大野病院の産科の先生が刑事で起訴されて、8月20日に無罪の判決が下りました。
私自身とても複雑な思いです。ほっとしてはいますが、同じ医療従事者としてなんだかやりきれないようなもやもやした気持ちがよどんでいます。一連の流れでこの先生とご家族との気持ちの溝が深くなってしまった気がするし、ひいてはなんだか強迫まがいでねじ伏せた医療界vs結局は泣き寝入りを余儀なくされる患者さんという印象が際だってしまったからです。
子供を産んだ親と、医療従事者の両方の立場が分かるだけに、ブログにも何度か挑戦しようと思ったのですが、なかなか書きあぐねていました。
帝王切開で生まれてきた子供さんを見て”ちっちゃい手だね”と、声をかけたのが最後だったと聞くと本当にお気の毒で、涙が浮かんでしまいます。残されてしまったお子さんや旦那さん、親御さんの心の痛み、痛いほど分かります。もし自分自身が今子供を残して逝ってしまうとしたら、死んでも死にきれない気持ちです。
もしかすると、他の病院、医師だったら助かったのではないか、そういう風に考えたとしても不思議はないと思います。
今は情報が手に入れやすく、この先生じゃなくて他の先生だったらとか、違うやり方があったんじゃないかと容易に考えが及んでしまいます。これは、どうしようもないことです。情報があるのが悪いわけじゃないし。本当に難しいです。
自分も医師として、死と隣り合わせに病気と闘っている患者さんを見てきましたが、訴えられるほどではないものの、不満をぶちまけられたりすることは何度か経験しました。うまくいった治療もありますが、うまくいかないこともあり、そのたびに自責の念に駆られつつ、あのときにああすれば違ったのではないかとか、もうすこし症状にはやく気づくことが出来たのではないかと何度もシミュレーションしては悶々とするのです。
加藤医師も、あのとき胎盤剥離にこだわらず思い切って子宮をとってしまえば救命できたのにとなんどもなんども悩んだことと思います。
周りにたくさんの医師がいれば、現場でも少し離れたところから冷静な判断も出てくると思うのですが、人手不足でだれもが自分のことでいっぱいいっぱい。コメディカルや患者さんに対してそんなに自信のない態度や言い訳も出来ないですから、一人でため込んですり減っていく。こんな後ろ向きの気持ちで、トラブルにおびえながらでぴりぴりしてやっていくのはつらいことです。勤務医が減っている影には、このような慢性的な精神的ストレスも大きいと思います。
そんな中、加藤医師はまた現場に復帰して働きたいとおっしゃったそうです。本当の気持ちで言ったなら、なんて尊い気持ちをもった強い方だろうと尊敬します。我慢して無理して発した言葉でないことを祈ります。
結果がでてのあとあとでなら、だれでもそうならないための過去に対する素晴らしい対策は出来ますが、次回同じシチュエーションに自分が放り出されたらどうでしょう。最悪の事態も考えたら数歩手前で小心になって、たくさんの検査をしてしまう、おおげさな処置をしてしまうことにもなろうかと思います=医療萎縮。
”全力を尽くします。わたしは、皆さんのことをきちんと考えています。”の目と目を合わせた強いひとことを話の最後に心を込めてはっきりいうことを心がけたいと思います。精神論になってしまいますが、そんな態度が患者さんの信頼を得るのに必要なんだと今更ながら思いました。結果が悪かったときに患者さんやご家族の落胆の気持ち、医療現場を責める気持ちが少しは昇華してくれるのではないかと願っています。
自分の周りに、この人なら安心して掛かりたいと言う先生が何名もいらっしゃいます。医療に対する情熱、豊富な知識、人としても尊敬できると言うところが大きい気がします。医師を15年近くやっていても自分はまだまだ。前述したような後ろ向きの気持ちが少し出過ぎています。普通の人間ですから限界もありますが、自分としてはもっともっと前向きな気持ち患者さんと向き合っていきたいです。そのために、新しい勉強を怠らず努力していきたいと思います。
今日の文章は、きっとこれから何回も自分でも読み返して書き直したりすると思います。
やっぱり単なる感想文になってしまいましたが、mixiのブログでとても理知的な素晴らしい意見を拝見しましたので、よかったらごらんになって下さい。
【患者の安全と健康を願わない医師はいない】
http://blogs.yahoo.co.jp/mihyon0123/15148416.html