デスマスク ― それは「人の死顔を石膏や蝋で写し取った像」のことです。
子供のころ、何かの本で見たデスマスクは、「死」とは無縁の幼心には衝撃的でした。
そして、それが決して特異なものではなく、世界には多くの著名人のデスマスクがあると知り、
「こんなものを誰が、いつ頃から、何のために作るようになったのだろうか」
という疑問を持つようになりました。
本書を読むまでは、数多くの歴史的著名人のデスマスクが作られたのは、
一部の熱狂的な支持者たちによる、一種の偏執的な偶像崇拝ではないかと思っていました。
しかし、それはデスマスクに対する、ほんの一面的な見方でしかありませんでした。
そこには、古代ローマ時代まで遡る長い歴史と、
その時代々々によって異なるさまざまな意味と役割があったのです。
本書では、古代ローマから中世ヨーロッパ、近代へと時代が移り変わる中で、
デスマスクが果たした役割を数々の図版とともに概観しています。
ともすれば興味本位で好事家的に扱われかねない題材を、
決してオカルト的、怪奇趣味的ではなく、かといって学術的・専門家向けにでもなく、
一般教養的なレベルでまとめているあたりは、
さすが岩波書店らしいといえる一冊でした。
以下、本書の概要です。
□デスマスクの起源
デスマスクの源流は、人類創生のときからありました。
死者の頭蓋を崇拝したり、仮面をつけて葬送する風習は考古学的にも、
人類学的にも、地球上のあらゆる地域でみられます。
□古代ローマ時代
先祖の蝋人形「イマギネス」が作られ、屋敷に飾られていました。
これは死んだ本人の鋳型から作られたもので、先祖崇拝に関係しているだけでなく、
一族が受け継いできた名誉と威光を示す役割がありました。
□中世ヨーロッパ
イギリスやフランスでは王のデスマスクをもとに、生前さながらの蝋人形が作られました。
これは腐敗してしまう遺体にとってかわり、後継者が正式に戴冠するまで、
生前と同じように扱われ、王が死してもなお、王としての権威を維持し、
王権は不滅であることを演出するために用いられました。
また、遠い戦地や遠征地で命を落とすことの多かった中世では、
長旅による遺体の腐敗を避けるため、王や貴族、騎士たちに対してデスマスクがとられ、
遺体は現代では考えられないような方法で「処理」されることも普通だったようです。
このあたりは現代人、とりわけ日本人との死生観とに大きな隔たりを感じます。
□ルネサンス期のイタリア
デスマスクやライフマスクから胸像や全身像を鋳造したり、
肖像彫刻を作ったりして飾ることが流行しました。
鋳型をとる技術は格段に進歩しましたが、それらの塑像や鋳型像は、
「彫刻の真骨頂は石塊から理想の形を彫りだす技にある」
とするミケランジェロなどによって低く評価されるようになり、
やがて衰退しました。
□フランス革命のころ
入浴中に暗殺された政治家マラーのデスマスクをもとに蝋人形がつくられ、
暗殺現場が再現されて一般に公開されたり、
断頭台に消えたルイ16世や王妃アントワネットの首から蝋人形が作られるなど、
デスマスクは政治的に利用されました。
これらの製作を手がけたのが、いまも蝋人形館で有名なマリー・タッソーでした。
彼女の自伝「フランス革命の思い出と回想」によって伝わる
彼女の生い立ちや仕事ぶりにはとても興味深いものがあります。
□近代(18~19世紀)
デスマスクは天才や英雄崇拝と結びつき、再び大流行します。
それまでは王や権力者だけだった対象が、政治家や科学者、文学者、芸術家といった、
幅広い人々にまで広がり、葬送儀礼や彫刻制作の補助手段だったデスマスクが、
美術作品のような「自律的存在」となりました。
また、さらにデスマスクはそのモデルの能力や性格、
果ては犯罪性や遺伝性、民族性を読み解く上ですぐれた徴候を備えたものとみなされ、
「読まれ」「解釈される」対象ともなっていきました。
処刑された犯罪者のデスマスクから、犯罪者の徴候を特定しようと試みられたり、
身元不明の死亡者の身元情報を得るために用いられることもあったようです。
写真がなかった時代、
絵画に代わるもっとも写実的で実用的な手段として用いられたともいえます。
本書では、エリザベス女王やアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス、
クロムウェル、ロベスピエールといった、
学生時代に世界史を学んだ者にはなじみのある人物や、
ミケランジェロ、パスカル、ナポレオン、ベートーベン、ユゴーといった
誰もが知っている著名人のデスマスクや、
それをもとに作られた彫像の図版が数多く紹介されています。
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