
積み石を見かける場面って 二つある。ひとつは山、そして寺。いずれのシーンでも なぜか心ひかれ、カメラを向けてしまうのでした。
山の場合は、ケルンの役割を持ってるね。ガスで登山者が方向や位置がわからなくならないようにするためのもの。だから勝手に積み石をすると かえって事故が起きるよね。
昔 北アルプスの爺が岳を登っていた時、山岳パトロールのおじさんが、小さな「ケルン」を足で蹴飛ばして壊していた。聞くと「こういう石積みしたようなところに、ライチョウが卵を産むので、登山道に使い場所に産むと かえって雷鳥が人間から危害を加えられるので壊している」という趣旨のことを言っていた。この場合のケルンは 「登山者の作品」だったんだね。
寺の場合は、民間信仰における死者への供養のためだろうね。昔は「行旅病人」を埋葬した場合の墓の役割をしていたのかもしれないけどね・・ まあ 今はもうそんなことないだろうけど。
白山など昔から信仰登山が行われていた山で、積み石を見かけると、この「山」と「寺」の積み石に、なんとなく共通項があるようで興味深い。
いずれにしても 石を積むって行為は 積む人の思いが込めれ込められていて、それがひきつけるんだろうね。
↓白山室堂にて
↓国東半島 熊野摩崖仏にて
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