クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

クニのウラ部屋雑記(132) ―書く“儀式”してますか?―

2009年12月11日 | ウラ部屋
卒論を書き終えた。
しかし、まだ山が終わらない。
7つのことを同時進行でやっている。

論文は草稿で200枚近くになった。
単に書き連ねればいいというわけではない。
推敲で削りに削る。

文章を削る作業は気持ちがいい。
もったいないという気持ちはほとんどない。
余分な肉を削ぎ落とすことで、
文章がしまっていく。

一週間くらい放置して発酵させればもっと削れたのだろうが、
やむなく締切日を迎えてしまう。
あとは果報を寝て待つしかない。

ところで、文章を書く人は原稿に向かう前に“儀式”があるものだ。
清水幾太郎だったか、
原稿に向かうまでの苦しみを告白しているのを読んだことがある。
確か、机に向かう前に手を洗ったりする儀式だったと思う。

北方謙三氏はひっかくように櫛で頭をとかすことだった。
「ソロモン流」で見たことがある。

日本近代文学に大きな影響を与えた“田山花袋”は、
全集を見ればわかるように多作な小説家だった。
しかし、そんな花袋も原稿の世界に入るまで相当苦労したらしい。
机に向かうものの気乗りせず、
書いている原稿に幻滅もし、
「今夜やる」と言ってウロウロ歩いている。

そして、興に乗れば「そのうれしさ!」は最高だったらしい。
明治の文豪もだいぶ苦労したようである。
(『東京の三十年』より)

管見によると、興の乗り方と、
その作品の「おもしろさ」は比例している気がする。

興に乗りに乗った『坊っちゃん』は夏目文学の中でも人気があるし、
強い内的衝動のもとで書かれた田山花袋の『田舎教師』は、
出版100年を迎えたいまでも読まれている。
(余談だが、『坊っちゃん』と『田舎教師』のモデルは、埼玉の熊谷で接点がある)

今回ぼくはわりと興に乗った方だが、
出来はどうだろう。
ちなみに、原稿の世界にスーと入っていくときに限って、
電話が鳴ったりお客さんが来たりする。
あのタイミングのよさは一体何なのだろうと、いつも思う。
仕方がないから携帯電話の電源を切ったり、
カーテンを閉めて存在を消す。
それが、儀式と言えば儀式かもしれない……


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