くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

出世する人の共通点

2013-08-22 23:33:58 | これが会社で生きる道
同期社員に昇進の先を越された後輩が不服そうに言いました。

「結局、会社では文章を書くのが得意で、
 しゃべるのがうまい奴が出世するんですよね」

長い間、会社で人事評価の浮沈を見ていると、
出世する人には、ひとつの共通点があることに気がつきます。
それは、彼らが例外なく国語が得意だということです。
ガチガチの理系人間であろうと、バリバリの技術者であろうと、
会社の中で出世する社員は、例外なく国語が得意です。
「学生の頃は国語が苦痛だった」 という人はまずいません。

なぜならどんな仕事であってもその基本は、
相手の話や文章を正確に理解すること、
そして自分の考えや意見を相手に伝え、説明あるいは説得し、
了承してもらうことから始まるものだからです。

どんなに卓抜したアイデアを持っていても、
どんなに豊富な専門知識や資格を身につけていても、
この基本ができなければ、それは何もないのと同じなのです。

もちろん、それはあざとい文章や巧妙な話術を弄し、
思惑どおりに相手をあやつるという手練手管のことではありません。
自分の真意を的確にわかりやすく伝え、相手の心を動かすために、
どのように話題を構成し、どのような語彙や表現が適切かを考え、
状況に合った選択することができるということです。

「コミュニケーションがうまい」、ということとはちょっと違います。
あえて言うなら、「日本語がうまい」、とでもいうことでしょうか。

日本の会社で求められる国語力は、
同じ語学力でも、英語力とはまったく異なるものです。
日本の多くの会社では、
英語が苦手でも出世することは普通に可能ですが、
国語が苦手な社員は、まず出世することができません。

前述の後輩社員は海外勤務経験もあり英語もペラペラです。
そんな彼に思わずこう言ってしまいました。

「そこに気がついたのなら、クサってないで努力しようよ!」


「逃げず、くさらず、投げ出さず」

2013-07-28 23:33:01 | これが会社で生きる道
ある後輩が地方の支店に転勤になりました。

現在の彼の年齢は30代の半ばです。
彼は入社して間もなく、本社の経営管理部門に配属され、
そこで10年近くにわたって財務系の業務を担当してきました。
それは彼にとってやりがいのある、誇りに満ちた仕事だったようです。
「自分がやっている仕事は、他の誰も代わることができない」
そう思っていたようです。

そんな彼が一年前、グループ会社の管理部門に異動になりました。
彼が何か失敗したとか、ペナルティをくらったとかいうわけではありません。
あまりにも長い期間、同じ部署にいたので、
他の業務も経験したほうが良いという配慮からです。
この会社では、本社とグループ会社との人材の往来はよくある人事でした。

しかし、若いうちから本社に配属されていた彼にとっては、
グループ会社への異動は大きなショックだったようです。
それに加えて、彼の後任の者が、彼から引き継いだ業務を、
何の問題もなく遂行していることに、彼のプライドは深く傷ついたようでした。

彼は、異動したグループ会社の上司に直訴しました。
そして、本社の人事権を統括する担当役員にもメールで訴えました。
「いまの仕事は、自分がやりたい仕事ではない」
「いまの仕事を長く続けるつもりはない」

そして一年後、
彼は今回の地方店所への異動となったのでした。
もちろん、彼の本意ではありません。

本社の経営管理部門で10年も勤務した彼です。
決して仕事ができないわけではありません。
そんな彼が、どうして自分の意にそぐわない配属をされたのでしょうか。
グループ会社へ異動した時、どう行動をすべきだったのでしょうか。

長い社会人生活の間には、自分の意に反した、
自分の思い通りにならない時期が必ずあります。
そんなとき、その不本意な時期をどう過ごしたかで、
その後の人生は大きく変わってくるのです。



学校と違うこと

2013-07-10 22:30:29 | これが会社で生きる道
お酒が飲めなくて飲み会に誘われなくても、
野球やサッカーに興味がなくて話題に入っていけなくても、
ちっとも悲観することはありません。

会社で必要なのは、みんなに好かれたり、
人気者になったりすることではありません。

会社で最も大切なことは、みんなから信頼されることです。

好かれることは、信頼されるための条件ではありません。
一人でも多くの人に好かれるよりも、一人でも多くの人に信頼されるほうが、
会社では何倍も何十倍も自分のためになります。

最近はみんな「どう見られているか」にとらわれて、
「身近な人に嫌われないこと」「人から好かれること」ばかり気にしています。
「人から信頼されること」には注意が散漫になりがちです。

飲み会に誘われなくて、話題に入れなくて、
時には寂しい思いをするかもしれませんが、
そんなことは少しも気にする必要はありません。
信頼とは、それを補って余りあるものなのです。

会社は学校とは違う尺度の世界なのです。



下戸の効用

2013-06-09 21:23:16 | これが会社で生きる道
仕事が終わると、毎晩のように居酒屋に繰り出す呑兵衛たち。
そんな毎日を長年続けていると、連れ立って行くメンバーは、
次第に気の合った上司や後輩などに固定されていきます。

すると生まれてくるのが「派閥」や「一派」です。
本人たちはそう思っていなくても、周囲はそういう目で見るようになります。
いつも一緒に飲み歩いている上司が会社の中で絶好調なら、
その仲間もそのおこぼれにあずかることもあるでしょう。
しかし、ひとたび誰かと対立したりつまづいたりすると、
人事異動や評価などで、いらぬ軋轢や不利益を被ることもでてきます。

仕事の実力とは関係ありません。
「適正な人事ではない」というご意見はごもっともです。
でも、それが人間というものです。

下戸には「飲み仲間」というものができません。
それは呑兵衛に言わせれば「寂しいこと」かもしれません。
しかし、「派閥」や「一派」のレッテルをはられないことは、
「敵」を作らないことと同じくらい大切なことなのです。



できるビジネスマンの判断基準(3)

2013-06-03 23:21:51 | これが会社で生きる道
「最近の新入社員はまじめ」という評価をよく耳にします。
おとなしくて「覇気」が感じられないという見方もできますが、
先輩の言うことは黙ってよく聞いているし、
言われたことはきちんとこなし、概ね「まじめ」と評されるようです。

でも、それは本当に「まじめ」なのでしょうか?

教えられ、指示されたことしかできない「まじめ」があります。
自分で考えることができない、思考が停止した「まじめ」があります。
そんな彼らは、心で「感じる」ことは人一倍敏感なくせに、
頭で「考える」ことは苦手で放棄している場合が多いものです。

それを「まじめ」と評価してはいけません。
そして、それを見極めるひとつの方法があります。
「自分のやりたいようにやってみな」
そう言って突き放してみることです。