紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

エリザベス・ビショップ  「ひとつの術」

2005-02-22 16:18:46 | 
ひとつの術

ものを失くする術を覚えるのは、難しくない。
もともと失くされようという魂胆が見え見えで、
失くしたところで大事に至らないものも、ごまんとある。

毎日何かを失くすること。ドアの鍵を失くした狼狽や、
むだ遣いした一時間を、受け入れること。
ものを失くする術を覚えるのは、難しくない。

それからもっとひどく、もっと速く失くする稽古をしよう。
場所や、名前や、どこか旅行に行くつもりだったところなど。
どれも大事に至ることはない。

私は母の時計を失くした。そして、ほら、好きだった三つの家の最後の一つ、
それとも最後から二つ目のも消え去った。
ものを失くする術を覚えるのは、難しくない。

私は二つの都市、綺麗なのをなくした。そしてもっと
大がかりに、持っていたいくつかの王国、河二つ、大陸一つを。
どれも恋しいが、大事に至りはしなかった。

-あなたを失くした時でさえ(冗談を言う声や、大好きなしぐさなど)、その事情に変わりはないだろう。
どう見ても、ものを失くする術を覚えるのは、そんなに難しくない-
たとえどれ程の(はっきり書こう!)大事に見えようとも。

(亀井俊介・川本皓嗣編『アメリカ名詩選』岩波文庫
所収)

強がった別れの詩である。エリザベス・ビショップ(1911~79)は、アメリカの詩人らしく日常的な題材をさりげない言葉で歌いながら、繊細な詩情をたたえている。過去を振り返らないで前向きに生きようとする姿勢や「三つの家」とあるように、家を住み替えていることなどにアメリカらしさを感じるが、それでも万人に共通する別れのつらさが伝わってくる、抑制されているが、痛切な詩である。