中国に人民元はない 田代 秀敏
Kuniさんから紹介されました。Kuniさんは 経済人だから、この本もその側面を多く盛った内容でした。 私にとっては、中国人の考え方が多少分かったか、覗けたかなといった程度ですが、それでもこれから中国を見るにつけて一つの視点を得られたような感じがしてます。
先ず 何故中国ではあれほど汚職追放が叫ばれているのかということについて。 第一章での 中国に公私混同はない という章でこんな例えが記述されている。 中国の公共トイレの汚さは世界的にゆ有名である。ところが、中国人の個人のトイレは、筆者が見た限り、どれも奇麗で、便器は、カオが映り込むくらいに、ピカピカに磨き上げられている。 公の代表であるトイレを親の敵の如く徹底的に汚す人たちが、私 のトイレは奇麗にしているのである。 公の代表は国家である。だから、少しでも権限があれば、国有財産を流失させ、私物化する。ここに 汚職が蔓延する思考があるようだ。
公私混同が原理的になされない社会では、人々が公共ルールに自発的に従う事を期待するのは難しい。首都の北京でさえ、バスや地下鉄のドアが開くと、降りようとする者と乗り込もうとする者とが、同時にドアに殺到し、押し合いへし合いの大混乱となる。 といった具合である。
その他、成る程と思えたところで、 中国に友だちの輪はない という章で、 友だちの友だちは赤の他人 と記述されている。 これは 中国では、人と人との関係が、徹底的に具体的なのである。 目の前にしている人個人が大切であり、肩書きではない様である。 何時だったか、日中国交回復を実現した 田中角栄の 死去時 中国が日本ではその人気に翳りがあったにも拘わらず盛大な弔いの事業をした事が 成る程と思い返される。
さらに 中国に裁判所はない という章では、中国では国家の上に中国共産党があり、下部の裁判所でいくら無罪となっても、その上の共産党の以降で 容易にひっくり返ってしまうようだ。
この共産党幹部、党員というのは すごい権力を持っており、その権力で持って更に中国の汚職は深く広く行われているようである。