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あまえと義理  日本人の心の構造    小池  利正

2011年02月13日 21時24分51秒 | Books

 

 甘えと義理  日本人の心の構造    小池 利正

 一体義理とは なんだろう?と思って手にしました。 義理がなければ どんなに楽だろうか?と思っていたのだが、前書きからホーというような書き出しでした。『それにしても、いい子はなぜ生きにくいのでしょうね。  それは、いい子の『いい』というのが、誰にとっていいのかという事に関係してきます。誰にとって?それは  『自分にとって』ではなく    『他者にとって』という事ですが、中でも『親にとって』ということがもっとも大切です。それでは、その『親にとって』いい子というのがどんな子なのかというと、手っ取り早く言うと、『したい。ほしい。やだ』といわない子です。それでは、その親に従順で、『したい。欲しい。ヤダ』といわない子というのは、どんな子なのでしょうか。   それは、親に対する義理を生きている子どもです。』 といった具合です。  最初の疑問から大きく飛び出して、これは自分の子育て時代を振り返る事になりそうでした。

 『義理とは何かということをかんがえてみると、相手の意向をそのまま自分の意向として受け入れる事』  言い換えると『義理は相手本位なものであって、常に相手が基準となり、こちらのほうは、その基準となっている相手に自分を合わせるということである。』

 『甘えと義理とは半分ずつ重なり合っているが、甘える人には“私”があるのに対し、義理には“私”がないという点である。』私というのは自分の私情、自分の希望、欲求である。義理には自分の私情はなく、相手に合わせるということ。

 さて 日本人の特徴として『日本人が、他者を経由して自己をもつ、という世界でも珍しい心性を持っている。』 と記してある。 『日本人にとっては、他者を経由していることが大切なので、自分をほこって、周囲から“私”を突出させることは禁物なのです。』 少し分かりずらいけれど何となくそうかといった程度にわかる。簡単に云えば日本人は相手の様子を見ながら、相手に多少の配慮を示しながら自分の意見を言ったり、行動をとるといった具合かな。

 ここに面白い記述がある。『韓国人は能動的に喜びを感じ、『してもらう』という受動的な感慨を軽蔑するので、韓国人のあまえは、“われ”が何処までも“汝”につけ入っていき、“汝”はそれをどこまでも受け入れるという甘えになるはずであると。』 なるほど、以前これと同じような事を読んだ事がある。なるほどそうだったのかという感じ。

 もしあまえられないとどうなるか?

 1、ひがむ     2、ひねくれる  3、すねる  4、恨む

 これらは他者と比較される状況において多いようだ。 

 他者との比較はやめましょう。その人なりに一生懸命頑張っているのだと、或いは周囲からは分からない何らかの原因があるのかもしれないと思って。

 西洋人、東洋人共に 義理という観念は無いようである。これは日本人特有だそうだ。

しかし、昔の義理の強い世間から、現在は“私”、自分の私情を優先させたいという意欲が昂じてきており、その“私”を抑える義理と、私である私情とに挟まれて、生きぐるしくなっている時代である。