加須の郷土研究会から依頼され、
騎西城の話をしたのは4月の下旬だった。
それをきっかけにこの稿を起こしたのだが、
季節は早くも立秋を迎えようとしている。
時が経つのは早い。
年々加速していくばかりだ。
前にも触れたことだが、騎西城に対してひとしおの想いがある。
行き詰まっていた日々の中によく騎西城を目にしていたせいか、
“キャッスルきさい”へ足を運ぶと、必ずと言っていいほど当時のことが思い浮かぶ。
本来楽観的な性格だと思っているが、
不安や焦りが全くなかったと言えば嘘になる。
図書館の窓から騎西城を眺めながら、
見えない行き先に胸は重く、黒く塗りつぶされていたのだろう。
あの頃目をそらしていたものが、いまとなってはよく見える気がする。
当時から騎西城には興味があって、
本で調べたり、史跡に実際に足を運んだりした。
新しい発見はいくつもあったし、
世界が広がっていく感覚を覚えた。
探検するように自転車を走らせたことをよく覚えている。
それが何だというのだろう、という想いを抱えながらも、
騎西城の中に入っていくのは楽しかった。
不安よりも好奇心の方が勝っていたのだろう。
そうでなければ、とっくに城の外へ出ていたはずだ。
勉強したところで、それを誰かに求められていたわけではなかったのだから。
今回講師依頼を受けて、改めて騎西城を見つめ直した。
それは行き詰まっていた日々の自分との再会でもあった気がする。
資料を紐解き、騎西城周辺をテクテク歩いた。
新たに知ることもたくさんあったし、
二十代の頃には見えなかったものも目に留まったと思う。
騎西城の懐の深さも、改めて目の当たりにする思いだった。
勉強させられるのはいつも講師の方だ。
機会を与えていただいた研究会の方々に御礼申し上げたい。
加須郷土史研究会で発行している会誌にも、
騎西城の歴史について寄稿させてもらった。
紙数に限りがあるから、この稿のような長さというわけにはいかない。
まだまだ浅学者ではあるが、騎西城に少しでも恩返しができたのならば嬉しい。
なお、この研究会を通して、
騎西城に仕えた家臣の子孫にお会いすることができた。
先祖のご位牌を持参していただき、
実際に目にすることができたのは大きな収穫だった。
騎西城が結びつけてくれた縁だと思いたい。
高鳥邦仁
騎西城の話をしたのは4月の下旬だった。
それをきっかけにこの稿を起こしたのだが、
季節は早くも立秋を迎えようとしている。
時が経つのは早い。
年々加速していくばかりだ。
前にも触れたことだが、騎西城に対してひとしおの想いがある。
行き詰まっていた日々の中によく騎西城を目にしていたせいか、
“キャッスルきさい”へ足を運ぶと、必ずと言っていいほど当時のことが思い浮かぶ。
本来楽観的な性格だと思っているが、
不安や焦りが全くなかったと言えば嘘になる。
図書館の窓から騎西城を眺めながら、
見えない行き先に胸は重く、黒く塗りつぶされていたのだろう。
あの頃目をそらしていたものが、いまとなってはよく見える気がする。
当時から騎西城には興味があって、
本で調べたり、史跡に実際に足を運んだりした。
新しい発見はいくつもあったし、
世界が広がっていく感覚を覚えた。
探検するように自転車を走らせたことをよく覚えている。
それが何だというのだろう、という想いを抱えながらも、
騎西城の中に入っていくのは楽しかった。
不安よりも好奇心の方が勝っていたのだろう。
そうでなければ、とっくに城の外へ出ていたはずだ。
勉強したところで、それを誰かに求められていたわけではなかったのだから。
今回講師依頼を受けて、改めて騎西城を見つめ直した。
それは行き詰まっていた日々の自分との再会でもあった気がする。
資料を紐解き、騎西城周辺をテクテク歩いた。
新たに知ることもたくさんあったし、
二十代の頃には見えなかったものも目に留まったと思う。
騎西城の懐の深さも、改めて目の当たりにする思いだった。
勉強させられるのはいつも講師の方だ。
機会を与えていただいた研究会の方々に御礼申し上げたい。
加須郷土史研究会で発行している会誌にも、
騎西城の歴史について寄稿させてもらった。
紙数に限りがあるから、この稿のような長さというわけにはいかない。
まだまだ浅学者ではあるが、騎西城に少しでも恩返しができたのならば嬉しい。
なお、この研究会を通して、
騎西城に仕えた家臣の子孫にお会いすることができた。
先祖のご位牌を持参していただき、
実際に目にすることができたのは大きな収穫だった。
騎西城が結びつけてくれた縁だと思いたい。
高鳥邦仁
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