朝の丹波島橋から見た白馬連峰
昨日 私が小学生の頃から 時折お世話になった方が亡くなられ その告別式に参列してきた。普段は それほど気に留めることはなかったのが、こうした機会に振り返ってみると、随分とこの方から頂いたものが多かった事に気づく。この物と言うのは、物質というよりは精神的に享受したものである。たとえば、小学校3~4年の頃だったか、ドリトル先生の本を頂いた事があり、この本に夢中になって読みふけった。これがきっかけで私はその後読書を厭わなくなった。そしてそのおかげで、私の世界は随分広がったように思う。
しかし、想い出は良いことばかりではない。むしろこの方に不義理をしてきたと言う苦い思いも蘇ってくる。ほんの2年前に、奥さんのお見舞いに、私のお袋と一緒に伺った折り、せっかくお茶の用意もされて待っていて下さったのに 早々とお暇してきてしまった。きっと、本当に久しぶりであったので、あの方も昔話を楽しみに待っていて下さったのではと思う。それを その時うすうす感じてはいたのだが、後でまた次の機会にゆっくりと、と思ってそれっきりになってしまっていた。 あー、もうその機会は得られないのだ。
その方は、享年81歳であったそうだ。
実に、紳士で奢り振る舞うような方ではなかった。
私も、この方のようなステキな紳士と言われるような人になろうと努めよう。さらに、若い人に何か感じてもらえるようなものを 与えられるような人に。
そして、私の周囲の人たちには、もうそれほど人生の時間が残されてはいないと言うことも、教えてくださったように思う。 こうしたいと思いついたことは、さっさと進めてゆかねばならないのだ。
ありがとうございました。 いつまでも、私の心の中にあなたのことは生き続ける事でしょう。
歳を取ると、多くの人の死と向かい合います。その度に、様々な事を感じ、考え、気付くようになり、すこしずつ自分が落ち着いてゆくような気がする。