コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

チャオとの別れ、

2020-07-31 16:30:42 | Weblog

年を取ったチャオは、排便以外は外に出なくなりました。

子供の時から、

排便は外で済ませていましたので、それの名残です。

 

家の中でジットしている時間が長くなりました。

トイレも、外に出なくて良いように家の中に用意しました。

チャオは、子供の時から、

夜寝るのは、僕の布団の上でした。

 

ある日、布団に血が付いているのを見付けました。

チャオの血です。

どこから血を出しているのか、嫌がるチャオを捕まえ、

体を検査しましたら、

前足の肉球に爪が刺さっているのを見付けました。

外に出て、爪を磨くのを止めた結果、爪が伸びすぎ肉球に刺さったのが分かりました。

 

こんな状態では、家族の手に負えません。

直ぐに医者に連れて行き、爪を切ってもらい、

傷の手当てをして貰いましたが、

この手当の方法が悪かったのだと思います。

強いステロイドを注射したり、傷口に付けた薬などで、食欲がなくなり、やせ細って行きました。

 

『治療のため、毎日通ってください。人工透析をします』と妻は云われたそうですが、『それは、辞退します』と断ったそうです。

『延命のために苦しい思いをさせたくないから、断ったわ』と云いましたので、『そうだね、もう苦しませたくないね』と承諾しました。

確か、1月だったと思います。

コタラの学術発表の日の朝、

出かける時『チャオ、行ってくるね』

と云いましたら、

『ニャ~』と弱弱しい声を出し、答えてくれました。

それがチャオと最後に交わした挨拶です。

 

妻は、こたつの中にいるチャオに『行ってくるね』とこたつをめくりましたら、もう亡くなっていたそうです。

 

1月も末頃の、小雨の降る日でした。

 

移動の葬儀屋さんに来てもらい、埋葬を頼みました。

家族で、最後の別れをしていると、近くに住んでいる、

犬や猫が『ワオ~ン』とか『ニャ~』とか、

ハウリングしてくれました。

 

仲間が、いなくなるのが、分かるのでしょうか、

 

和犬雑種のポ~の葬儀の時も、

犬たちのハウリングが、こだましました。

 


狩りの名人、チャオ

2020-07-29 15:37:12 | Weblog

 チャオは時々、狩りの成果を見せに来ました。

獲物は、すずめ・もぐら・ねずみなどです。

 ご飯は貰って食べるので、食べません。

自分の腕前を見せるために、

生きたまま咥えて来て目の前に置き、自慢したいのでしょうか、

 その咥え方が甘噛みなので、まだ生きています。

モグラとネズミは、口から放すと逃げますが、直ぐ捕まえてオモチャにします。

 すずめを見せに来た時は、逃げられるようにかばいますと、

チャオは面食らった戸惑いの表情を浮かべていました。

 狩りの仕方は、

シッポを立てて左右に揺らし、頭を地面すれすれに低く構えます。

すずめは危険を感じ、

飛び立つ所をジャンプして空中で捕まえます。

猫が鳥を捕まえる所を観る事が出来ると、その速さに感激します。

 30年前ですと、猫が外に出歩くのが普通で、

家の中だけで飼うなどは、考えられない時代でした。

猫を家の中で飼えと云うようになったのは、いつの頃からでしょうか、

チャオは、Wコートでした。

普通猫は、短毛ですが、

チャオは、外側の毛の下に短い毛が生えていました。

先祖は、寒い国から来たのでしょうか?

 

 

 


最初は、猫のチャオでした、

2020-07-28 15:51:14 | Weblog

子猫から飼う事が出来たチャオは、一生を観る事が出来ました。

亡くなったのは、19才と11ヵ月で、

我が家に来て、後数日で20才でしたので残念な気がしました。

 子供の頃のチャオは、

いたずら(猫からイタズラを取ってしまうと面白くないですね)で、

日々大人に成っていく過程を観られたのは、飼ったかいがありました。

  チャオにとって、子供の頃、

お母さん猫の家族と知り合えたのは、嬉しい事だったでしょう。

猫の成長期に、家族が居るのと居ないのでは、大人に成る心得が違うでしょうね。

 ♂猫に追いかけられ、松の木のテッペンまで登り、逃げる事が出来ましたが、

下りる事が出来ず、傷だらけになりながら、僕が下しました。

感謝してくれても、良いのでしょうに・・・

犬走りと云いますが、猫も歩きます。


その前に、

2020-07-24 13:47:48 | Weblog

この少し前、娘がドブの中から子猫を拾って来て、

家族に見つからないよう、物置に隠して飼っていたそうです。

 

 物置小屋から猫の鳴き声がするので、妻が扉を開けた途端、勢いよく飛び出し、

開いていた玄関から居間のソファーの上に飛び上がりチャッカリ座り込んだそうです。

 座り込んで気持ちよさそうにしている子猫を、外に出す事も出来ず、

その日から家の中で暮らすようになりました。

 名前は「チャオ」と娘が付けました。

 

 又、この頃、家にはノラの母猫が、

3匹の子猫を連れ、毎日庭に遊びに訪れていました。

 それならば、食事でもと、気に掛けます。

食事の前まで来ますが、警戒感は強く、食べようともしません。

 お腹は空いているでしょうが、子供を守るためには仕方がなかったのでしょう。

何日か経ち、家人に慣れてくると、少しづつ近寄り、食べ出しました。

そうすると、本来の穏やかな顔つきになり、驚くほど美人顔の猫になりました。

 

チャオは、このお母さん猫と子供達との仲間に入れて貰っていました。

 

一日も休まず、夜になるとお母さん猫と3匹の子猫、

チャオの5匹は、木陰に集まり、

猫会議を行っていると、妻が話していました。

様子を観て居ると、何も話さず、円陣を組みジッと座って居るだけです。

『テレパシーで、話しているのよ』と妻の解説が入ります。

 

猫はどこの地域でも、毎晩会議を行っていると妻は話しています。

 

 このお母さん猫の前に、ノラの母猫が1匹の子猫を玄関前にクワエて訪れ、

『お願いします』と云うような素振りで、妻の顔を見上げ、

3~4歩いて、又振り返り、見上げると云う行為を何度かしたと話していました。

 妻が、子猫に触ると、既に死んでいたそうです。

チャオ

 


動物たち、

2020-07-23 16:06:17 | Weblog

何故か分かりませんが、工場と家には動物が訪ねて来ます。

 

最初に訪れたのは、ツバメです。

ツバメは、今でも毎年訪れています、訪れる数は少なくなりましたが、それでも、忘れずに毎年訪れます、前回書きました。

 

次に訪れたのは白い鶏で、大きく真っ赤なトサカを持っていました。

『毎朝、うるさいだろうな~!』と笑いました。

弁当の残りを上げ、3日位ウロウロしていましたが、

隣の会社に入ったきり、出てこなくなりました。

隣の会社は土木建築の会社で、

東北の出稼ぎが多く働いていました。

『あ~ぁ~』と全員が、声を上げました・・・

 

次に会社に来たのはメスの犬で、柴の雑種と思われました。

もう25年くらい前の事です。

 

その頃、社員が洋犬の雑種飼っていて、

部屋を荒らされると云うので、

連れて来ましたので、2匹で一緒に生活させました。

 

たまたまの、個体差でしょうか、

和犬と洋犬では、食事がぜんぜん違いました。

洋犬は、いつもお腹が空いているらしく、

食べ物には異常に興味を持ちました。

和犬は、お腹が一杯になると食べ物が残っていても食べません。

洋犬は、器に入っている食べ物を、

全て食べ、他に食べ物が無いか、探します。

そして、和犬が残した食べ物をいつも狙っていました。

 

和犬は、残った食べ物は、お腹が空くと食べると云う感じで、

洋犬が自分の食べ物を狙うと怒りました。

和犬、洋犬の違いでしょうか、それとも個体の差でしょうか、

この2匹は、このような感じでした。

他の洋犬を観ていると、洋犬全てが、

食べ物に執着が強いように見えますが、どうなんでしょうか、

洋犬の新しい飼い主が見つかったので、

和犬は家に連れて行く事にしました。


今年のツバメ報告

2020-07-21 14:32:16 | Weblog

今年もツバメがやって来ました。

会社に4家族、家の駐車場に1家族です。

 

会社は、今の場所に越して来て毎年訪れています、

37年、1回も休まず毎年です。

 

家の駐車場には、

越して来て直ぐ訪れましたが、その時は断りました。

次の年から毎年忘れずに訪れています、30回です。

 

会社の今年は5家族です。

4家族は子供が4羽づつ、1家族は3羽です。

 

家の駐車場のツバメは、1家族だけでした。

子供は5羽生まれましたが、

親が1羽気にいらなかったようで、1羽下に落としました。

 

拾って巣に戻しましたが、

又落としましたので、死んでしまいました。

多分、体が弱く長旅に耐えられないと思ったのでしょう。

子供を巣から落とす行為は、

今までにも何回か目撃しています。

 

最盛期の頃は、会社に10家族、

我が家の車庫に7家族位出来ました。

昔のツバメは、土で巣を器用に作りましたが、

年々作るのが下手になり、

今では紙皿でマンションを作ってあげています。

 

南の国に出発の時は、会社の前、家の前の電線は、ツバメ達で鈴なりになりました。

1家族平均4羽の子供だとすると、両親共で6羽、10家族だと60羽、車庫の家族7だとすると、42羽です。

これだけのツバメが、電線に並ぶと、

5線♪が出来上がり、音楽家だとメロディーを奏でたくなるでしょう、

 

今年は会社5家族27羽、家は1家族6羽です。

年々ツバメの数が少なくなります、世界的な影響だそうです。

ツバメも住みにくくなるのですから、

人間も住みにくくなるのは、当然なんでしょうか、

 


ビックリです!

2020-07-16 15:18:18 | Weblog

王城で働きだし、10ヵ月を過ぎた頃でしょうか、

シャツ・パンツ・靴下は、毎日洗濯をしていました。

住んでいたのは角筈の寮で、

近くの銭湯で体と下着の洗濯はしていました。

 

雲一つない晴れの日でした。

いつものように、

洗濯物を共同の物干し竿に干し、

夕方取り込みに行きました。

 

朝干したパンツがありません。

『あれ~?』と思い、バッグの中の荷物を探したり、

干した場所を間違えたと思い、

他の場所を探したりしましたが、ありません。

 

諦めて、他のパンツを履きましたら、古くからいる男が履いていました、年上で先輩と云う男です、イヤですね~!

 

特徴のあるパンツですが、

普通の市販品で名前が書いてありません。

『そのパンツ、俺のだから返せ』と云っても、他人が履いたパンツを履くのは嫌なので、黙ってしまいました。

 

だけど、洗濯したとは云え、

人のパンツを履く人間がいるんですね~、それもお古を!

男同士の共同生活って、何があるかわかりません・・・

 

数日後、

姉からアルバイトがあると連絡があり、

寮長でもあるボーイ長に辞表届を書き、王城を辞めました。

当然、パンツの事も書きました!

王城は、白い城だと思っていましたが、

この王城はレンガ色ですね~・・・

 


元気でしょうか、

2020-07-14 16:05:15 | Weblog

王城で働き始め、3ヵ月位経った頃には、

嫌がらせや意地悪をされる事も無く、

良い印象を持ってもらえたようでした。

 

ある日の事です、

『さっき出て行った客を観た?』

『どうしたの?』

『生意気な口をききやがって、焼き入れてやろうと思って探しているんだ!』

『へ~、一緒に探します』4人で探しましたが、

歌舞伎町の雑踏の中に紛れられれば、もう見つかりません。

 

『いないね~』

『今度来やがったら、タダじゃ置かない!』と怒る大学生バイト達。

僕より1~2才年上で、

明治・日大の学生と早稲田入りたい浪人の3人で、

苗字は、荒屋敷・踊り場・久保田の3氏でした。

 

苗字が珍しくて、忘れられません。

最初は、嫌な感じの二人でしたが、

この頃になると、打ち解けてくれました。

 

今頃、どうしているのでしょう、

元気に過ごしていて欲しい、


元気でしょうか、

2020-07-14 16:05:15 | Weblog

王城で働き始め、3ヵ月位経った頃には、

嫌がらせや意地悪をされる事も無く、

良い印象を持ってもらえたようでした。

 

ある日の事です、

『さっき出て行った客を観た?』

『どうしたの?』

『生意気な口をききやがって、焼き入れてやろうと思って探しているんだ!』

『へ~、一緒に探します』34人で探しましたが、

歌舞伎町の雑踏の中に紛れられれば、もう見つかりません。

 

『いないね~』

『今度来やがったら、タダじゃ置かない!』と怒る大学生バイト達。

僕より1~2才年上で、

明治・日大の学生と早稲田入りたい浪人の3人で、

苗字は、荒屋敷・踊り場・久保田の3氏でした。

 

今頃、どうしているのでしょう、

元気に過ごしていて欲しい、


たった1日のアルバイトでしたが、

2020-07-10 16:20:53 | Weblog

王城で働いていた時、

『アルバイトをしない?』と持ち掛けられました。

 

1番下のボーイ長からの誘いで、

『朝10時から夕方の3時までで、11500円だけど、ど~?お昼休みは1時間』

『実働4時間ですけど、それと支払いは、いつになります?』

 

『支払いは、次の日に払うよ。10時に九段会館前に集合だけど、良い?』

『はい、分かりました』

 

当日の10時少し前に到着し、待っていました。

アルバイトだと云うものですから、

綺麗な格好で出かけましたら、土方仕事で大弱りです。

最初に土方仕事だと云ってくれれば良いものを!

 

取り合えず、今日の仕事は終わりました。

仕事の内容から、支払いを信用出来なくなり、早く払うよう求めました。

次の日の支払いのはずが、貰えたのは15日後でした。

 

次の約束を求められましたが、もう約束はしませんでした。

仕事の内容は、地下室の整理整頓ですが、太い丸太や大きな石を運ぶ事でした。簡単な仕事だと云われましたが、重さを考えると簡単ではありませんでした。

それと、このような作業をする、

作業服を持っていなかったのも、断りの1因でした。

九段会館