くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

ニワトリが先か、タマゴが先か?

2013-12-01 22:11:49 | これが会社で生きる道
「こんな給料でやってられるか!」
「こんな安月給じゃ、やる気が出ねえよ」

自分の給料の少なさを嘆いて、
サラリーマンがしばしば口にするセリフです。

でも、大抵の人は給料以上には働きません。
30万円の月給を約束された人は、
やはり30万円分だけの仕事をして、同じセリフを口にします。
「世のため人のため」に働くのであればともかく、
それが人間というものです。

だから給料は、自分が頑張った以上にはやってきません。
そして頑張った分が、頑張る前にもやってくることもありません。

つまり、自分の給料は自分の能力相応だということです。

だから人は自分の能力を高めようと努力するのだし、
それが認められれば会社から必要とされて昇進し、
給料が上がっていくのです。

「出世なんかしなくてもいい」とか、
「こんな給料じゃ、やる気が起きない」などと言う人は、
その時点で、会社にとってお荷物社員にされてしまいます。

ゆめゆめ、会社でそんなセリフを口にしてはいけません。


人脈を活かせる人、活かせない人

2013-11-05 23:14:39 | これが会社で生きる道
まだ若手社員だった頃、
新しく異動してきた上司から、
名刺交換のノルマ人数を与えられました。
要するに「人脈をつくれ」ということでした。

さすがに今どきは、もうこんな人はいないでしょう。
ビジネスマンの異業種交流や人脈づくりが、
さかんにもてはやされていた時代のことです。

一口に「人脈」と言っても、
お互いに顔と名前を知っているだけという間柄から、
年賀状や暑中見舞いを交換するだけの関係、
そして本当に困ったときに頼りにできる間柄まで、
その深度はさまざまです。

もちろん、名刺交換しただけでは人脈とは呼べません。
たまに、茶色に変色した著名人や有力者の名刺を大切に保管し、
何かあると自慢げに引っ張り出してくるオジサンを見かけますが、
そういうのは名刺のコレクションであって、
人脈とは言わないものです。

異業種交流会などで何百人と名刺を交換したところで、
また、名刺を交換した人に挨拶の葉書やメールをこまめに送ったところで、
実のある人脈がつくられるわけではありません。

そういうわけで、
上司から指示された私の人脈づくりも徒労に終わりました。

「人脈を持っている」とは、自分の知らない人を知っている人、
そしてその人を通じて、自分の知らない人を動かしたり、
あるいは情報を引き出したりできるコネを持っている人と、
継続してつながっていることです。

もとより、自分がその一人ひとりと、
直接つながっている必要はありません。
大事なことは「何人いるか」ではないのです。

顔の広い人が、人脈のある人ではありません。
資格と同じように、たくさん持っている人が、
必ずしも、仕事ができる人というわけではありません。

最も大事なことは、
人脈づくりに汲々とすることよりも、
すでにたくさんの人脈を持っている人に絞って交流し、
そうした人たちと持ったつながりを大事にすることです。

そのことにできるだけ早く気がつかないと、
いたずらにメールや葉書を書くことに時間を費やすだけで、
徒労に終わってしまうのです。


出世する人の共通点(2)

2013-10-12 10:31:28 | これが会社で生きる道
会社の上司や役員と親しげに会話する同僚を見て、
「親しそうでいいな~」 とうらやましく思う人は多いのではないでしょうか。
あるいは、親しげに会話できる自分自身をふりかえり、
「他の社員よりも親しくしている」 と優越感を感じる人もいるのではないでしょうか。

いわゆる「タメ口」を利くのは論外ですが、
「です・ます調」の会話でも、語尾や抑揚、選択する語彙などによって、
はたから見る親密度というものは大きく違ってきます。

それでは、親密度が高いように見える人は、
その上司や役員に可愛がられ、昇進・昇格も早いかというと、
必ずしもそうではないようです。

長い間、会社で人事の浮沈を見ていると、
「正しく尊敬語を使い、正しく相手と一線を画せること」が、
「親しさ」以上に、評価されるために必要であることがわかります。
特に、同程度の能力の部下が二人いるような場合は、
その違いがはっきりと評価に表れるようです。

正しく「尊敬語を使い、相手と一線を画す」 というのは、
「上司や役員にごまをする」 ということではありません。
「上役としてのプライドを傷つけない」ということです。

ビジネスの場においてはしばしば、
上司や役員の言うことに賛同し、同調しているよりも、
反感を持たれずに反論し、意見を言えることのほうが評価されます。
したがってそれは、上役に「異議を唱えつつ評価される術(すべ)」でもあるのです。

「丁寧語」は誰でも自然と使っています。
しかし、「尊敬語」は意識しなければ身につかず、なかなか使えません。
長い時間がたつと、そこに違いが現れてくるのです。

みなさんの会社では、
喫煙室で役員と一緒にタバコを吸っている社員ばかりが出世していますか?
つまりはそういうことです。



たぶん、よくある話し・・・

2013-10-06 18:37:06 | これが会社で生きる道
「いい気候になってきたし、みんなでバーベキューでもやろうじゃないか!」

こんなことを職場の上司が言い出すのは、どこの会社でもよくあることです。
この場合、「みんな」と言うのは、この上司の部下や、かつての元部下のことを指します。
誰かが、「いいですね~」などと気を使って話しを合わせようものなら、

「それじゃあ、再来週あたりの土曜日か日曜日にでも段取りして。
 道具はうちにもあるし、○○君も持ってるはずだから」

などと、話しはどんどん進められ、
一番の若手社員が人集めから道具の段取りまですることに。

参加者に送られてきた「開催のお知らせ」のメールの宛名を見ると、
いるわいるわ、言い出しっぺの上司の元部下の名前がずらり。
「みんな本当に参加したいんだろうか?」と不思議になります。

そして開催日の二~三日前。
幹事から、「中止のお知らせ」が送られてきました。

「都合の悪くなった人が多数出て、
 参加人数が減ったので、今回は中止いたします」

なるほど、最初に誘われた時に「都合が悪い」と言って断れば、
「じゃあ、いつなら空いてる?」と言われて参加せざるをえません。
参加することにしておいて、直前に外せない用事ができたことにすれば、
行事は行われてしまうし、参加しないで済みます。

「みんな同じことを考えてたんじゃないの?」
と思うのは勘ぐりすぎでしょうか。

E-メールが普通に使われるようになってから、
簡単に、感情を悟られず、事務的に連絡ができるようになって、
こんなことが増えたような気がします。



下戸には下戸のやりかたがある

2013-09-29 23:10:40 | これが会社で生きる道
仕事では、たとえ酒を一滴も飲めない下戸であっても、
大事な酒席に出なければならないことはたくさんあります。

若手社員のときは、飲むほうは上司や先輩社員に任せ、
自分は出席者のグラスの減り具合や料理の進み具合を見て、
水割りを作ったり、料理を頼んだりして場をつなげます。
それが「下戸でも気が利く」と思われるコツです。

しかし、ある程度の年代になり、役職になれば、
いつまでも、そうしているわけにもいきません。
自分が中心となり、あるいは相手と差向いになって、
接待しなければならない場面も出てきます。

そんな酒席に出なければならないときは、
酒が飲める気の利いた部下や後輩を一人連れて行きます。

「私は体質的にまったく酒が飲めません。 酒は、彼が私の代わりです」

そう紹介して宴席を始めるのです。
注射のときのアルコール消毒で腕が真っ赤になるほど、
アルコールを受け付けないような体質の人でも、
ビジネスでは、酒席を設けなければならない場面があるものです。
自分が飲めないからと言って、酒席で差向いとなるような場面で、
二時間近くも、一方的に相手に注いでいるわけにもいきません。

でも、酒が飲めなくても、相手にそう感じさせないことはできるのです。
そんなとき、大切なのが「酒の友」ならぬ「酒の共」なのです。