卒論を書き終えた。
しかし、まだ山が終わらない。
7つのことを同時進行でやっている。
論文は草稿で200枚近くになった。
単に書き連ねればいいというわけではない。
推敲で削りに削る。
文章を削る作業は気持ちがいい。
もったいないという気持ちはほとんどない。
余分な肉を削ぎ落とすことで、
文章がしまっていく。
一週間くらい放置して発酵させればもっと削れたのだろうが、
やむなく締切日を迎えてしまう。
あとは果報を寝て待つしかない。
ところで、文章を書く人は原稿に向かう前に“儀式”があるものだ。
清水幾太郎だったか、
原稿に向かうまでの苦しみを告白しているのを読んだことがある。
確か、机に向かう前に手を洗ったりする儀式だったと思う。
北方謙三氏はひっかくように櫛で頭をとかすことだった。
「ソロモン流」で見たことがある。
日本近代文学に大きな影響を与えた“田山花袋”は、
全集を見ればわかるように多作な小説家だった。
しかし、そんな花袋も原稿の世界に入るまで相当苦労したらしい。
机に向かうものの気乗りせず、
書いている原稿に幻滅もし、
「今夜やる」と言ってウロウロ歩いている。
そして、興に乗れば「そのうれしさ!」は最高だったらしい。
明治の文豪もだいぶ苦労したようである。
(『東京の三十年』より)
管見によると、興の乗り方と、
その作品の「おもしろさ」は比例している気がする。
興に乗りに乗った『坊っちゃん』は夏目文学の中でも人気があるし、
強い内的衝動のもとで書かれた田山花袋の『田舎教師』は、
出版100年を迎えたいまでも読まれている。
(余談だが、『坊っちゃん』と『田舎教師』のモデルは、埼玉の熊谷で接点がある)
今回ぼくはわりと興に乗った方だが、
出来はどうだろう。
ちなみに、原稿の世界にスーと入っていくときに限って、
電話が鳴ったりお客さんが来たりする。
あのタイミングのよさは一体何なのだろうと、いつも思う。
仕方がないから携帯電話の電源を切ったり、
カーテンを閉めて存在を消す。
それが、儀式と言えば儀式かもしれない……
しかし、まだ山が終わらない。
7つのことを同時進行でやっている。
論文は草稿で200枚近くになった。
単に書き連ねればいいというわけではない。
推敲で削りに削る。
文章を削る作業は気持ちがいい。
もったいないという気持ちはほとんどない。
余分な肉を削ぎ落とすことで、
文章がしまっていく。
一週間くらい放置して発酵させればもっと削れたのだろうが、
やむなく締切日を迎えてしまう。
あとは果報を寝て待つしかない。
ところで、文章を書く人は原稿に向かう前に“儀式”があるものだ。
清水幾太郎だったか、
原稿に向かうまでの苦しみを告白しているのを読んだことがある。
確か、机に向かう前に手を洗ったりする儀式だったと思う。
北方謙三氏はひっかくように櫛で頭をとかすことだった。
「ソロモン流」で見たことがある。
日本近代文学に大きな影響を与えた“田山花袋”は、
全集を見ればわかるように多作な小説家だった。
しかし、そんな花袋も原稿の世界に入るまで相当苦労したらしい。
机に向かうものの気乗りせず、
書いている原稿に幻滅もし、
「今夜やる」と言ってウロウロ歩いている。
そして、興に乗れば「そのうれしさ!」は最高だったらしい。
明治の文豪もだいぶ苦労したようである。
(『東京の三十年』より)
管見によると、興の乗り方と、
その作品の「おもしろさ」は比例している気がする。
興に乗りに乗った『坊っちゃん』は夏目文学の中でも人気があるし、
強い内的衝動のもとで書かれた田山花袋の『田舎教師』は、
出版100年を迎えたいまでも読まれている。
(余談だが、『坊っちゃん』と『田舎教師』のモデルは、埼玉の熊谷で接点がある)
今回ぼくはわりと興に乗った方だが、
出来はどうだろう。
ちなみに、原稿の世界にスーと入っていくときに限って、
電話が鳴ったりお客さんが来たりする。
あのタイミングのよさは一体何なのだろうと、いつも思う。
仕方がないから携帯電話の電源を切ったり、
カーテンを閉めて存在を消す。
それが、儀式と言えば儀式かもしれない……
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