして分かれ道に鎮座する山の神の祠。この風景は、半世紀を経過した今も変わらずに残っていたが、川は二年前の洪水で無残に荒れていた。至る所に倒木があり、がけ崩れの跡や山から転がり出た巨岩などが手付かずの状態で放置されている。かろうじて、林道とその周辺だけが、車が通行できる程度に補修されているのみである。
 

    
ここまで書いて、来客。その後、タマネギの皮で染色。これまで染めに失敗していた黄色系の色が染め重ねによって黄金色、茶系の黄色などに。タマネギの皮は良い染料だなあ。

夕方から、ヤマメの甘露煮を肴にビールを飲みながら、大相撲千秋楽を観る。
続けて(居眠りをしながら)プロ野球交流戦。今年は広島が好調なので面白い。国内、国外を問わず無名の選手を発掘してきて、独自の育成システムで育て上げ(一流になった選手が他球団に流出するがそれにもメゲズというか意に介せず)、巨大人気球団に立ち向かってゆく球団気質が爽快である。そんな市民球団を「ヒロシマ頑張れ」と応援する「カープ女子」が最近急増中ともいう。よろしい、よろしい。これがスポーツの良さだよな。
さらにサッカー女子のアジアカップ決勝戦を見る予定だったが、沈没、夢の中へ。
忙しいような、のんびりしたような一日であった。
閑話休題。


 
さて、花月川源流の風景である。

車を林道の脇に停め、歩いて上流に向かった。
すると、大雨を避けた道沿いの崖の窪みや、見覚えのある大岩の間の落ち込み、暗緑色の水を湛えた大淵などが昔と変わらず残っていたので、一気に時間が少年時代へと反転した。
そうだ、あの淵は、姥ガ淵といい、巨大なヤマメが婆さんに化けて、川に毒流しをしようと相談している村の男たちの元へ現れたという伝説のある淵だ。男どもは老婆の制止を無視して川に毒を入れると、多くの魚とともに大ヤマメが揚がったが、その腹を割いてみると、前夜老婆にふるまった草餅が出てきた。老婆=巨大ヤマメは淵の主だったのだ。以後、花月川にヤマメは棲まなくなったという。
だが、私はその淵で、一度だけ、ヤマメに出会ったことがある。下流から釣り上ってきて、淵の手前で蜘蛛を見つけ、それをハリに付けて振り込んだところ、がくん、と強烈な衝撃がきて、一気に竿先が水面を叩くほど引きこまれ、一瞬の間に、糸が切れた。あれは、間違いなくヤマメの引きだった。



毎年、野いちごを採りに通った山の斜面は大きながけ崩れに見舞われていたが、その上流部の、村からこの川沿いの道へと続く細道は、昔の面影をとどめていた。いまだに使う人がいるようだ。道の脇に、ハルリンドウが可憐な花を一輪咲かせ、雑木林は若葉が輝いていた。災害の破壊力は凄まじいが、自然の復元力も逞しい。




「冷や水」と呼ばれる地点がある。二つの小さな流れが合流する花月川の源流地点だが、ここは、一年を通して冷たい水が湧く。昔は、この山脈一帯が我が高見家の所有になるものであった。遊び人の祖父が一代でその財産を蕩尽したが、その祖父が、この場所で「ワサビの栽培」を始めようと試みたことがある。それは実現しないまま、家は没落したが、半世紀を経た現代でならおそらく成功するだろう。祖父は先を見通せる「先山」と呼ばれる技術者だったか、ただの博打打ちだったのか。
この湧水地点の沢で、小さな魚影を見た。
水辺に立ち、流れを見つめ続けていると、流水の中心から下流へ、そしてまた上流へと採餌行動を繰り返す魚が見える。体側に斑紋が認められた。ヤマメである。
彼らは、歴史の変転にも災害にもめげず、その「生命(いのち)」をけなげに繋いでいたのだ。
熱いものがこみあげてきた。

私は、これから数年の間、この川が回復するのを待ち、再びここに帰って来よう。
そして、この谷で一匹のヤマメを釣り上げて、それを生涯最後の釣りとしよう。


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