コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

靖国神社にて、思うこと

2009-09-30 09:45:15 | Weblog
もう十数年前でしょうか、
日経の「私の履歴書」に、当時のレンゴーの社長の手記が掲載されていました。

社長は、夜間戦闘機「月光」を操縦していたそうです。
副座の部下と一緒に特攻の命を受け、出撃した時の事が、今も頭から離れません。

副座の部下には、許婚がいたそうです。

『隊長、許婚が見送ってくれるはずです。少し遠回りをして下さいませんか?』
『良いだろう』このような事が書かれていました。

これは義務違反で考えられない行動でしょうが、
最後の別れに対し、粋な計らいだと思います。

遠くに許婚の家が見え、
家族が外で飛行機の音の方向を見ているのが分かったそうです。

だんだん機影が近付き、機種が分かれば手を振ります。
飛行機が近付いて来た時の嬉しさは、お互いに言いようが無い位だったと思います。
が、真上に来た時から、別れになります。

その時の寂しさ、悲しさは読んでいて涙が出てきました。
今も、紙面の事が思い出され、やるせない気持ちで一杯になります。

月光は途中で撃墜され、
副座の部下は戦死、自分は負傷で生き残ったと書かれていました。

このような体験をした恋人達、家族は、数え切れない程いたでしょう。
この方達のお陰で、今の日本の繁栄は成り立っているのだと思います。

この方達のためにも、良い国を造り、長生きをしようではありませんか、

「真の勝者とは、健康で長生き」だそうです。



靖国神社
http://www.yasukuni.or.jp/
遊就館
http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/floor/index.html

レンゴー株式会社
http://www.rengo.co.jp/

夜間戦闘機 月光
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln/FR041.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%85%89_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

日経新聞「私の履歴書」
http://www.nikkeibook.com/rirekisho.php?page=1&sort_key=0&sort_order=0&sort_number=20

靖国神社

2009-09-29 08:59:16 | Weblog
学校が御茶ノ水に有りましたので、
20代の時から、前は何回も通りましたが、参拝に初めて来ました。

妻の実家も我が家も、
戦争で亡くなった人はいませんので、関係ないとの思いからです。

『靖国神社に行った事有ります?零戦が置いてあるんです。もう1度行きたい場所です』と、沼信の増山さんから聞いていましたので、1度本物を観たいと思っていました。

お参りを済ませてから、戦争資料館の遊就館に入ります。
零戦は、入り口に有りました。

『こんな作りで、よく飛んだよな~!』と鶴田君。
『凸凹して空中分解しそうだよな~!』これが感想です。

『機体に平リベットを使っているのが、当時は最先端だったらしいね。機体を軽くするため、アルミを0.3mm薄くしたそうで、回転能力は上がったけれど、急降下に耐えられなかったそうだよ。だから零戦と一騎打ちになった時は急降下で逃げろと米側は指示したそうだよ』

2階に上がるのは、有料でした。
滅多に来る事は有りませんので、他には何があるのか観る事にしました。

戦争で亡くなられた人達の写真、特攻の潜水艦、飛行機などが展示されています。
辺りから漂う寂しさ、悲しみ、無念さなどを感じ、一足先に下りてきました。

国のため、家族のためとは云え、
遣り切れない思いで亡くなった人達の事を思うと、切なくなります。


靖国神社
http://www.yasukuni.or.jp/
遊就館
http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/floor/index.html

築地市場のラーメン井上

2009-09-28 09:01:35 | Weblog
ラーメンの作り手2人は、60代後半の多分兄弟だと思います。
休み無く作り続けるのですが、時々、間を取ります。
1セットと間が微妙で、感心して観ていました。

道路に並べた椅子とテーブル2ヵ所、
店の隣のテーブル1ヶ所、計3ヵ所がこの店のテリトリーです。
ラーメンが出てきて、多少バラつきが有ったとしても、
食べ終わる時間が分かっているのでしょう。

製造業と同じ考え方で作っています。

『サッパリ味で美味いね~』と話していますと、
『ここは有名な店ですよ』と、隣のオバサンが声を掛けてきました。

『これじゃ~、行列が出来る訳ですね』
隣のオバサンは、格好からして近くの店の女性だと思います。

後で分かった事ですが、大嫌いな豚骨ベースだそうですが、
昆布の旨味でしょうか、豚骨のギラギラした感じが全くありません。

もし、築地の魚河岸に行く事が有りましたら、お試し下さい。


[築地井上] ラーメン
住所:東京都中央区築地4-9-16
TEL:03-3542-0620
http://r.tabelog.com/tokyo/A1313/A131301/13002337/

築地の魚河岸

2009-09-27 14:30:00 | Weblog
10代の時から、
20年近く東京に住んでいましたが、築地の魚河岸には初めて入りました。

土曜と云う事も有ってでしょうか、凄い人出です。

大通りには、消防車と救急車が停まっています。
事故に備えて待機しているのでしょうか、

12時近くになりましたが、ホテルの朝食が遅かったので、それ程お腹は空いていません。
それでも、新鮮な魚でも食べようかと、人混みの中を動き回ります。
どの店も同じような食べ物で、どの店が良いのか分かりません。

二回りしてから、
『道路わきに在ったラーメン屋、行列が出来てたな~』
『あそこのラーメンでも食べてみましょうか?』
『ラーメンで並ぶのは、な~、でもあれだけ行列が出来ているのは美味いんだろうしな~、あそこに行こう』と鶴田君と2人で並びました。

2人のオジサンが手際よく作っています。
1回に作るのは、8~9人前で、2人で役割分担をしています。
他に2人の若者が、料金とドンブリ洗いの担当です。


築地魚河岸
http://www.tsukiji.or.jp/

浅草の思い出と今と

2009-09-26 15:49:05 | Weblog
浅草ビューホテルの部屋からは、
花やしき、浅草寺、新しく建設中の第2東京タワーなどが見渡せました。
全てが直ぐ近くで、浅草を楽しむのに最適の場所だと思いました。

ホテル出発は11時と云う事で、朝食後、仲見世に出掛けました。

昨夜、試食用の人形焼を差し出して下さった、三鳩堂には義理があります。
焼き立ての人形焼を土産用に買い込みます。
この日も、焼き立てを1個サービスしてくれました。

次に向かったのは、あげまんじゅう屋でした。
姉が東京で働き出し、浅草に連れて来てくれた時、
『この、あげまんじゅうが、人気なのよ』と言い、買ってくれたのを思い出します。

オジイサンとオバアサン2人が作っていました。
10個入りを指差し『これを1個下さい』
『1個売りはしません』

『え~、これ1個では、売らないの?』
『バラの1個だと思いました』と、苦笑い。
僕が小学生の時も、多分この2人が作っていたのだと思います。

次に向かうのは築地市場で、昼食は各自です。


ホテルに向かう途中のショーウィンドー
『この服、誰が着るんでしょう~?』
『う~ん、今時珍しいな~』


浅草ビューホテル
http://www.viewhotels.co.jp/asakusa/index.html

浅草寺
http://www.senso-ji.jp/

花やしき
http://www.hanayashiki.net/

第2東京タワー(東京スカイツリー)
http://www.tokyo-skytree.jp/

あげまんじゅう 金龍山
href="http://www.guidenet.jp/shop/224s/">http://www.guidenet.jp/shop/224s/

人形焼 三鳩堂
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=l_00013061

浅草ビューホテル

2009-09-25 09:34:38 | Weblog
ひさご通りを見付けました。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/syouten/hisago.html

20代前半、久し振りに父親と会うために来た事がありました。
『ひさご通りに、山の音と云う喫茶店があるから、待ってる』

通りの中に入ると、思い出してしまうので、通り過ぎるだけにしました。

ホテルの近くに合羽橋商店街の通りもありました。
http://www.kappabashi.or.jp/home/kawataro.html

妻の親戚が家具屋をやっていたので、何回か来た事があります。
20代後半、
三島で「スナック黄金虫」を始めた時は、この店で家具を揃えましたし、
この商店街で皿やグラスなど必要な品を買い揃えました。
懐かしい場所です。

このホテルは、義母のお葬式の時に泊まって以来ですから、十数年ぶりです。
当時、ラウンジには、ソノテの人達がたむろしている感じでした。
『浅草と云う場所柄、ヤクザが多いんだ』と義父が話していましたが、
今回、それらしい人は、見受けられませんでした。

夜、1人で合羽橋商店街を歩き、
家具屋を探しましたが、見付ける事は出来ませんでした。
『オジさんが亡くなったから、もう止めたんでしょ』と妻。


浅草ビューホテル
http://www.viewhotels.co.jp/asakusa/index.html

あげまんじゅう
金龍山
http://www.guidenet.jp/shop/224s/

人形焼
三鳩堂
『サンキュウ堂と云うのですか?』と質問しましたら、
『ミハト堂です』とオジサン
サンキュウ堂なら、外人も覚えてくれそうですが、
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=l_00013061

雷門と仲見世

2009-09-24 10:44:04 | Weblog
屋形船を降り、
船宿から近くだと云うので、雷門に歩いて行きました。

7時過ぎでしたので、仲見世は人通りも少なく殆どの店が閉店でした。
日本人より、東南アジアの観光客が多いようです。

ここに最初に来たのは、半世紀も前の事です。
人混みをかきわけ、オモチャ屋を探し、欲しい物をねだるのが子供の特権でした。
当時、子供のオモチャと云えば、ピストルか刀。
中折れ式でコルクが紐で結ばれたブリキのピストル。
刀は、竹からメッキをした金属に変わってきていました。

仲見世の正面は、昔の面影を残していますが、
裏側を見ましたら、鉄筋コンクリート作りで、
全部同じ色で統一され、続き長屋風に作り直されていました。

ホテルは、浅草寺の直ぐ近くでした。

『確か、この辺りは屋台が並んでいたな~。屋台も畳がひいてあって、靴を脱いで上がったよ』
『へ~、そうなんですか』

『うどんが一杯10円で、家族で二杯ずつ食べるんだ。本当はもう少し食べたいんだけどさ。雑炊屋もあったな~、これも一杯10円だった。新橋のテンプラ屋のオヤジの話では、残飯を煮ているんだとの事だったけど、これが美味いんだ~、何でも入っているからかな~』

ホテルに向かう途中の道は、
綺麗に舗装され昔が残されていませんでした。


屋形船
http://www.amisei.com/

雷門
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%9B%B7%E9%96%80&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%E9%9B%B7%E9%96%80

屋形船にて、

2009-09-23 08:40:16 | Weblog
タトゥーをした外国人のカップルがいました。
『今はファションよ』と、妻は言いますが、
見ているこちらは、『怪しい奴』としか思えません。

TVを見ていて、一流と思われる人達に、
刺青を観た事がありません、服の下は分かりませんが、

昔のそのスジの人達は、見えない所にしていましたが、
今の若者は、顔や首筋など見える所に自慢げにしています。

刺青をした人達を何人も見てきましたが、年を取ってから後悔していました。

『子供が生まれてな~、こんなモノ入れるもんじゃないよ』

『皮膚を殺すから、呼吸が出来ないんだ。夏は暑いし、冬は墨が入っているだろ、冷えるんだ。刺青をして長生きした人はいないよ』

『年を取ると、皮膚に張りがなくなるだろ、だから太って絵を維持しようとするんだ、だからタイテイ糖尿で早死にだよ』

そのスジの人達に糖尿が多いのは、何となく理解出来ます。

若者は刺青を、現在の価値観で入れるのでしょう。
人は時と共に変わります、後悔先に立たずです、


屋形船
http://www.amisei.com/

写真
鶴田君が持ったテンプラを上手に受け取るカモメ
『ナイス・キャッチ イチロー』と叫びたくなります。
カモメ達との2時間の航海でした。

東京見物

2009-09-22 11:16:46 | Weblog
東京国立近代美術館に行き、ゴーギャン展に入りました。

絵にはそれ程、興味は持ちませんでしたが、
「我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへいくのか」

この言葉には興味を持ちました。
この言葉は、人が生きて行く限り、永遠のテーマだと思います。

少しニュアンスは違いますが、
「人は何をするために産まれ、何が出来るのか」

これが僕のテーマです。


東京国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.html
ゴーギャン展は、今日までです。


写真は、屋形船にて
全員参加でしたら、
貸切だったそうですが、人数が少なく乗り合いでした。
でも、他の人達と交じり合い、楽しい時を過ごしました。

旅行後の交渉

2009-09-21 09:55:56 | Weblog
14日朝
手直しがされたメールが届いていましたが、
交渉相手から電話がきました。
『手直しをした書類を添付しますので、これで良いか決めて下さい』
『はい、これでお願いします』と電話を置きます。

『手直しをした、書類を送ったけど観てくれた?』
『はい、観ましたが、相手が手直しをしてくれましたので、それでいきます』
『これで良いの?』
『良いのも何も、これで良いの!もう駄目だったら如何しようかと思いましたよ~!』

18日の昼、交渉相手から電話が来て、
『最初の案件を止められないか?』と問い合わせがあったそうです。
『止めると返事をして』と、事務の娘に頼みました。

先ずは、やらなければ前に進めません!


南国酒家の前の並木道
http://nangokusyuka.co.jp/
原宿で、昔の面影を残しているのは、並木道だけです、