私にとっての「大惨事」から、二日が過ぎました。
何をするにしても、一人では、どうしようもありません。そんなことを考えながら、「転んだ時」に誰もいなかったらと思うと、背筋がぞっとします。
昨年でした、矢張りご近所のお年寄りの女性が、庭の雑草を抜いていたと思われるのですが、ちょっとした「崖」から転落されて、日のまま息を引き取られました。
お一人住まいで、発見されたのは、3日後でした。
いかにも、悲惨な事でした。
そんなことも想像しながら、ある意味「幸運」だったことを、「神」に感謝しなければなりません。
「アメリカ」の「ラムズヘルド国防長官」のアトランタでの講演会で、聴衆から、鋭い「イラク開戦時の「責任」を追及されると言う場面があったようです。
次第に米世論も、「イラク戦争」の無謀さに、国民の意識が流れ始めたようです。
「日本政府」も「同罪」です。謝った情報に元付いて、「大量殺戮兵器」があると信じ込んでしまい、米と同調した罪は、見過ごすことはできません。
平塚での大量殺人、なんとも奇妙な関係図ですが、案外「筋書き」は単純なのかもわかりませんね。人間の「性(さが)」なのでしょう。
今日の写真は、土手の「スズラン」です。一面に広がっています。