こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、織田信長(おだのぶなが)配下の羽柴秀吉(はしばひでよし)の但馬攻めの続きです。但馬(たじま)の現在の兵庫県・北部にあたります。但馬方面は、秀吉の弟である羽柴秀長(ひでなが)の担当になります。
4月に旅行した時は、竹田城の桜も終わっていて、朝霧もありませんでした。そこで、朝来市内の竹田城周辺にある陣屋を少し見てみる事にしました。予定外ですので、事前調査も不足して、行きあたりばったりです。
竹田城の北側には和田山(わだやま)の町がありますが、そこから北北西に2km程離れた寺内・糸井地区に「和田山町立郷土資料館」があります。ここは、江戸時代の陣屋があった所です。
【糸井京極陣屋(いといきょうごくじんや)】
江戸時代の4代将軍・家綱(いえつな)の寛文8年(西暦1668年)に、京極高盛(きょうごくたかもり)が丹後(たんご、現在の京都府北部)・田辺藩(たなべはん)3万5000石から、但馬・豊岡藩(とよおかはん)3万5000石に移封になります。この時に、分家の京極高門(2000石)が建てた陣屋です。
明治以降は小学校として利用されていましたが、下の写真のように陣屋の表門が現存しています。
門の奥に見えるのは、和田山町立郷土資料館(右)と幼稚園(左)です。
駐車場から見た石垣ですが、門の付近も、きれいに良い状態で石垣が残っています。
この付近には、高生田城(たこうだじょう)という山名氏の山城があったそうです。この城は、山名氏配下の福富甲斐守という人が守っていたと伝えられますが、天正5年、秀長が竹田城を攻める前に落とされた城です。ただし、小さいながらも堅城で、かなり苦労したようです。
下の写真は、朝来市の土田地区の町並みで、奥に見える山沿いの町が寺内・糸井地区です。高生田城のあったのは、左後方の山の付近かな(?)
糸井陣屋の近くに、もう一つの陣屋がありました。和田山の町から国道9号線沿いに西に1km程の所に土田地区があります。こちらは、出石藩(いずしはん)5万石の小出(こいで)家から1500石で分家した小出英直が建てた土田陣屋(はんだじんや)があり、明治になるまで続きました。
写真のように、現在は住宅地となっていますので、何もありませんでした。後で調べた所、移築された門が、教蓮寺(和田山町高田119)に山門として残っているそうです。
土田陣屋の場所を探していると、下の写真のような、土田城の標識(右下)がありました。
土田城は、上の話にでてきた高生田城の出城(支城)としての役割です。おなじく、秀長の竹田城攻めで落城しました。
先にネタばれをしますと、上の写真の後方に見える山が、土田城(はんだじょう、山城)です。
そうとは知らず、「くまドン」は、城跡の標識の道を進んでいきます。少し上った所に神社がありました。
神社の石垣が古くて立派でした。城の一部かな?と思いました。この先に、道も無いので引き返すことにしました。
帰り道に地元の年輩の方に出会いましたので、土田城の事を聞いた所、後方の山頂が土田城で、「昔は山に登る道もあったけど、今はもう誰も通らないから無理だろうな・・・」と教えていただきました。(ありがとうございます)
羽柴秀長が但馬に攻め込み、山名家の家臣が必死に守った時代も、天下泰平の江戸時代と明治以降の激動の歴史の中に埋もれ、平和な現代においては、遠い昔の話となっています。
せっかく、ここまで来たのですから、土田陣屋を探している時にあった地元の神社の写真も載せておきます。
神社の説明板もなかったのですが、地元の人以外でブログに載せているのは、「くまドン」ぐらいでは・・・・・
前回までのブログは、ブログ右欄の「カテゴリーアーカイブ」にある「訪城記」をクリックすると、過去のお城周りのブログ一覧が表示されます。
(1)竹田城とその周辺の過去のブログは、
「城001 天空の城 竹田城(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城007 秀吉の但馬攻め(1) 竹田城・羽柴秀長」
「城007 秀吉の但馬攻め(2) 朝来市の陣屋」 (今回分)
「城007 秀吉の但馬攻め(3) 古墳の宝庫」
「城007 秀吉の但馬攻め(4) 秀長の但馬平定、そして鳥取へ」
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
次回は、大和郡山城の話の続きです。
テスト的に、「城007 秀吉の但馬攻め」と「城008 大和郡山城」を並行して進めてみます。
後で見ると分かりにくくなると思いますので、話しが一段落した所で、番号整列の為、順番を入れ替えます。
次々回の「訪城記」は、「秀吉の但馬攻め」の続きです。
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今回は、織田信長(おだのぶなが)配下の羽柴秀吉(はしばひでよし)の但馬攻めの続きです。但馬(たじま)の現在の兵庫県・北部にあたります。但馬方面は、秀吉の弟である羽柴秀長(ひでなが)の担当になります。
4月に旅行した時は、竹田城の桜も終わっていて、朝霧もありませんでした。そこで、朝来市内の竹田城周辺にある陣屋を少し見てみる事にしました。予定外ですので、事前調査も不足して、行きあたりばったりです。
竹田城の北側には和田山(わだやま)の町がありますが、そこから北北西に2km程離れた寺内・糸井地区に「和田山町立郷土資料館」があります。ここは、江戸時代の陣屋があった所です。
【糸井京極陣屋(いといきょうごくじんや)】
江戸時代の4代将軍・家綱(いえつな)の寛文8年(西暦1668年)に、京極高盛(きょうごくたかもり)が丹後(たんご、現在の京都府北部)・田辺藩(たなべはん)3万5000石から、但馬・豊岡藩(とよおかはん)3万5000石に移封になります。この時に、分家の京極高門(2000石)が建てた陣屋です。
明治以降は小学校として利用されていましたが、下の写真のように陣屋の表門が現存しています。
門の奥に見えるのは、和田山町立郷土資料館(右)と幼稚園(左)です。
駐車場から見た石垣ですが、門の付近も、きれいに良い状態で石垣が残っています。
この付近には、高生田城(たこうだじょう)という山名氏の山城があったそうです。この城は、山名氏配下の福富甲斐守という人が守っていたと伝えられますが、天正5年、秀長が竹田城を攻める前に落とされた城です。ただし、小さいながらも堅城で、かなり苦労したようです。
下の写真は、朝来市の土田地区の町並みで、奥に見える山沿いの町が寺内・糸井地区です。高生田城のあったのは、左後方の山の付近かな(?)
糸井陣屋の近くに、もう一つの陣屋がありました。和田山の町から国道9号線沿いに西に1km程の所に土田地区があります。こちらは、出石藩(いずしはん)5万石の小出(こいで)家から1500石で分家した小出英直が建てた土田陣屋(はんだじんや)があり、明治になるまで続きました。
写真のように、現在は住宅地となっていますので、何もありませんでした。後で調べた所、移築された門が、教蓮寺(和田山町高田119)に山門として残っているそうです。
土田陣屋の場所を探していると、下の写真のような、土田城の標識(右下)がありました。
土田城は、上の話にでてきた高生田城の出城(支城)としての役割です。おなじく、秀長の竹田城攻めで落城しました。
先にネタばれをしますと、上の写真の後方に見える山が、土田城(はんだじょう、山城)です。
そうとは知らず、「くまドン」は、城跡の標識の道を進んでいきます。少し上った所に神社がありました。
神社の石垣が古くて立派でした。城の一部かな?と思いました。この先に、道も無いので引き返すことにしました。
帰り道に地元の年輩の方に出会いましたので、土田城の事を聞いた所、後方の山頂が土田城で、「昔は山に登る道もあったけど、今はもう誰も通らないから無理だろうな・・・」と教えていただきました。(ありがとうございます)
羽柴秀長が但馬に攻め込み、山名家の家臣が必死に守った時代も、天下泰平の江戸時代と明治以降の激動の歴史の中に埋もれ、平和な現代においては、遠い昔の話となっています。
せっかく、ここまで来たのですから、土田陣屋を探している時にあった地元の神社の写真も載せておきます。
神社の説明板もなかったのですが、地元の人以外でブログに載せているのは、「くまドン」ぐらいでは・・・・・
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(1)竹田城とその周辺の過去のブログは、
「城001 天空の城 竹田城(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(2) (兵庫県・百名城56番)」
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「城007 秀吉の但馬攻め(1) 竹田城・羽柴秀長」
「城007 秀吉の但馬攻め(2) 朝来市の陣屋」 (今回分)
「城007 秀吉の但馬攻め(3) 古墳の宝庫」
「城007 秀吉の但馬攻め(4) 秀長の但馬平定、そして鳥取へ」
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
次回は、大和郡山城の話の続きです。
テスト的に、「城007 秀吉の但馬攻め」と「城008 大和郡山城」を並行して進めてみます。
後で見ると分かりにくくなると思いますので、話しが一段落した所で、番号整列の為、順番を入れ替えます。
次々回の「訪城記」は、「秀吉の但馬攻め」の続きです。
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