コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

全員が嫌いな掃除

2020-06-30 14:09:08 | Weblog

全員が嫌いで、したくない仕事がありました、トイレ掃除です。

 

『トイレ掃除を終わらせれば、帰って良いぞ!』

『は~イ』やりますと、声を上げ、

毎日、トイレ掃除をしました、それも丁寧に綺麗にです。

好い加減な掃除をすると、かえって目立ちます。

 

塩酸で便器を洗う事もしました。

この店で1番怖いと云われるカウンター長も、

僕を怒る事はありませんでした。

それも、他の人達には怒るような事も、

怒られる事はありませんでした。

 

先輩達全員が、怒鳴られたり、引っ叩かれたりと云う、

カウンター長にさえ何も言われませんでした。

 

当時の便器は、ホテルなどの特別な場所以外は、王城でさえ和式型でした。

使用する人数が多い場所は、今と違って汚れが酷く、

営業の途中で掃除をすると云う事が無かったので、汚れの凄さは、ね~・・・

 

そして、掃除にゴム手袋などありません、

全て素手でしたので、余計やる人がいませんでした。

 


新人中の新人でした、

2020-06-29 15:37:54 | Weblog

カウンター長が、仕事をしている所を観る事がありませんでした。

各階のカウンターの仕事を管理するのですから、

全てのパフェやサンディーなどが、

綺麗・確実・手早く出来る人達だったのでしょう。

その中でも、カウンター長の長は、現場事務も含め王城全ての管理者でした。

 

確か僕が、1番最後に入った新人で、ボーイNo.99番、一番大きい番号でした。

当然、教えて貰うだけ、命令されるだけでした。

ボーイの胸に付けられたNo.が小さいほど、ベテランでした。

 

No.1の番号を付けたボーイは、

出たり入ったりしている人だと分かりました。

僕が入った時は居なくて、入店3日後にで戻って来ました。

 

『お前、出て行く時は、名札を置いて行けよ』と云われていました。

小柄で痩せて、小さく気が弱そうな人で、30才位だったと思います。

ボーイの経験は長そうで、トレーや冷タンの扱いは見事でした。

 

『お前、どこに行ってた?今度やったら1番若い番号に戻すぞ!』と、

ボーイ長やカウンター長にからかわれていました。

 

彼は、首都高速のキップ係をしていたと云いました。

『料金を払って、直ぐ切符を捨てる人がいるんだよ、その切符を拾って、

次の人に渡すと、その人が払ったお金を貰えるじゃん』と、

自慢げに話していましたが、多分、バレテ辞めさせられたんだと思います。

 

あの頃の首都高速料金は、¥150だったと思います。

『1日やると3000円位になったよ』と云っていました。

上りと下りに一人ずついますから、1つのゲートで¥6000/2人でしょうか?

全ての料金所でやっていたでしょうから、1日何十万円の損害だったでしょう、

 

入店して、1週間位すると仕事内容が、だいぶ分かってきました。

全員が嫌いで、したくない仕事があるのが、分かりました!

 

 

 


プロの仕事、かも?

2020-06-26 16:23:51 | Weblog

各階にボーイの責任者のボーイ長、

カウンター責任者のカウンター長、

全体のボーイ長、カウンター長がいました。

 

全体のボーイ長、カウンター長は、

殆ど仕事をしないで、黒の革靴を更に光るように磨いていました。

 

彼らの仕事は、自分の靴磨きでした。

柔らかい布に少量の水を付け、

ゆっくりと丁寧にエナメルの様に光るように磨いていました。

 

ボーイ長、カウンター長の1番偉いのは、カウンター長でした。

この一番偉いカウンター長は、仕事に厳しく怖い存在だと教えられました。

 

ボーイ長と呼ばれる人達は、

トレー(お盆)の上に冷タン(冷水を入れたタンブラー)を3段位積み上げて、

ユラユラと揺らしながら歩きます、さすがプロです。

多分、100個位の冷タンが載せられていたと思います。

 

カウンター長の仕事は、観る事がありませんでした。

 


王城の客席

2020-06-25 16:31:41 | Weblog

王城の客席は、

各階とも50テーブル位あり、満杯の時は大忙しでした。

 

4階の同伴喫茶は、隣り合わせに男女が座り、同じ方向に向いていました。

各テーブルは、高い仕切りで隣の席が見えないようになっていて、

純喫茶に比べ、余裕を持たせるように、30テーブル位だったと思います。

 

トイレは1階と2階用が2階に、

3階と4階用が3階に在ったと思います。

男性用と女性用に分かれ、一人で両方掃除をしました。

男性の小便器は、塩酸を使いますので、

『危険だから気を付けて使ってよ』と、

掃除の仕方をボーイ長が丁寧に教えてくれました。

 

 

 


掃除は、全員でダラダラと・・・

2020-06-23 15:55:24 | Weblog

前職では食べ物を作っていたので、

カウンター職を希望すれば良かったかなと、後で思いました。

 

10時開店、22時閉店で、モーニングは有りませんでした。

 

22時閉店の時、働いている全員で、

持ち場フロアーの掃除をして終わりです。

 

だらだら動きますので、時間が掛かります。

時間が掛かるから、掃除をしたと思われると云う行動でした。

 

色々な物が落ちていて、お金以外は拾った人が貰いました。

 

当然、たいした物はありませんでした。

この当時拾ったモノが、今でも記念品として家に有ります。

 

「針、黒と白の糸に爪切り、

毛抜き」がセットになった、革の入れ物です。

色から想像して多分、若い女性が落としたと思われます。

 

お金を拾った時は、事務所に持って行ったと思います。

 

 

 

 


業界では、有名店だったそうです、

2020-06-22 16:22:50 | Weblog

2階・3階・4階とそれぞれカウンターが居て、

サンドイッチ・パフェ・サンディなど専門の作り手がいました。

ですから、色々な食べ物の注文を受けると、

各カウンターの所へ飛び回る事になり、大忙しでした。

 

最初の注文は、外国人を含んだ9人の若者達の注文でした。

この数のオーダーを間違える事無く、

受けられた事に自分でも驚き、自信も付きました。

 

ボーイは、大学生のアルバイトが殆どで、

専門で働いている男子は,

30代~40代のボーイ長達とカウンター長達だけでした。

 

大学生のアルバイトは、

早稲田の学生か早稲田に入りたい浪人達が多かったと思います、

他の大学は、中央・明治などがチラホラでした。

 

カウンター職は、家が喫茶店を営業している息子達が殆どでした。

東京だけでなく、西の大阪や名古屋から来ている人達が多く、

東からの人はいなかったと思います。

 

2代目の修行先が王城だと、自慢できると云う感じです。

『どこで修業した?』と云われ、

『新宿歌舞伎町の王城です』と云えば、

地元に帰り自慢できると云っていました。

 

喫茶業界で「喫茶王城」は、有名だったようです。

 


新しい仕事は、喫茶のボーイです

2020-06-19 14:50:44 | Weblog

酒を扱う1階のコンパは断り、

2階・3階・4階の純喫茶を勤務場所にして貰いました。

 

ボーイの制服と個人ロッカーの鍵を渡されます。

 

朝の出勤は、黒のズボンと黒の靴を履いていれば、

上のシャツはなんでもOKでした。

 

出勤時にタイムカードを押すと、お昼の食券が渡されます。

 

上のシャツをボーイの白い制服に着替え、

自前のシャツをロッカーに入れ、初出勤です。

 

初仕事は、2階でのボーイでした。

 

喫茶の仕事は、ボーイが水を持って行き、注文を取ります。

取った注文を、飲み物・食べ物を作る、

カウンターと呼ばれる板前に伝え、作ってもらいます。

 

出来上がった飲み物・食べ物をお客さんの所に運びます。

 

伝票は注文を受けたボーイが書き、値段も記入します。

値段を覚えるのは品数が多く、初仕事でしたので大変でした。

 

メニューを見ながら、間違えないように記入しなければなりません。

最初の頃は記入後、カウンターに確かめて貰いました。

 

 

 


新しい職場です、王城

2020-06-18 14:10:28 | Weblog

歌舞伎町の喫茶王城は、直ぐ分かりました。

歌舞伎町には映画を観に、何回か来た事がありますが、

こんな建物があるとは知りませんでした。

ど~見ても、ヨーロッパの中世のお城です。

 

意識してないと、分からない・覚えないモノですね。

1階がコンパ、23階が純喫茶、4階が同伴喫茶でした。

4階の同伴喫茶と云うのは、

何と無く理解できる、それなのでしょう。

 

入店出来るか分かりませんが、

取り合えず最初はココに決めました。

姉のアパートに行き、履歴書を書き面接の準備をしました。

 

次の日、履歴書を持参し、純喫茶希望で、募集に応募しました。

事務の女性が面接して下さり、入店が決まりました。

初めての事ですから、職種はボーイでお願いしました。

 

2交代制で、時給は忘れましたが、毎日入店時に、

お昼ご飯の券が支給され、昼食を食べる店も紹介してくれました。

1日の支給昼食代は、確か55円だったと思います。

 

以前働いていた横浜の会社の昼食代が、40円だったので同等でしょうか、

55円の内訳は大体、

ご飯は茶わん一杯10円・みそ汁110円・後おかず代が35円です。

覚えているおかずは、冷奴15円・納豆15円・野菜炒め30円だったと思います。

後、鯵の開き・煮魚などがありました。

お金が無いので、毎日55円でやりくりするようにしていました。

 

王城は、個人営業の店ではありません、

全体で何人位の人達が働いているのでしょう?

 

全部白いお城だと思っていましたが、茶色ですね~・・・

塗り替えたのでしょうか・・・

 

「新宿」歌舞伎町・王城ビル.. | デジカメ散歩写真

 

デジカメ散歩写真

 

 

 

 


職探しか~・・・

2020-06-17 15:13:02 | Weblog

職安に来たのが初めてだと云い、

どうして良いのか、どうすれば良いのか、分からない人に、

今では、考えられない対応でした。

 

考えてみれば当時、人は幾らでも居ました。

団塊の世代が、世の中を作り出す・回しだす始まりの時でした。

 

『分かったよ~、自分で探すよ!』キツイ云い方で職安を出ました。

でも、どうすれば良いのか、本当は分かっていません、

新聞広告の募集欄を頼る以外ありません。

 

姉のアパートに行く途中、新聞を買い仕事先を探します。

同じ新宿で見つければ、時々姉のアパートに行け、食事を奢って貰えます。

 

歌舞伎町で「王城」と云う喫茶店を見付けました。

http://kshun10.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

 

どんな店なのか、興味があります。

歌舞伎町なので、姉のアパートに行く前に偵察しようと思いました。

場所は直ぐわかりました、そして一目見て、驚きました!

 

 

 

 

 

 

 

 


職探し

2020-06-16 17:06:57 | Weblog

 

 

 

 

 

 

姉は、新宿の抜け弁天のアパートに一人で住んでいて、

時々、土曜日の夜、泊まりに行っていました。

 

姉とは11才年が離れていて、

小さい時から可愛がって貰っていました。

今夜から世話になりますが、

早く次の仕事を探さなくては、いけません。

取り合えず、飯田橋の職安に行き、

現状を話しましたが、話しがかみ合いません。

 

ま~、職を探している人達の多い事、

職安の職員も一人一人に付き合っていられないのは、

分かる気はしますが、職を探すこちらも懸命です。

 

職安の人間は、面倒くさいから、自分で探せと云う「気」が出ています。

https://www.navitime.co.jp/poi?spt=02300.1012593