こんにちわ、「くまドン」です。
今回からは、秀吉の但馬攻めです。但馬(たじま)の現在の兵庫県・北部にあたります。まず、先頭は、「城001」と「城003」でも話をした「天空の城」として、大人気の竹田城(たけだじょう)です。平成25年度は、とうとう年間入場者数が50万人を突破しました。「くまドン」も2回行ってますので、その中の一人です。
今回は、今年の4月に行った時の話ですが、下の写真は、昨年の10月に竹田城に行った時の写真です。
夏から秋にかけて、雲海の発生する確率が上昇していきますので、楽しみな季節になってきました。
【竹田城(たけだじょう)】 百名城56番(スタンプはJR竹田駅)、国指定史跡
別名:虎臥城(とらふすじょう)、「天空の城」、「日本のマチュピチュ」
分類:山城
場所:兵庫県朝来市(あさごし)和田山町竹田字古城山169
特徴:天守は無いが、天守台を始めとする山頂に並ぶ石垣群は見事です。
秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、
近くの展望台からの雲海に包まれた城の姿や、竹田城から見下ろす風景は、まさに絶景!!!
(ただし、雲海の発生は、その時の運任せ。)
さて、日が暮れる前に、朝の撮影スポットの立雲狭(りつうんきょう)にロケハン(下見)に行きます。
竹田の町から、円山川を渡り、車道を登っていくと、ホテル立雲狭(ビジネス客も可と書いてありました)の看板があります。ここを右折して、細いが舗装されている林道を登っていくと、ある程度の広さがある駐車場に着きます。
駐車場から登ってすぐの所に、第三展望台があります。竹田城が見えます。
さて、「なぜ、竹田城が先頭になるか?」ですが・・・・
(1)安土桃山時代の天正5年(西暦1577年)10月に、織田信長(おだのぶなが)は、羽柴秀吉(はしばひでよし、豊臣秀吉)を播磨(はりま、現在の兵庫県南部)に派遣して、播磨の攻略を始めます。対抗するのは、毛利方に味方する播磨の諸勢力です。
この時、羽柴秀吉を迎えたのは、小寺(こでら)家の家臣で、姫路城主だった黒田官兵衛(くろだかんべえ、黒田孝高)です。羽柴秀吉が播磨に入った時は順調で、播磨の諸将は味方になります。
(この辺は、平成26年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で見た方も多いと思いますので、省略します。)
立雲狭は、竹田城のある古城山(標高354m)と竹田の町の横を流れる円山川を挟んで、東にある朝来山(標高756m)の中腹にあります。
無数の奇岩・巨岩・滝が点在する景勝渓谷であると同時に、但馬吉野とも称される山陰随一の山桜の名所です。毎年桜の開花期にあわせて立雲峡桜祭りが開催されます。
4月に立雲峡に行った時は、1週間遅く、桜はすでに散っていました・・・・・・・・残念!
それでも、雲海発生時に霧を発生させる円山川の堤防には、遅咲きの桜並木が満開でした。
(2)早くも、天正5年11月には、播磨の上月城(こうづきじょう)を攻めると同時に、秀吉は弟の羽柴秀長(ひでなが)を別働隊3000人で北の但馬方面を攻めることになりました。
姫路城と竹田城の間には、生野銀山(いくのぎんざん)があり、この銀山を管理する太田垣氏(おおたがきし、山名四天王の一人)の竹田城を落として銀山を入手して、但馬方面の足がかりを作る事が目的でした。
竹田城は秀吉軍のものとなり、羽柴秀長が城代(じょうだい、城周辺の守備)として治める事になりました。
この時は、順調に山名家の豊岡城まで進攻しましたが、土地の地侍(土豪)にゲリラ戦術を仕掛けられて敗北し、竹田城付近まで後退することになります。
その後、播磨の諸将が毛利側に寝返り、背後の荒木村重(あらきむらしげ)の謀反(むほん)するなどして、その対応に追われ、但馬方面の攻略は後回しとなります。
とりあえず、夕日を狙いましたが、竹田城は山の中にありますので、山並みの中です。
竹田城の見事な写真をブログを載せているkainaka-2さんは、竹田城の夜景の写真が得意で、「くまドン」も撮影してみたかったのですが、連日の早起きで、さすがに夜間撮影は、きつくなっていましたので、食事をして寝る事にしました。
宿は、今回も和田山にあるビジネスホテル好日でしたが、前回、美味しい但馬牛を食べた和田山の国道沿いにある「太田家」さんは、満員御礼であきらめました。(やはり人気あります!)
(3)天正6年4月に明智光秀(あけちみつひで)の丹波(たんば)攻めが始まると、羽柴秀長は織田信長の命令により、明地光秀の増援に行く事になり、竹田城の東にある丹波柏原方面に兵を進めます。
「城006 兵庫県の織田家(3) 丹波柏原藩・変わりゆく時代」の中でお話ししましたが、下の写真の柏原の八幡神社は、この時に明智光秀の陣地となり、翌・天正7年に戦火により焼失しました。現在の社殿は天正10年に秀吉が再建させた建物です。
翌・天正7年の6月に丹後の八上城(波多野秀治)が落城、8月に丹波の黒井城(赤井忠家)が落城となり、但馬の東側にあたる丹波(明地光秀)・丹後(細川藤孝)は、織田家の勢力圏となります。
(4)天正8年(西暦1580年)になると播磨(はりま)の三木城が落城するなどして、播磨方面が羽柴秀吉によって、再度平定されることになります。
そして、羽柴秀長による但馬攻めが再開される事になります。この時、竹田城は、毛利方の太田垣輝延が再占拠していたそうですが、秀長軍6400人が攻め寄せ、再落城となったようです。
再び、秀長は竹田城の城代として、竹田城を起点に但馬攻めを開始する事になります。
翌朝、立雲峡に行ってみましたが、残念ながら雲海はありませんでした。
春でも、条件が良ければ、雲海が見れるのですが、残念でした。
次回の「秀長の但馬攻め」は朝来市の陣屋・城跡に関する話です。
前回までのブログは、ブログ右欄の「カテゴリーアーカイブ」にある「訪城記」をクリックすると、過去のお城周りのブログ一覧が表示されます。
(1)竹田城とその周辺の過去のブログは、
「城001 天空の城 竹田城(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城007 秀吉の但馬攻め(1) 竹田城・羽柴秀長」 (今回分)
「城007 秀吉の但馬攻め(2) 朝来市の陣屋」
「城007 秀吉の但馬攻め(3) 古墳の宝庫」
「城007 秀吉の但馬攻め(4) 秀長の但馬平定、そして鳥取へ」
(2)丹波柏原の八幡神社の話は、以下のブログの最後の所です。
「城006 兵庫県の織田家(3) 丹波柏原藩・変わりゆく時代」
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
次回は、奈良県の大和郡山城の話です。
テスト的に、「城007 秀長の但馬攻め」と並行して進めてみます。
後で見ると分かりにくくなると思いますので、話しが一段落した所で、番号整列の為、順番を入れ替えます。
次々回は、朝来市の陣屋・城跡の話の続きです。
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今回からは、秀吉の但馬攻めです。但馬(たじま)の現在の兵庫県・北部にあたります。まず、先頭は、「城001」と「城003」でも話をした「天空の城」として、大人気の竹田城(たけだじょう)です。平成25年度は、とうとう年間入場者数が50万人を突破しました。「くまドン」も2回行ってますので、その中の一人です。
今回は、今年の4月に行った時の話ですが、下の写真は、昨年の10月に竹田城に行った時の写真です。
夏から秋にかけて、雲海の発生する確率が上昇していきますので、楽しみな季節になってきました。
【竹田城(たけだじょう)】 百名城56番(スタンプはJR竹田駅)、国指定史跡
別名:虎臥城(とらふすじょう)、「天空の城」、「日本のマチュピチュ」
分類:山城
場所:兵庫県朝来市(あさごし)和田山町竹田字古城山169
特徴:天守は無いが、天守台を始めとする山頂に並ぶ石垣群は見事です。
秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、
近くの展望台からの雲海に包まれた城の姿や、竹田城から見下ろす風景は、まさに絶景!!!
(ただし、雲海の発生は、その時の運任せ。)
さて、日が暮れる前に、朝の撮影スポットの立雲狭(りつうんきょう)にロケハン(下見)に行きます。
竹田の町から、円山川を渡り、車道を登っていくと、ホテル立雲狭(ビジネス客も可と書いてありました)の看板があります。ここを右折して、細いが舗装されている林道を登っていくと、ある程度の広さがある駐車場に着きます。
駐車場から登ってすぐの所に、第三展望台があります。竹田城が見えます。
さて、「なぜ、竹田城が先頭になるか?」ですが・・・・
(1)安土桃山時代の天正5年(西暦1577年)10月に、織田信長(おだのぶなが)は、羽柴秀吉(はしばひでよし、豊臣秀吉)を播磨(はりま、現在の兵庫県南部)に派遣して、播磨の攻略を始めます。対抗するのは、毛利方に味方する播磨の諸勢力です。
この時、羽柴秀吉を迎えたのは、小寺(こでら)家の家臣で、姫路城主だった黒田官兵衛(くろだかんべえ、黒田孝高)です。羽柴秀吉が播磨に入った時は順調で、播磨の諸将は味方になります。
(この辺は、平成26年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で見た方も多いと思いますので、省略します。)
立雲狭は、竹田城のある古城山(標高354m)と竹田の町の横を流れる円山川を挟んで、東にある朝来山(標高756m)の中腹にあります。
無数の奇岩・巨岩・滝が点在する景勝渓谷であると同時に、但馬吉野とも称される山陰随一の山桜の名所です。毎年桜の開花期にあわせて立雲峡桜祭りが開催されます。
4月に立雲峡に行った時は、1週間遅く、桜はすでに散っていました・・・・・・・・残念!
それでも、雲海発生時に霧を発生させる円山川の堤防には、遅咲きの桜並木が満開でした。
(2)早くも、天正5年11月には、播磨の上月城(こうづきじょう)を攻めると同時に、秀吉は弟の羽柴秀長(ひでなが)を別働隊3000人で北の但馬方面を攻めることになりました。
姫路城と竹田城の間には、生野銀山(いくのぎんざん)があり、この銀山を管理する太田垣氏(おおたがきし、山名四天王の一人)の竹田城を落として銀山を入手して、但馬方面の足がかりを作る事が目的でした。
竹田城は秀吉軍のものとなり、羽柴秀長が城代(じょうだい、城周辺の守備)として治める事になりました。
この時は、順調に山名家の豊岡城まで進攻しましたが、土地の地侍(土豪)にゲリラ戦術を仕掛けられて敗北し、竹田城付近まで後退することになります。
その後、播磨の諸将が毛利側に寝返り、背後の荒木村重(あらきむらしげ)の謀反(むほん)するなどして、その対応に追われ、但馬方面の攻略は後回しとなります。
とりあえず、夕日を狙いましたが、竹田城は山の中にありますので、山並みの中です。
竹田城の見事な写真をブログを載せているkainaka-2さんは、竹田城の夜景の写真が得意で、「くまドン」も撮影してみたかったのですが、連日の早起きで、さすがに夜間撮影は、きつくなっていましたので、食事をして寝る事にしました。
宿は、今回も和田山にあるビジネスホテル好日でしたが、前回、美味しい但馬牛を食べた和田山の国道沿いにある「太田家」さんは、満員御礼であきらめました。(やはり人気あります!)
(3)天正6年4月に明智光秀(あけちみつひで)の丹波(たんば)攻めが始まると、羽柴秀長は織田信長の命令により、明地光秀の増援に行く事になり、竹田城の東にある丹波柏原方面に兵を進めます。
「城006 兵庫県の織田家(3) 丹波柏原藩・変わりゆく時代」の中でお話ししましたが、下の写真の柏原の八幡神社は、この時に明智光秀の陣地となり、翌・天正7年に戦火により焼失しました。現在の社殿は天正10年に秀吉が再建させた建物です。
翌・天正7年の6月に丹後の八上城(波多野秀治)が落城、8月に丹波の黒井城(赤井忠家)が落城となり、但馬の東側にあたる丹波(明地光秀)・丹後(細川藤孝)は、織田家の勢力圏となります。
(4)天正8年(西暦1580年)になると播磨(はりま)の三木城が落城するなどして、播磨方面が羽柴秀吉によって、再度平定されることになります。
そして、羽柴秀長による但馬攻めが再開される事になります。この時、竹田城は、毛利方の太田垣輝延が再占拠していたそうですが、秀長軍6400人が攻め寄せ、再落城となったようです。
再び、秀長は竹田城の城代として、竹田城を起点に但馬攻めを開始する事になります。
翌朝、立雲峡に行ってみましたが、残念ながら雲海はありませんでした。
春でも、条件が良ければ、雲海が見れるのですが、残念でした。
次回の「秀長の但馬攻め」は朝来市の陣屋・城跡に関する話です。
前回までのブログは、ブログ右欄の「カテゴリーアーカイブ」にある「訪城記」をクリックすると、過去のお城周りのブログ一覧が表示されます。
(1)竹田城とその周辺の過去のブログは、
「城001 天空の城 竹田城(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城001 天空の城 竹田城(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(1) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(2) (兵庫県・百名城56番)」
「城003 天空の城 竹田城・再訪(3) (兵庫県・百名城56番)」
「城007 秀吉の但馬攻め(1) 竹田城・羽柴秀長」 (今回分)
「城007 秀吉の但馬攻め(2) 朝来市の陣屋」
「城007 秀吉の但馬攻め(3) 古墳の宝庫」
「城007 秀吉の但馬攻め(4) 秀長の但馬平定、そして鳥取へ」
(2)丹波柏原の八幡神社の話は、以下のブログの最後の所です。
「城006 兵庫県の織田家(3) 丹波柏原藩・変わりゆく時代」
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
次回は、奈良県の大和郡山城の話です。
テスト的に、「城007 秀長の但馬攻め」と並行して進めてみます。
後で見ると分かりにくくなると思いますので、話しが一段落した所で、番号整列の為、順番を入れ替えます。
次々回は、朝来市の陣屋・城跡の話の続きです。
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