きままなドライブと写真、そして映画

晴れの日はドライブ・写真、雨の日は映画、曇りの日は・・・迷う

フィルム一眼レフ

2016-07-31 22:06:27 | Weblog

部屋の中をすっきりさせるため、不要なものは極力捨てようと整理している。
触っていると懐かしく、思い出深いが、フィルム一眼レフを捨てることに決めた。

もともとカメラは精密機器だった。
手動でフィルムを巻き上げ、ピント、絞り、シャッタースピード、ISOすべてをマニュアルであわせて撮っていた。
それが、ミノルタがオートフォーカスを発明して以降、みるみるうちにデジタル化が進んだ。
そして、技術革新によりフィルムからデジタルカメラへと移行していくと、カメラは今や精密機器から電子機器となった。
EOS 5はフィルムカメラの時代にデジタル化が進んだ暫定的な時代のカメラである。
視線入力というのがあって、ファインダーの中の複数の測距点のうちピントをあわせたい測距点を見つめると、そこにピントをあわせるという機能があった。
撮影者の視線を感知してそこにピントを合わせるという画期的な機能と思われたが、今のデジタルカメラには引き継がれていない。
デジタル化の過程で生まれた中途半端なフィルム一眼レフ、EOS 5とその対応レンズ、さらにその前の完全マニュアルカメラとレンズは今後使うことはまずないので処分することに決めた。

縦位置グリップを装着したEOS 5。
外見は、上部のダイヤルや背面など今のデジタル一眼レフとほぼ同じ。リモートスイッチもデジタルになっている。
標準ズームは28-105mm。望遠はタムロンの70-300mm。
なお、背面の小さな窓は、装填しているフィルムが何か分かるためのものであるが、当時はフジフィルムのベルビアというリバーサルフィルムを使っていた。
ベルビアは発色がよく緻密な描写をするフィルムであったが、ISOが50しかなく、三脚必須だった。

 


 

 

EOS 5は自分で買った初めてのカメラで、それまではずっと写真が趣味だった亡き父のお下がりを使っていた。
これはニコマートという完全マニュアルのニコンの一眼レフ。
フィルム巻き上げレバーがなつかしい。
このカメラの時代は、レンズは単焦点レンズで、装着しているのは55mm。望遠は200mm。
ニコマートのあと、ニコンFM2というカメラを長く使っていたが、これは今、息子のもとにある。
このブログに載せるため写真に撮ったりしていると、昔のことが蘇えってきて、処分するのが惜しくなってくるが、心を鬼にして捨てる。

 

 

この望遠レンス、NIKKOR-Q Auto 200mm F4について、どういうレンズなのか、なんとなくインターネットで調べてみると、なんと、「まさにこのレンズのためにニコンFを作ったといっても過言ではない」という記事があった。
ニコンF用として発売され、200mm望遠レンズとして初めて完全自動絞り機構を搭載した最初の本格的望遠レンズと書かれている。
ニコンFは、ニコンのフィルム一眼レフのフラッグシップ機である。
ちなみに、Autoとか完全自動絞りとかがどういう意味かというと、シャッターが切れる時だけ設定した絞りになり、ほかは開放の状態になっている、ということである。
もともと一眼レフが作られたのは、レンジファインダーカメラの弱点である望遠をカバーするためであり、このレンズの紹介記事の表題は「一眼レフの申し子」となっている。
そんな由緒あるレンズだったとは全然知らなかった。
・・・
いや、捨てる。

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油山

2016-07-30 22:35:09 | Weblog

油山は福岡市の市街地に最も近い里山であり、市民には身近な存在の山である。
子供の頃に遠足に行ったような気がする。
僕が生まれ育った地域は、一面の田んぼが完全になくなり昔の光景を留めるところがないが、ここはけっこう昔のままの自然が残されている。
福岡の街全体を見下ろす夜景は美しいらしい。
一度夜景でも撮りに行くか。
でも、カップルもやってきそうだから、怪しいオジサンと見られてしまうかも。


EOS kiss X7
EF-S 18-55mm F3.5-5.6 IS STM

 

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2016-07-29 23:10:42 | Weblog

引っ越しの諸手続きや新生活に必要な買い物や妻の病院への送り迎えなどの合間に、妹と一緒に母が入っている介護施設に行く。
妹は自分が用事があって行けない時に、僕に行ってくれればありがたいという。
でも、妹のような対応はとてもできないし、無理だとつくづく思う。
食事の時が一番意識がはっきりしているというので、食事の時間にあわせて訪問する。
母はまだ自力で食事をしているが、いつできなくなってもおかしくないレベルで、食べ物を箸でつまんで口に入れて咀嚼するという行為全体がとても緩慢で時間がかかる。
時には口に入れる前に落としてしまうこともある。
時間が経つにつれ、だんだん眠気を催してきて、終盤はほとんど目を閉じている。
そんな母の食事に甲斐甲斐しく世話をやく妹のような対応は僕には無理である。
なかなか進まない母の食事を見ているだけで僕は疲れてしまうが、妹は母にできるだけ食事を残さず食べさせようと懸命である。
こういうことは僕にはとても無理だと思ってしまう。
僕の人生は母のおかげといって過言ではないが、それでも今の姿を見るとちょっとひるむ。
父親の食事の世話に毎日来ている同年輩の男性がいる。
ほんとにすごいと心から感服する。

人間の最後の姿とはこういうものかとつくづく思う。
だんだん食事も一人でできなくなり、排泄や入浴も人に世話をしてもらわないと自分ではできなくなる。
歩行も困難になり、車椅子での暮らしになる。
意識はだんだん混濁し、きちんとしたコミュニケーションはとれない状態になっていき、言葉は話せても意味不明のことを言うようになる。
人間として生きてきた普通の暮らしからどんどんかけ離れていき、ただの生命体になっていく。
去年は妹の献身的な介護とその大きな負担を認識していた母も、今はもうその認識はないと思われる。
介護施設はこういった人生末期の人達を集めた施設であり、死を迎えるまでの生命維持施設という感じである。
介護士の人達の仕事を間近に見て、忍耐のいる大変な職業だと思う。
僕も妹も年金生活者で、まだその自覚は乏しいにしても老人であり、いずれ我が身のことだ。
人の世話を受けないと生きていけないこと自体が認識できないような状態で生きていくってことにいずれなるわけだ。
僕のような団塊の世代が施設に入る時期になると、今以上に施設不足になることが目に見えている。
「楢山節考」という映画を思い出す。
子供にも誰にも迷惑をかけない生の閉じ方。
まだ先のことなので、そのうち考えよ。

今津浜の朝 滋賀県高島市
2015年7月25日
EOS 5D mark3
EF 24-105mm F4L IS USM

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福岡の友達と四十年ぶりの再会が決まる!!!

2016-07-28 23:10:00 | Weblog

今まで福岡に帰省しても、実家に泊まるだけでトンボ返りしていたため、友達と会うこともなく、年賀状のやりとりだけで終わっていた。
それが福岡に戻った旨の挨拶状を出したら、さっそくショートメールやら電話が三人の友人から入ってきた。
四十年のブランクが嘘のようで、うれしい限りである。
喋り方や声がなんともなつかしく、電話で話している限りでは昔のまんまだ。
勿論、人相、風体は四十年前とは大幅な変貌を遂げているに違いないが。
さっそく僕を含めた四人で会うことになった。
驚いたことに、その三人も、互いに何十年ぶりかの再会らしい。
僕の挨拶状がきっかけになったのかも。
三人とも高校の同窓生だが、僕にとっては、一人は小、中、高が一緒。一人は中、高が一緒。一人は高のみ一緒、と付き合った長さは違う。
でも、そんなことに関係なく、三人相互に親しい感覚をもっているのが電話で話していて改めて感じられた。
八月初旬の再会が楽しみだ。

友人といえば、大学時代の友人で、家族を引き連れアメリカに移住してしまった友人がいる。
年一回は帰国して訪ねてきてくれる。
今回もさっそく福岡に来てくれることになっており、上記三人との再会の数日前に会う予定になっている。

 

京都水族館 2014年7月5日
EOS 5D mark3
EF 24-105mm F4L IS USM

また孫からは忘れられてる。きっと・・・
サビシイ・・・

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退職・転居に伴う諸手続きなどいろいろ

2016-07-27 23:55:56 | Weblog

退職した場合、健康保険をどうするかについては、従来の勤務先での健康保険を継続するか、国民健康保険に切り替えるかの選択が出てくる。
詳細は割愛するが、たいていの人は勤務先での健康保険を継続(これを「任意継続」という)すると思われ、僕もそちらを選択した。
退職と同時に健康保険証を返却し、任意継続の手続きを行うと、しばらくして新しい健康保険証が送られてくる。
退職時は滋賀にいるので、全国健康保険協会・滋賀支部が保険証を発行する。
滋賀から福岡に引っ越したら、今度は全国健康保険協会・福岡支部に出向き、住所変更の手続きをする。
するとやがて福岡支部からも健康保険証が送られてくる。
ただし、福岡支部発行の保険証は8月1日以降にしか使えないので、それまでは滋賀支部発行の保険証を使う。
8月に入った段階で、滋賀支部発行の保険証を福岡支部に郵送する。
あわせて福岡支部あてに保険料の口座引落の手続きを行う。
なお、任意継続で発生する保険料の支払いを忘れると手続き自体取り消しになるので要注意だ。
・・・と、まあ、健康保険だけでもこれだけの手続きがある。
年金、電気・ガス・水道、インターネット、新聞、挨拶状出状先リスト、預金口座、損害保険、カード会社、amazonその他通販、カーテン、照明器具、エアコン、ウォシュレット、アンペア変更工事、テレビアンテナ配線工事・・・
乳癌の妻を病院へ、妹と一緒に介護施設の母のところへ・・・
のんびり写真を撮りに行けるようになる日は来るのだろうか。

箱館山ゆり園 滋賀県高島市 2013年7月13日
EOS 5D mark2
EF 24-105mm F4L IS USM

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今回の引っ越しは疲れたー

2016-07-26 00:39:28 | Weblog

本日、インターネットが開通。
同じフレッツ光ネクストなのに、モデムが新しい機器になっていた。
何がどう変わったのか、よくわからない。

ところで、引っ越しの経験という意味では、普通の人より数多く経験している。
独身の時は省略するとして、結婚時の新居は横浜の白楽、それから同じく横浜の大倉山に移り、さらに世田谷区の代沢へ。
そして丁度バブル真っ最中の時期に、千葉の松戸へ。
多摩や町田あたりの都内郊外か神奈川県に住みたかったが、当時はすべての物件が抽選になっていて、抽選に当選することは宝くじに当たるようなものだった。
週末になると子供を連れて抽選会に出かけたが、まったく当たらなかった。
担当先の某大手業者が販売していた松戸も抽選だったが、首都圏西部よりは東部の方が競争率が低いのか、当たった。
この時、最寄り駅は「北松戸」だったが、その後、事情あって、最寄り駅「馬橋」のところに移り、さらに最寄り駅「新松戸」に引っ越した。
「事情あって」というのは、夜逃げでは決してないので、念のため。
その間、名古屋、高松、宇都宮での単身赴任というミニ引っ越しもある。

で、その新松戸から仕事の関係で滋賀に引っ越し、思いがけなく七年半の長期に暮らした末に、今回、故郷の福岡に四十年ぶりに住むことになった。
以上の通り、、引っ越し経験は何度もしているが、子供が巣立ち、夫婦二人の引っ越しなのに、今回が一番疲れた。
滋賀での住居が狭かったため荷解きができず、段ボールのなかで生活していたようなものなので、段ボールはそのままでいいにせよ、段ボール以外の荷造りがけっこう大変だった。
妻が病気で荷造りが進んでいなかったことと僕の体力がやっぱり老化で落ちているのか。
公私ともども六回の送別会をやってもらい、実は引っ越し日前日も送別会を予定していたが、荷造りの進捗状況からいってこれはさすがに勘弁してもらった。
当日、なんとか搬出作業を終えて、引っ越し業者のトラックが出発した時は、ほんとに疲れ果てた状態だった。
その日は予約していた岡山のホテルに泊まり、翌日福岡へ到着。

退職と転居が同時というのは手続きがたくさんあって、あっという間に一週間が過ぎた。
ウィー
ちょっと飲みすぎかなあ

当面写真を撮りに行く余裕はないと思うので、とりあえず滋賀の時の写真を。
近江富士花緑公園 滋賀県野洲市
2013年7月15日撮影
CANON EOS Kiss X7
EF300mmF4L IS USM
EXTENDER 1.4
 

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さらば滋賀 ブログ再開は7月25日以降

2016-07-13 15:31:08 | Weblog

いよいよ明後日、7月15日は引っ越し。
6月24日をもって退職して以来、ずっと引っ越しの準備をしているがなかなかはかどらない。
集中力に欠け、疲れやすい。トシのせいかなー。
今日は取引先の社長が送別会をやってくれるというので、夕方出かける。
明日が引っ越し作業のラストスパート。
ほんとにこれで引っ越しができるのかと思うほど、荷造りが進んでいない。
7月15日、午前中に荷物の搬出が終われば、午後、福岡へ向けて出発する。
途中、岡山で一泊し、福岡へは7月16日に到着予定。
翌17日に、荷物の搬入が行われる。
すぐにでも、インターネット接続が出来ると思っていたら、NTTが混みあっているため、7月25日にしか工事ができないとのこと。
ということで、しばらくこのブログはお休みとなる。

七年半住んだ滋賀ともいよいよお別れだ。
白鳥やオオワシが撮影できなくなってしまうのがさびしい。
仕事ではいろいろあったが、プライベートでは滋賀、京都、奈良を中心に趣味の写真撮影を満喫させてもらった。
徳川幕府以降に開けた関東にはない、寺社も自然も古い歴史の趣きがあり、近畿に住む機会があってよかったと思う。
福岡には四十年ぶりに住むことになる。
変貌ぶりがすごくて、完全にヨソ者同然である。
さて、パソコンの電源を切って、荷造りにとりかかろう。

 

海津大崎の桜  滋賀県高島市マキノ町海津

 

平池のカキツバタ  滋賀県高島市今津町深清水

 

烏丸半島の蓮  滋賀県草津市下物町

 

教林坊の紅葉  滋賀県近江八幡市安土町石寺

 

鶏鳴の滝  滋賀県甲賀市信楽町神山

 

畑の棚田  滋賀県高島市畑

 

湖北夕景 滋賀県長浜市湖北町

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近江富士花緑公園のトンボ 撮り納め

2016-07-12 22:07:21 | Weblog

夏になると、この公園の小さな蓮池でチョウトンボを撮ってきた。
ところが、池に繁殖していたガマが根こそぎ除去されてしまい、チョウトンボのヤゴがどうなってしまったのか心配だった。
ひょっとしたらいなくなっているかもしれないと思いながら行ってみると、チョウトンボはいた!
しかし、今まで羽を休めていたガマの葉っぱがなくなってしまったので、池の上をひたすらヒラヒラと飛ぶだけである。
飛び続けるチョウトンボを撮影するのはほんとに難しい。
が、なんとか撮れた。

 

 

 

ショウジョウトンボ

 

日本最小のトンボ、ハッチョウトンボ
10円玉の直径程度の大きさしかない。
絶滅危惧種であり、生息しているのは公園内の秘密の湿地帯。
赤いのがオス。黄色いのがメス。

 

 

 

近江富士花緑公園 滋賀県野洲市

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鶏鳴の滝 撮り納め

2016-07-11 16:57:01 | Weblog

無職になって一番いいと思っていたのは、平日に写真を撮りに行けることだ。
引っ越しまでの間、午前中の天気がいい日があれば、鶏鳴の滝の撮り納めに出かけたいと思っていた。
ずっとほぼ独占状態で撮影してきた鶏鳴の滝も、三年ぐらい前から突然大勢のカメラマンが来るようになってしまった。
陶器では有名な信楽も、その山中にある鶏鳴の滝まで知る人は少なかったはずなのに。
三河、岐阜、神戸、奈良、京都、大阪・・・とにかく、遠くからはるばるやってくる。
ようやく午前中晴れの天気予報を見て、平日はさすがに誰もいないだろうと出かけた。
しかし、いた!!!
大阪ナンバーの車で来た人だ。
しかも、僕の定位置である岩に既に陣取っている。
やむなく、第二の定位置の岩へ。
第一の定位置は撮る範囲を広く確保できるので、光芒がどこに出ても撮影できる。
ただ、もろに逆光になるので、ゴースト、フレア、白トビがかなり発生しやすい。
また、滝を右側から捉えることになり、滝の一番上は木の葉っぱで隠れてしまう。
第二の定位置は撮る範囲が若干狭まる。
しかし、逆光の程度が第一の定位置よりも緩和されるので、ゴースト等の発生は多少抑えられる。
第一定位置よりも滝の正面を向いているので、光芒の出る場所によってはベストポジションとなる。
撮影しているうちに、さらに三人のカメラマンがやってきた。
平日の朝、無職の男が五人、写真撮影。

 

 

 

 

 

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二日連続二日酔い

2016-07-10 16:14:54 | Weblog

二日連続の二日酔い。
今日の方がひどい。
しんどい。
今日は、不要な家具等を回収してくれる業者が見積もりにやってきた。
このところ、ゴミ処理施設にゴミを搬入する日々が続いている。

 

ということには関係なく
福岡 大濠公園にて

 

 

 

 

 

上の写真を改めて見ると、たいていの水鳥は体を水面上に浮かして移動するのに対し、ウは体を水中に沈めて移動している。
初めて知った。

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二日酔い

2016-07-09 12:36:26 | Weblog

昨晩は非公式の送別会。
退職した僕の送別会もこれで四回目。
ありがたいことではある。
二軒目に行くのはやめようと思っていたのに、行った。
で、やっぱり二日酔い。
久しぶりの二日酔いだ。
今日も飲み会。
しんどい。

ということには関係なく

福岡 大濠公園にて

 

 

 

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ホームシアターシステム・・・

2016-07-08 00:41:23 | Weblog

滋賀に来てからは、住居は借り上げ社宅であり、狭い住環境となってしまったため、それまで通りのホームシアターができなくなってしまった。
映像は、プロジェクターでスクリーンに映す形式だが、距離が足りず、100インチで見ていた映像が60インチくらいでしか見れなくなった。
音響は、6個のスピーカーを鳴らす5.1チャンネルというものだが、これも、住環境上、音が出せないため、ヘッドフォンで聞くしかなかった。
引っ越しの準備で荷物を整理していて、リア・スピーカーとウーファーがカビだらけになっていることがわかった。
泣く泣く捨てた。
残りのスピーカーやアンプなど、カビはないものの、七年以上使っていないので、作動するのかどうか。
若い時に買い集めたレコード(主としてクラシック)、昔撮った8ミリフィルム(8ミリビデオではない)、千本を超える映画DVD(一部BD)など、カビが心配ではある。
レコードプレイヤーのベルトは見た目や触った感触ではまだ大丈夫そうだが、果たしてちゃんと作動するのか。
ベルトやレコード針を交換しなければならないかもしれない。
8ミリ映写機は相当長いこと使ってない。
自分の若い頃、子供達がまだ赤ん坊の頃、両親がまだ元気だった頃の映像があり、8ミリフィルムは早くデジタル化した方がよさそうだ。
かつて撮影した大量のリバーサルフィルムは、すべて処分することにした。
傑作を撮った記憶はないし、今さらライトボックスとルーペで見るなんてことは死ぬまでないだろうと判断した。


・・・ということには関係なく
福岡 大濠公園にて
スズメが餌付けされている光景なんて初めて見た。
このオジサンすごい!

 

 

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糸島の二見ヶ浦

2016-07-06 23:57:42 | Weblog

福岡市の西側に隣接する糸島市の海は、博多港からやや離れ、水がきれいな海水浴場としてよく出かけたものだ。
その頃は二見ヶ浦なんて全然有名ではなく、周囲には何にもなかった。
ところが今は、夕陽のスポットとして有名になり、駐車場やレストランなんかができている。
あんな白い鳥居なんかあっただろうかとも思う。
縁結びの神様として、若い女性達にも人気があるらしい。
かつては知る人ぞ知る場所が、どんどん有名になってしまうのは全国的な傾向のようだ。

ところで、糸島は、魏志倭人伝に出てくる伊都国に比定されている。
対馬国=対馬、一支国=壱岐、末盧國=松浦、伊都国=糸島、奴国=福岡
ここまではそれほど争いがないところだろう。
問題はその先の不弥国あたりから怪しくなってくる。一応、不弥国は宇美であろうとはされてはいるが。
この先の水行何日、陸行何日の記述が矛盾しており、どこが間違いかでいろいろな解釈を生んでいる。
不弥国から投馬国、投馬国から邪馬台国に至るわけだが、
おっと、この話題になるときりがなくなるのでやめておこう。


 

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久留米の千光寺

2016-07-05 22:00:20 | Weblog

福岡滞在中、雨が続くなか、ネットで調べると、アジサイ寺と呼ばれる千光寺というところがあったので、行ってみた。
千光寺は久留米にある。
久留米といえば、ブリヂストンの創業者である石橋正二郎の出身地であり、石橋美術館などがある。
鳩山元首相の母親は正二郎の娘で、息子の巨額の政治資金をポケットマネーで出したとか。
それに、意外と知られていないが、久留米は豚骨ラーメン発祥の地である。
豚骨ラーメン=博多ラーメンのようなイメージになってしまっているが、豚骨ラーメンはこの久留米から始まり、鹿児島を除く九州各地に広まって、各地独自の豚骨スープが生み出された。
博多ラーメンは福岡に伝わったその一つということである。

そういえば、この福岡という地名は微妙である。
今の福岡市で、つまりもとの黒田藩で、那珂川を挟んで、西の武家の住居地が福岡、東の町人の住居地が博多であり、市の名前や駅の名前をどちらにするか、もめたこともあったらしい。
そして、武家の住居地を示す福岡という地名が市の名前のみならず、県の名前にまでなってしまったことがややこしさを増している。
福岡といえば、福岡市に暮らす者にとっては福岡市のことを指すし、転勤希望地として札幌と同じぐらい転勤族の人気が高い福岡、といった時の福岡も福岡市を指すのだろう。
しかし、北九州市もこの久留米市も福岡県なので、やっぱり福岡なのである。
福岡はヤクザが怖いということで、今は転勤希望地としては人気がガタ落ちしているらしい。
福岡のヤクザは最強の凶暴集団で、「修羅の国 福岡」なんて言葉まであるらしい。
最近では、王将の社長殺人に関与しているとの記事もあった。
そのヤクザの代表の一つは工藤会で、北九州市を本拠にしている。王将関与はこちららしい。
もう一つの代表は道仁会で、久留米市を本拠にしている。内部分裂し、長い間抗争を行ってきた。
「修羅の国 福岡」・・・福岡市民としては納得いかないなあ。
それからもう一つの人気ガタ落ちの理由は、なかなかなくならない飲酒運転による事故であり、こちらはまさに福岡市の問題である。
福岡市自体が市の職員に対して飲酒運転厳禁の通達を出すという異例の事態にもかかわらず、根絶できていない。
福岡人(というか九州人)は酒好きであり、昔は飲酒運転当たり前だったが、事故は聞いたことがなかった。
福岡に限らず、かつてはゴルフの帰りが飲酒運転になるのは全国共通でもあったのだ。
しかし、今は違う。
飲酒運転による悲惨な事故がなくならないのは福岡の恥だと思う。

 

 

 

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望遠レンズと為替

2016-07-04 21:20:24 | Weblog

今回引越すに当たり、写真機材など大事なものは引越し業者でなく、自分の車で運ぶ。
ただ、一度には運べないので、6月24日に福岡に帰った際、一部運んで実家に預かってもらっている。
その預かってもらっている機材の一つ、所有する機材のなかで最も高価なのが、いわゆるゴーヨンと呼ばれる望遠レンズ、CANON EF500mm F4L IS USMだ。
湖北の白鳥、京都某所のカワセミをメインに撮ってきた。
このレンズは、為替が1ドル80円の時に、アメリカから逆輸入で購入した。
運賃、関税などのコストを考えても、国内で買うより断然安かった。
その時、いずれ円は1ドル100円を超える時が来るのではないかと、FXでドルに投資することを真剣に考えた。
ところが、脳裏に浮かんだのは、かつて受けたトレーニーの惨憺たる思い出だった。
これからの営業は金融マーケットの知識が必要と、一か月のトレーニーを受けたが、ひどい結果に終わった。
株式、外為、債券先物・・・まー、とにかく、いろいろなマーケットでことごとく失敗。
シミュレーションなので実際に損したわけではないが、実際にやっていれば莫大な損失となっていた。
マーケット部の部長からは、失敗が糧になるんだと慰められたが、マーケットの分野には才覚がないことを確信した。
ちなみに、まさにこの時、タテホ化学という会社が債券先物で巨額の損失をだし、タテホショックと言われた。
その記憶というか、トラウマがドルへの投資を思いとどまらせた。
もしあの時ドルを買っていれば・・・
タラレバ、タラレバ・・・

EF500mm F4L IS USMで撮影

 

 

 

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