目覚めると、窓の外に雲海に沈む由布院盆地と霧の海に浮かぶ由布岳の山頂が見える。
霧は、次第に晴れてゆき、山頂を隠してしまうが、それが晴れるころには、由布岳と雨乞岳の鞍部辺りから朝日が昇る。
その東洋の水墨画のような景色と響き合う室内の「九州派」の作品とを同時に観ることができる贅沢。
この作品群は、今からおよそ50年前に、20歳代の若者たちが制作したものである。「反芸術」「反東京」の旗を掲げた彼らの芸術表現行為は、当時は異端とされたが、その後「作家」として制作活動を続けた人たちの実績も併せて、今、「現代美術の源流」と位置づけられて再評価されている。
それはそれとして、私はこの8月で70歳。50年を経て、当時の若者たちの作品にこれほど感銘を受けるということは、一体何なのだろうか。50年のアート遍歴の結果として鑑賞眼が鍛えられたからだというわけではあるまいし、世間の評価が上がったから、これらの作品が突然輝き始めたということでもなかろう。やはり、一人一人の作家としての力量と先見性、一点一点の作品の持つ「ちから」などが、半世紀を生き延びて新たな価値観を提示しているのだと把握すべきであろう。ただし、当時「九州派」だけが突出した活動を展開したわけではなく、関西の「具体」、大分の「ネオ・ダダ」、瑛九が率いた東京の「デモクラート美術協会」、「読売アンデパンダン展」などが一連の運動体として連動していた。これが世界の美術史とどのように重なっているかは、もう少し精密に考証する必要があるが、時は戦後の復興期であった。敗戦から立ち直ろうとするエネルギーと、何もかもをひっくり返し、価値観を逆転し、新しい地平を目指そうとする運動とエネルギーは、この日本列島全体に溢れていたのである。この「カオス」の中から生まれ出た「九州派」の「熱」が、鮮烈に現代のアートを撃つのではないか。
*この文を発表した後、原あやさんから今回の企画に出展されているもののほとんどは「九州派」解体以後の作品であるとの連絡があった。九州派時代の作品は残されておらず、数少ない作品はすでに「福岡県立美術館」「福岡市美術館」が収蔵しており、残存しないということ。したがって、文意と現実とにズレがあるが、私の感想そのものは変わるものではないので、変更しないままに掲載しておく。
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