沼好きとしては心をくすぐられる板倉町。
車の免許を取ったばかりで板倉町へ行ったとき、
やけに多くの沼が目に付いたのを覚えている。
あのとき見た沼はどこだったのだろう。
そう思うときがある。
その一つに坂田沼。
季節は夏で、沼には水草、岸部には草が生い茂っていた。
そこは、童話「やまなしもぎ」に出てくる沼を連想させた。
東洋大学が近いと言えば近い。
沼の畔には民家が建っている。
坂田沼の最深は2.4メートルで、
大人が入ったら足が付かない。
ひと昔前は、子どもたちの遊び場でもあったのだろうか。
そういえば、沼の畔に住む知人がいた。
雨の日も風の日も、当たり前のように沼を目にして過ごしていたことになる。
年末年始、お盆、クリスマス、節分……。
そのときどきの沼はどんな表情なのだろう。
でも、目前に沼があっては、それは日常生活の一部であって、
特に目に留めることはなかっただろうか。
その人は別の町に移り住み、職場も変わってしまったから、もう聞くことはできない。
体を壊したとき、ごくたまに板倉町へ足を延ばした。
沼を見たかったのかもしれない。
谷田川に憂いを流したかったのかもしれない。
病気はこじれ、なかなか職場に戻れなかった。
生きているのが息苦しかった。
いま思えば、あの日々は沼の底だったかもしれない。
車の免許を取ったばかりで板倉町へ行ったとき、
やけに多くの沼が目に付いたのを覚えている。
あのとき見た沼はどこだったのだろう。
そう思うときがある。
その一つに坂田沼。
季節は夏で、沼には水草、岸部には草が生い茂っていた。
そこは、童話「やまなしもぎ」に出てくる沼を連想させた。
東洋大学が近いと言えば近い。
沼の畔には民家が建っている。
坂田沼の最深は2.4メートルで、
大人が入ったら足が付かない。
ひと昔前は、子どもたちの遊び場でもあったのだろうか。
そういえば、沼の畔に住む知人がいた。
雨の日も風の日も、当たり前のように沼を目にして過ごしていたことになる。
年末年始、お盆、クリスマス、節分……。
そのときどきの沼はどんな表情なのだろう。
でも、目前に沼があっては、それは日常生活の一部であって、
特に目に留めることはなかっただろうか。
その人は別の町に移り住み、職場も変わってしまったから、もう聞くことはできない。
体を壊したとき、ごくたまに板倉町へ足を延ばした。
沼を見たかったのかもしれない。
谷田川に憂いを流したかったのかもしれない。
病気はこじれ、なかなか職場に戻れなかった。
生きているのが息苦しかった。
いま思えば、あの日々は沼の底だったかもしれない。
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