コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

母の血を引く占い好き?

2006-01-21 09:46:44 | Weblog
小さい時から風邪などで高熱が出ますと、
『お化けが来たよ~』『幽霊が来たよ~』とか、
『戦国時代の鎧兜で藪の中を逃げ惑い、挙句の果てには竹槍で刺される』
『四方八方から矢が飛んで来て逃げ惑う』など、
うなされていたのを覚えていますので、
土壌に在るのかもしれません。

当時の風邪薬は、
富山の薬売りのおじさんが持て来る、
「トンプク」と云う名の薬でした。
ニガイ薬でオブラートに包んで貰い飲みましたが、
母が直ぐ砂糖水を飲めるように用意してくれていました。

未だ小さかったので映画にも行きませんでしたし、
家にはラジオも無く、当然TVなど無い時代でしたから、
お化けや幽霊の存在など知らない頃でした。
でも熱でうなされて見る夢は決まっていました。
前世の事だったのでしょうか?


弊社のアイドル、
猫のネコ太が食事を待っている正座姿です。

母が占い好きだったのでしょうか?

2006-01-20 09:41:46 | Weblog
高校卒業間際、
母が僕に内緒で三島の占い師さんの所に出掛けたそうです。

ここのおばさんには、
『この子は大工さんに弟子入りさせなさい、将来大物の棟梁に成ります』と言われたそうです。
大工さんには、興味が有りませんでしたので、この話はこれだけでした。

22か23才頃です、
当時東京の姉の家に住んでいましたが、
時々遊びに実家に帰っていました。
帰って来ると山口が遊びに来ていました。

或る時、沼津のキャバレーに行こうと山口が言い出し、
僕はアルコールを全然飲みません、でも遊びですから付き合いました。

帰りに仲見世を歩いていると占い師が出ていました。
何を占って貰ったのかは覚えていませんが、
同年代の女性が占って貰っている側に行き、
『髪の毛が痛んでる』と言いながら山口が女性の髪を弄っています!
『え~、お前止めろよ』と小声で言いましたが、
山口は、『うん』と言いながら弄るのを止めません。
弄られている女性は、占い師の言葉に夢中で感じていないようでした。

『仲間では無い!』と云う感じで、
彼との間に距離を取ったのは、云うまでも有りません。

こうやって考えますと、
母が占い好きでその影響なのかもしれません。


「天然一番コタラの茶」
「伊豆の天然水」は、柔らかい水で、
同じ地域の会社とのコラボです。
伊豆長岡のイチゴセンターに行かれましたら、
お買い求め下さい。

「伊豆の天然水」単体でもお買い求め頂けます。
発売元:(株)ミロク
http://www.slow-health.com/


汽車で出会った不思議なおばさん

2006-01-19 09:04:06 | Weblog
僕と甥の年は11才離れています。
僕が中学2年生頃の事で、甥は3才位でした。

この甥を東京に連れて行くために三島から汽車に乗りました。
母が三島駅まで送ってくれ、
向かい側に座っているおばさん2人に、
『この2人、東京まで行きますので、途中までで結構ですから面倒を見て下さい』と頼みました。
『私達は東京まで行きません、小田原で降りますがそれまではご一緒しますよ』とおばさん2人。

熱海を過ぎた辺りでしょうか、
『お兄ちゃん、手を見せて』と1人のおばさん。
いぶかしげに両手を差し出しました。
『お兄ちゃん、良い手相をしている、将来お金持ちに成れるよ、自分で何か仕事をしなさい、きっと成功する。仕事は何でも良いから自分でするのよ』と言ってくれました。
『ボクの手も見せて』と甥にも声を掛けました。
甥が小さい手を差し出しますと『未だ良く分からないね~、お兄ちゃんの言う事を聴くのよ』と話しました。

『お兄ちゃん、始めは会社で働くと思う、でも一生懸命働けば、自分で始めたい仕事が来るからね』と、おばさん。

この2人のおばさんは、
『未だ道中長いから気を付けて行くのよ』と小田原で降りました。
初めて会ったオバサン達でしたが、忘れられない出来事です。

この時、
甥のために「101匹ワンちゃん大行進」を観に渋谷の映画館まで出掛けました。
甥は「101匹ワンちゃん大行進」の涎掛けをしていました。


写真は、
(株)ミロクさんが発売しました、
「天然一番・コタラの茶」です。

伊豆長岡のイチゴセンターに置いて有ります。
水は「伊豆の天然水」、単体でもお求めに頂けます。
http://www.slow-health.com/

旭滝から湯河原へ

2006-01-18 09:21:15 | Weblog
旭滝から湯河原に越しましたが、
ここには29才位まで行きました。

日大三島の裏手で「黄金虫」と云う名のスナックを友達と始め、
毎晩変な音に悩ませられた時にはお祓いをして貰いました。
お祓い以後は出ませんで、馬のお化けだと言われました。
学生の間では『虫』と呼ばれていたようです。

店は1階で閉店になりますとシャッターを閉め、
ドアに鍵を掛け、階段を上がり2階で寝ます。
1人で風呂に入り布団に潜り込みますと、
シャッターがバンバンと叩かれる音がし、
ドアがギ~と開き、階段を上がって来て、ガラス戸が開き、
入り口に敷いてある絨毯を踏む音が毎晩続きました。

最初は、
親しいお客さんの日大生が悪戯をしているのかと思い、
『誰~?』と声を掛けます。
すると音は止みます。
音がする度にシャッター、ドアを点検に起きました。

或る時は、開いている風呂のドアがバ~ンと閉まる音がしたり、
又この逆も有りました。
シュシュと髪の毛をとかす音がするので、
隣りの奥さんが窓際で髪をとかしているのかと思い、
隣りの窓を覗こうとすると他の場所から聞こえて来ます。
音が移動するんです、
この時は17時頃ですから、まどろんで居る訳では有りません。

これ以後は行きませんでした。
何故かと云いますと、
『タカちゃんが病気に成るよ』とか『タカちゃんが死んでしまうよ』と、
母を脅かすような言葉が多く成ったからです。

細木数子さんも脅かしてから占う事が多いですが、
聴いていて嫌ですね。
おそらく、『脅かして相手の注意を自分に向け、
支配しようと思っているのでは?』と妻と話しています。


木陰に入った猫の白太、
絵になるでしょ?

修善寺、旭滝の占いのおばさん

2006-01-17 09:18:18 | Weblog
次に母に連れて行かれたのは、
修善寺の旭滝の近くの家でした。

親子3人で暮らし、白い着物を着たオバサンが診ていました。
僕は3才の時に左腕の間接を外してから3年毎に左腕の骨折、
筋を伸ばすなど怪我をしていました。
それで母が連れて行ったのだそうです。

『原因は、生まれた所の神社にお宮参りをしていない』と言われたそうで、
両親、姉と一緒に4人でお宮参りをしました。

でも今度は、右腕にヒビ、右足の踵骨折、左足の膝と3年毎の怪我が無くなるまで、合計6回も怪我をし、三島田町の望月接骨院の先生に成長過程を見せに通った様なものでした。
3年毎の顔見世です、『又来たの?』とご夫妻に優しく声を掛けられました。
この先生は柔道5段だそうで、
大きくガッチリした体格でヒゲと薄いサングラスが特徴的でした。

この旭滝のオバサンには、
『母親思いの良い子だから、将来楽しみだよ』と言われたと母が話していました。

この家は、オバサン、オジサンと娘さんの3人暮らしで、
オジサンは絵描き、お姉さんは家の雑用係りをしていました。

この家に行った時は、必ずオムスビを持っていき、
滝の傍に借りたムシロを敷き母と2人で食べました。
春夏秋冬、滝や木々の景観が良いオカズでした。
冬以外は、滝の水を汲み飲みました。



去年の11月も終り頃、
小春日和の中、うたた寝中の猫の白太

いつも笑顔の信心のお婆さん

2006-01-16 09:18:52 | Weblog
夕方暗くなるまで信心のお婆さんの家に居て、
日守の土手を見ますと、
灯りがユラユラと動くのが何度も見られました。

この事をお婆さんに言いますと、
その度に駆け寄ってきて、
『キツネの嫁入りだね』とか、
『自転車だね』と言いましたので、
僕には同じ様に見える灯りでも、
お婆さんには違いが分かったのでしょう。

小学校3年生の時、引っ越しましたが、
それまではチョクチョク出かけて、
毎回軍艦の写真を見せて貰いワクワクしました。

僕が悪戯し母に怒られると、
仲裁してくれ、なだめてくれました。
お婆さんに怒られた事は1度も有りません、
何時もニコニコ笑顔でした。

引越ししてからも母と何回か出掛けました、
その度に『ボ~、大きくなって』と笑顔で迎えてくれました。

お婆さんが亡くなったと聞いたのは、
最後に会って間も無くでした。

今もお婆さんの笑顔は、僕の中で生きています。



おすまし顔の犬のメル

信心のお婆さん

2006-01-15 16:38:06 | Weblog
この信心のお婆さんは好きでした。

3段位の神棚だと思いますが、
1番上の真ん中に木で雲の形が作られた上に、
丸い真鍮色の鏡の様な物が載っていましたが、
今思うと太陽なのでしょうね。
日本で太陽神ですから天照大神を祭っていたのでしょう。

信心のお婆さんは、
僕の事を『ボ~、ボ~』と呼び可愛がってくれました。

お婆さんの所行くと必ずお客さんが来て居て、
お供え物を置いて帰ります。

お菓子が有るとお婆さんは最初に僕にくれました。
今でも落雁が好きなのは、その頃の名残りだと思います。

『ボ~は大きくなったら偉い人に成るよ』と、
このお婆さんに言われたのを今も覚えています。

偉い人とはどの様な人かは今も分かりませんが、
何と無く嬉しかったので忘れる事は有りません。

お婆さんの所に行くもう1つの楽しみは、
お婆さんの亡くなったご主人は海軍の軍人だったそうで、
軍艦の写真を見せて貰える事でした。
戦艦三笠の航海中の写真も在り、
写真の古さから云って大東亜戦争以前の写真だと思います。



犬のメルは、
縫い包みを敵だと思っているようです。
2~3日で中の綿を出してしまいます。

占いって好きですか?

2006-01-14 13:18:04 | Weblog
僕が初めて知ったのは、
3才位の時だったと思います。

何故母が連れて行ったのかは、母も忘れていましたが、
僕が覚えている最初は、この時でした。

中耳炎に罹っていたらしく耳が痛くて泣いていました。
優しい顔のお婆さんが『ボ~、こっちにお出で』と呼びます。
何かされるのかと思い不安でしたが、
母にお婆さんの目の前に連れて行かれました。

お婆さんは僕の顔を覗き込んで、
何やらお経か呪文の様なものを唱え、
右手の親指と人差し指で輪を作り、
『フッ』と僕の顔に息を吹きかけました。
何と無く暖かで気持ちが良くなり、眠くなり意識を失いました。
気が付いて起きた時は耳の痛みが少しに成っていました。

このお婆さんの仕草が印象的だったので、
子供同士で遊ぶ時に真似をしました。
この『フッ』と息を吹きかけられた子は眠る役目です。

このお婆さんの事を、母は『信心のお婆さん』と呼んでいました。



先週の土曜日、メルを庭に連れ出し、
雪の中に入れましたら動けず、この状態で助けを待っていました。
犬は雪が好きだと云いますが、メルに限ってはコタツが好きです。

風邪は峠を越しました

2006-01-13 09:51:55 | Weblog
場所がら、「天城越え」でしょうか?
歌った事は有りませんが、この歌難しいですね。
兎に角、良く寝て食べました、
食欲が落ちないのが回復の早さだと思います。

もう10年位前になると思いますが、
妻の知り合いの方の自宅に毎週通っていました。
そのお宅には、東京から整体の先生が出張治療に来ていました。
それで妻に誘われ二人で一緒に治療をして頂いていました。

当時、先生は70才位で、身長150Cm無く、体重も40Kg無いかの女性でした。
治療が始まりますと、
相手の体重や反発力を利用して軽がると手玉に取ります。

自分が転んで右手を骨折したと言いながら、
添え木もしませんし、その手を使います。
添え木をして、
動かさないようにかばうと返って治癒が遅くなると言っていました。

その先生が風邪に付いて話しました。
『時々風邪を引く事で体温が上がり、汗が出るでしょ、体内の毒素を出すので良い事ですよ。熱が出ると驚いて解熱剤を使うけれどアレは駄目ね。人間の身体は上手く出来ていて宇宙ね』何と無く理解出来ます。


昨日、帰宅しましたら娘が『私もジージの夢を見た』と言っていました。
『ジージはどんな様子だった?』と妻。
『何時もと同じで普通だった』と娘。
『皆と会えるのが楽しみなんだろうね』と妻。


写真は、
僕のベッドの上に作られたチャオのベッド、
右足の上で寝ますので右足が・・・

昨日の夕食は、オムライス

2006-01-12 15:30:38 | Weblog
僕のリクエストに答えてオムライスを作って貰いました。
何故か分かりませんが、時々食べたくなります。

一皿小さいオムライスが有ります、
『これは、何?』の問いに、
『ジージが来たから、一緒に食事をする?何か食べたい物は有るの?今日はオムライスだけど、これで良ければ一緒に食べよ』と云ったのと妻。
『だけど・・・ジージは死んだはずなのに如何したのかな~?と思ったら夢なのね、2回ジージの夢を見たのでジージの分も作ったの、バーバが死んでから、8年位一人で住んでいたのでロクな物を食べていなかったんだろうね~、だから一緒に食事をしたかったんだと思う、そして、来月3日、節分の日に3回忌が行われるので、皆と会えるから嬉しくて出て来たんだと思う』と妻。

我が家で一緒に住んだのは、3週間位でした。
トイレに一人で行くと粗相をしますので、
『必ず声を掛けてね』と言いましたが、
無様な姿を見せたく無かったんだろうと思います。

今の塗装の仕事を始めた頃、
仕事先から貰った手形を銀行で割り引き出来なく、
何回も買い取って貰いました。

この位の事をしなくては申し訳ないと云う気持ちで声を掛けるのですが、
やはり男の面子でしょうね~・・・


休みの時、会社に来ますと、
ネコ太が車の中で眠れるように窓を開けて置きます。
トランク・ルームで気持ち良さそうに眠るのですが、
僕の足音で飛び起き、駆け寄ってくる所です。