正月松の内も終わり、そろそろ普段通りの平凡な日々が戻ってきた、子供の頃は
もういくつ寝るとお正月と、指折り数えてワクワクしながら待つ楽しいイベント
で、正月の終わりには文字通り、祭りのあとの寂しさを味わったものだった・・・
昔から、日本人は普段通りの日常を「ケ」の日、正月や祝祭日等年中行事などを
行う日を「ハレ」の日と呼び、日常と非日常を使い分けていました。
「ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたり、
お酒を飲んで祝ったりする特別な日で、ワクワクする様な楽しい日です。
「ケ」は普段通りの生活を送る日ですが、日常生活の「ケ」がなく、毎日がお祭り
の「ハレ」だったら、それはそれでつまらないものになってしまう?かも・・・
また、病気や死など、日常の「ケ」の生活が順調にいかなくなることを、「気枯れ」
=「ケガレ」といって忌み嫌い、禊ぎ、清め、祓いなどをしました。
「ケガレ」を落とし、単調になりがちな普段の生活に「ケジメ」をつけて、「ハレ」
の日を迎える繰り返しで「ハレ」と「ケ」はワンセット成り立っていると言えます。
普段通りの平凡な「ケ」の日常があるからこそ、「ハレ」の日が一層、輝くとも言え
ると思う。
日々に「ハレ」と「ケ」があるように、人々の日々の生活の中にも光の部分と影の部分
があり、悪いことが起こると「明日はきっとよくなる」と自分を励ましたり、よいこと
が起こると「いいことばかりではない」と喜びすぎるのを戒めたりします。
まさに「人間万事塞翁が馬」「禍福はあざなえる縄のごとし」だと言えます。
窓辺のシクラメンの花。
もういくつ寝るとお正月と、指折り数えてワクワクしながら待つ楽しいイベント
で、正月の終わりには文字通り、祭りのあとの寂しさを味わったものだった・・・
昔から、日本人は普段通りの日常を「ケ」の日、正月や祝祭日等年中行事などを
行う日を「ハレ」の日と呼び、日常と非日常を使い分けていました。
「ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたり、
お酒を飲んで祝ったりする特別な日で、ワクワクする様な楽しい日です。
「ケ」は普段通りの生活を送る日ですが、日常生活の「ケ」がなく、毎日がお祭り
の「ハレ」だったら、それはそれでつまらないものになってしまう?かも・・・
また、病気や死など、日常の「ケ」の生活が順調にいかなくなることを、「気枯れ」
=「ケガレ」といって忌み嫌い、禊ぎ、清め、祓いなどをしました。
「ケガレ」を落とし、単調になりがちな普段の生活に「ケジメ」をつけて、「ハレ」
の日を迎える繰り返しで「ハレ」と「ケ」はワンセット成り立っていると言えます。
普段通りの平凡な「ケ」の日常があるからこそ、「ハレ」の日が一層、輝くとも言え
ると思う。
日々に「ハレ」と「ケ」があるように、人々の日々の生活の中にも光の部分と影の部分
があり、悪いことが起こると「明日はきっとよくなる」と自分を励ましたり、よいこと
が起こると「いいことばかりではない」と喜びすぎるのを戒めたりします。
まさに「人間万事塞翁が馬」「禍福はあざなえる縄のごとし」だと言えます。
窓辺のシクラメンの花。
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