400年前に清正公が築城
隈本を熊本にし270年
西南の役直前に焼失
50日籠城
最後の内戦地
内戦後 震災もあった
解体修理 復元行うも
またまた震災
そこからまた 復興
震災の傷跡 崩壊のままの石垣
復興された真新しい石垣と天守
熊本城は熊本の顔であり 熊本県民の誇りでもある
江戸城が焼失したとき 再建しなかった 江戸幕府
同じように 県民の復興が先だったと思う
それを考えると 天守の復興は 早かった
だがしかし 復元天守よりも 現存石垣が
まだまだこれから 長くかかりそう
完全復旧の 熊本城
生きてまた来られるのだろうか
現地で そう思った と 同時に
何度か ここに来ることがあったのに
しっかり歩いておけばよかったと後悔
本丸石垣
間違いなく 現存
ここは 被害はなかったようだ
ここ 木がないよね
木の根っこが 揺れた時に 影響を与えると思う
木が無い ということは 築城時の 状態に近い
さらに 現存建物があると 雨の影響もなく
土台は 良い状態をキープしている
地震国日本
城を後世に伝えるのであれば
木の問題に 取り組むのが良いと思う
大木を 伐採するのは 心もとないが
もともと 戦国の城には必要無かった
廃藩後 小さな芽を大木にしてしまった
その 影響は 大きい
城内の木は 城の補修の材料にもできる
桜の木も 影響のないところにあればいいが…
大木の多い 城が多いが 厄介な問題だわ
大ききくなり過ぎて こじんまりできない
木は また 大きくなるが
崩れた石垣は 見てるだけでは
元に戻らない
400年前 一個づつ 人の手で 積み上げた…
見学通路から
通路は かなり高さがある
通常であれば 見れない目線高さ
なのだが
高石垣は やはり 見上げたい
迫りくる 迫力が まるでない
無理やり 表現したら
かなり 傾いた
撮り直し
あ~~
う~~
は~~
本丸御殿の瓦がすごい
▽
石垣の下からだったら こんな 画像は撮れない
たらたら 書いてしまった…
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