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名所江戸百景139 第46景 鐙の渡し小網町 日本橋七福神

2014-01-05 09:30:02 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江戸時代から続く正月の話として、中央区・日本橋(にほんばし)の七福神(しちふくじん)巡りの話です。
(絵画調)

 古い時代には、信仰のみが参拝の対象だったのに対し、江戸時代頃になると、江戸からの伊勢参りを始めとして、旅行と参拝がセットになるようになってきました。
 江戸の七福神めぐりも、正月の参詣(さんけい)にミニ旅行がセットになったようなもので、江戸ッ子には人気があったようです。
 江戸時代の七福神めぐりで有名だったのは、「谷中(やなか七福神」、「山手七福神」、「墨田七福神」ですが、
 現在では、その他に「亀戸(かめいど)七福神」、「柴又(しばまた)七福神」、「深川(ふかがわ)七福神」、「浅草(あさくさ)七福神」、「日本橋七福神」、「千住七福神」、「羽田(はねだ)七福神」・・・・・・・・と30以上あるんです・・・(汗)
 期間も1月1日~7日の所が多いのですが、場所によっては、1月の10日・15日・31日までの所や通年の所もあり、バラバラです。

【日本橋七福神巡りコース】
 平成26年(2014年)の期間は、1月1日(水)~7日(火) 9:00~17:00
 東京メトロ・人形町駅(にんぎょうちょうえき)周辺を回る日本一距離の短いといわれる七福神コースです。
 8つの神社を回るコースで、弁才天と恵比寿神が2つの神社で重複しています。
 七福神をかたどった人形焼(にんぎょうやき)が名物のコースです。
 撮影した写真は、昨年・平成25年ですので、干支の「巳」に当る白蛇の飾り物がありました。今年は、馬ですね。

 平成26年(2014年)は、1月4日(土)に日本橋三越本店で1日限定の日本橋七福神巡りガイドのイベントがあるそうです。詳細は御調べください。(一応、インターネットには10:30~14:00 三越本店本館1階室町口で受付)

(1)小綱神社(こあみじんじゃ、福禄寿、弁才天) 中央区日本橋小網町16-23
 “福禄寿”は福徳長寿の神、“弁財天”は商売繁盛、学芸成就の神
 稲荷大神が主祭。540年前の室町時代の8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の文正年間に鎮座した神社
 総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿(五角形の建物)は、中央区指定文化財
 11月末の「どぶろく祭り」は奇祭として特に有名です。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第46景 鐙の渡し小網町」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。新年の景ですので、春景になります。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 正月なので、木に結ばれたおみくじが一杯です。


 昭和4年造営の社殿・神楽殿は、中央区では数少ない戦災を免れた木造神社建築です。
(絵画調)

 特に彫刻には目を見張ります。


(2)茶の木神社(布袋尊) 中央区日本橋人形町1-12-10
 布袋様の笑顔から、福徳円満と防災の神様。また、屋敷や周辺にも火災が無かったことから、火伏せの神。
 江戸時代は、下総(千葉県)佐倉藩主堀田家の屋敷でした。屋敷の神として布袋神が祀られていました。
 かつて社の周りは、茶の木が生い茂っていたことが、その名の由来です。
(下の写真は、群馬県の榛名神社の布袋尊像です。今回は写真をあちこちから集めてきましたのでバラバラです。)



(3)水天宮(弁財天) 中央区日本橋蛎殻町2-4-1
 (社殿建替え(平成28年まで)の為、水天宮は明治座そばに仮宮に移転しています。七福神も、仮宮か?)
 水天宮は安産・子授の神社として、かなり有名な神社です。
 江戸時代の11代・徳川家斉(いえなり)の文政年間に、九州久留米藩の有馬公が久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まりです。毎月5日に限り、江戸の町民にも参拝が許されていました。
 現在も、毎月5日と巳の日には、お宮の扉が開き、見る事が出来ます。

 水天宮の弁財天は「中央辨財天」と呼ばれ、運慶の作と云われ、手に琵琶を持たず剣や矢を持つ勇ましい姿です。これは人の弱い心を正しく導く慈悲の姿といわれています。

(4)松島神社(大黒天) 中央区日本橋人形町2-15-2
 祀られている大国神は、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、破壊と豊穣の神でした。現在は豊穣の面が残り、大黒様として親しまれています。11月の酉の市があります。
 (下の写真は、東京の神田明神(かんだみょうじん)の大黒天像です。)


(5)末広神社(毘沙門天) 中央区日本橋人形町2-25-20
 毘沙門天(多聞天)は、世界の守護神であり、福徳を授ける神です。特に勝負事に利益ありとされています。

 (左下の写真は、群馬県の榛名神社の毘沙門天像、右下が寿老人像です。)


(6)笠間稲荷神社(寿老人) 中央区日本橋浜町2-11-6
 寿老人は長寿の神、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神。
 安政年間に笠間藩主・牧野貞直が、常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に祀られ、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めました。

(7)椙森神社(恵比寿神) 中央区日本橋堀留町1-10-2
 約千年前の平安時代の創建。平将門(たいらのまさかど)の討伐祈願や、太田道灌(おおたどうかん)の雨乞い祈願などの記録も残る古社です。

 同じ七福神の神社でも、こちらの神社は閑散としています。「ベったら市」の時と比較すると、随分と静かです。

 恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に商売繁盛の神様となりました。
 下の写真は、東京のJR恵比寿駅前にある恵比寿(えびす)像です。

 恵比寿の地名は、明治20年代に日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビール)が工場を作り、「ゑびすビール」を発売して、人気があった事から地名になりました。江戸時代は下渋谷村・三田村と呼ばれていました。

(8)宝田恵比寿神社(恵比寿神) 中央区日本橋本町3-10
 元々は皇居前にあった宝田村の鎮守様です。
 (平成26年(2014年)元旦現在は宮司(ぐうじ)不在の為、七福神会から外れているらしいです・・・!)

 「名所江戸百景097 第74景 伝馬町ごふく店 ベったら市」の話で説明しましたので、今回の説明は省略します。
 宝田神社も、ベったら市の時は、左右に祭りの立板がついていたので分かりませんでしたが、両側が駐車場で、何か寂しそうです。都心部は地価が高いので、止む得ませんね!

 小網神社の南側を少し行くと、日本橋川に架かる鎧橋(よろいばし)があります。
 平安時代の武将・源義家(みなもとのよしいえ)が奥州攻めに向かう途中、この地で暴風雨に襲われ、
 鎧(よろい)を水中に投げ入れて竜神に祈ったところ無事に渡ることができたという伝説がありました。
 源義家は、鎌倉幕府をひらいた源頼朝(みなもとのよりとも)の「ひいひい爺さん」(4代前の先祖)です。
 下の写真は鎧橋から日本橋を眺めた写真です。

 江戸時代は、4代将軍・家綱(いえつな)の延宝年間から、渡し船が絵図に示されるようになりました(始まりの年は不明)。先の伝説から鎧の渡し(よろいのわたし)と呼ばれていました。
 明治5年になってから木造の橋が架けられ、明治21年には鉄骨製の橋となりました。
 昭和32年に老朽化により架け替えられて、現在の鎧橋となりました。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第46景 鐙の渡し小網町」(夏景)です。

 広重が生きていた江戸時代から大正の関東大震災までは、小網町の日本橋川沿いの河岸には、「小網町河岸三十六蔵」と呼ばれる白壁の土蔵が立ち並ぶ美しい景観が見られました。
 広重は、この蔵を遠近法を用いて表現しています。
 絵の手前にある江戸時代の日本橋川は、隅田川から日本橋の河岸(かし)に船荷を運ぶ多くの船が浮かんでいますが、その中に日よけ傘をさした女性が乗る舟が渡し船です。
 夏の強い日差しを避ける為に日傘(ひがさ)をさす女性と、空を飛ぶツバメの姿が夏の一日を感じさせています。

 べったら市のブログは、こちらを参照してください。(クリックするとそのブログが開きます。)
 「名所江戸百景097 第74景 伝馬町ごふく店 ベったら市」

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 浜離宮の放鷹術のブログを最初に作ろうとしたのですが、手間がかかる上に、年末・年始に撮影をしていた関係で、正月の用事に追われています。
 すでに、正月の放鷹術(1/2~1/3)が終わってしまいましたので、1月前半期限のブログを優先します。

 次回は、別の景のブログになります。

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