コタラの社長日記

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サルビアでの乱闘

2021-09-25 15:55:20 | Weblog

 サルビアで乱闘があったと義兄が話しました。

 

 当時、義兄の若い衆に国士舘大学のボクシング部の学生がいたそうです。

池袋には、当時有名な空手家がいて道場を開いていました。

 

 そこの道場の師範代が、

ボクシング部の大学生と喧嘩になり、ノされたそうです。

喧嘩の原因は、聴きましたが忘れました。

義兄は、自分がボクシングをしていたので、ボクシングは強いと云って譲りませんでした。

それと、ボクシングの動体視力は、他のスポーツより優れているし、

スピードが速いと云っていました。

 

プロのスポーツ選手でも『学生には叶わない、

何故なら、彼らは朝から晩まで1日中、1年中練習をしているから、

運動している学生の強さは半端じゃ~ない、

正し、学生は、奇麗な試合をしようとするのが欠点だな。

学生チャンピオンの桜井孝雄の試合を見れば分かるよ』

 この話が、有名な空手家の耳に入り、直々に挨拶に来たそうです。

 

義兄は身構えたそうですが、

その空手家は、

『是非、内の師範代になって欲しい』と、何回も挨拶に来たそうです。

 

 その都度、学生は丁寧に断ったと云っていました。

今でも、その道場はあるようです。

 

義兄は、スポーツ選手に喧嘩をさせたら、

「相撲」が1番強いと云っていました。

 


池袋西口の美人喫茶「サルビア」

2021-09-24 15:26:39 | Weblog

 美人喫茶と云うだけあって、並みより上の女性達でした。

女性達は思い思いの服装で接客していました。

今のウエイトレスが着ているような、動きやすい服装ではありません。

当時の女性歌手が着ていたような、ひらひらした薄手の服装でした。

 

だからと言って、男に媚びるような事はありませんでした。

 

 義兄を含め、都会出身者は殆んどいない人達の集まりですから、

彼女達に憧れがあったのかもしれません。

決して、変な真似をする事はありませんでしたし、

彼女たちも、変な真似はされないし、

何かあったら、守って貰えると安心して付き合っていました。

 

 サルビアには、毎日通いました。

通いましたと云うより、出勤でした。

土曜日、日曜日の休みもありません。

行けば誰かが待っていましたし、話相手には困りませんでした。

寂しかったら「サルビア」、嬉しかったら「サルビア」でした。

首をかしげる話が殆んどですが、

当たりの話もありまし、「ん!」と思える本当に良い話もありました。

 


昭和42年頃の池袋西口

2021-09-23 16:51:07 | Weblog

 家は練馬でした。

殆んど毎朝10時頃家を出発し、

池袋に行き、義兄たちの仲間と過ごす事が多くなりました。

 運転免許を取り、

義兄の送り迎えに、自動車を買って貰った事も一因でした。

 学校に行くのも、ここが起点でした。

学校が早い時は、電車で通いました。

 

 殆んど毎日、池袋西口の東武デパート近くにいました。

東武デパートを出て立教大学の方へ行くと、

「サルビア」と云う美人喫茶在り、そこがたまり場でした。

どこに行くにも、この店が出発点でした。

『サルビアに行くからよ~』と云うのが、義兄の決まり文句でした。

 

この店の裏手にある駐車場は、1200円で置きたい放題でした。

 

 サルビアの中央の良い席を、毎日10人以上が占めていました。

他のお客さんの迷惑になるような事はしませんし、

迷惑をかけるような客が来ると、用心棒のような役目をしていました。

行く所が無い、暇だし、お金が無いと云う人達のたまり場でした。

コーヒー代と昼飯代は義兄が出していました。

それも、毎日・毎回でした。

 

 ウエイトレスの女の子達の誕生日には、必ず何かをプレゼントしていました。

 

サルビアの客席は、50名位ある大きな喫茶店でした。

純喫茶サルビア(2006)まで営業してたんですね~・・・

http://micchan74rj.blog87.fc2.com/blog-entry-108.html

 

 

 


免許取得です

2021-09-09 17:00:31 | Weblog

 僕は学校に行くので、住む所を探さなければなりません。

姉に相談しましたら、

『内から通えば良いよ』と言ってくれました。

 

 そして、義兄に話を付けてくれました。

『内から通うのだから、時間がある時は運転手をしてくれ、その代わり自動車を買ってやるから、免許を取れよ』と言われました。

 

 免許を取るお金は、母に出してもらいました。

義兄に、池袋の自動車教習所に連れて行ってもらい、通いました。

 義兄の兄弟分が関係している、教習所だとの事で、

順番を取るのも、電話1本で済み、楽でした。

 

 『仮免を取った人の中では、この教習所始まって以来の1番良い点数でした。

上手だからと云って、無茶をして、事故を起こさないように、

余計気を付けて運転するんだよ』と教官に言われました。

 義兄の兄弟分が関係しているだけあって、親切丁寧でした。

 

 静岡の地元では、免許を取れなくて、

池袋の教習所では、

『教習所始まって以来、1番良い点数だ』と言われるとは、驚きでした。

路上試験は、渋滞中の道で運転です。

道路左右に駐車した車、その車をよけながら、前後左右に車達が動き回っています。

車同士は、10㎝位しか余裕がありません、こすらないで走れたものです、

 

 

 


想像はついた、だから観ない

2021-09-08 16:21:55 | Weblog

 義兄の若い衆が池袋で大事をしました。

 

 他の組の若い衆達が、

歩いている真ん中へ、車で突っ込んだと云う話でした。

 誰を狙ったのかは、分かりません。

取り敢えず、喧嘩を売ったのか、買ったのかしたのは、間違いありません。

 

 義兄は話をつけるために、何回か出かけ、ケジメ手来ました。

改めてちょっとした包みを持ち、出かけました。

こちら側の落ち度なのでしょう、

後の事を考えないで、行動をおこす、

こう云う若い衆が居ると、

迷惑な事もありますが、役に立つ時もあります。

その時のために、我慢をしなければと、思うのが上の人達なのでしょう、

 

自分でケジメをつけられないのに、

喧嘩をするとはと考えてくれれば、1段階上がれるのに

 

 若い衆の不始末を、

ケジメなければいけないのが上の立場の人達なのです。

変な人達の世界です、

箪笥の中に、

白い半紙に包まれて箱に入ったモノが、ゴロゴロ入っています。

『これは、何が入っているの?』

『見ない方が良い』

『あ~・・・見ない』大体見当が付きました、

1度もミテいませんが、想像は付きました。

 

 


名前の順番は?

2021-09-06 16:51:36 | Weblog

 『この名前を書く人は大変だね、いつも順番を覚えていなくてはいけないものね。

入れ替わりもあるだろうし、良く覚えていられると思うと感心する』

 

 『この名前の順番を間違えると、同じ組でも喧嘩になるし、違う組ならなおさらだな。

順番を間違わないで書く人は、限られた人になるよ。

俺の友達で、お前も知ってるXXが書いてるんだ。全部の組から頼まれてるよ』

 

 いざこざで、もめるのは、案外下の人間のようです。

上の人達は案外仲良しです、表面上かも知れませんが、

 

でも、案外穏やかな人が多いように思います。

 出来れば、もめ事を起こしたくないと、思っているのではないでしょうか、

 

義兄の弟だと分かっている、からかもしれませんが、

こうなると、姉のお陰かも?

 

懐かしいな~と、思います。

 


巻手紙の名前の順番

2021-09-03 14:45:49 | Weblog

 『こう云う手紙を出す人たちは、生活費を稼ぐのが大変なんだよ、

警察の取り締まりがきつくてよ~、特に関東は警視庁だから、な~』と笑顔で話します。

 

『は~・・・、前から後ろまで、人の名前が書かれているけど、順番はあるの?』

 

 『そりゃ~あるよ、どこに書かれているかで、金額が違うんだ、俺の場合は、真ん中だから¥3,000円、前と後ろの、この辺りの人達は、¥5000~¥1万円。だから俺の場合は、毎月¥30万~40万位かかる。生活費と若い衆との付き合いで¥150万/月は必要だな、作るのが大変だよ』

 

 思っていた以上に、封書が来ていたんだと思いました。

 

それと、他の組織だと、若い衆からお金を取るような話を聴きますが、

義兄は逆で、小遣いを上げていました。

 

『他の所は、若い衆からミカ締め料とか云って取るとか聴いてるけど、

どうして取らないの?』と聴きました。

 

『こちらが上げるから、イザと云う時に助けてくれるんだよ。

こちらが、出さないで、取るだけだったら、若い衆だって何もしないよ、そうだろ?』

 

言われてみれば、そうですね。

 

池袋東口・西武デパートとパルコ    池袋西口・東部デパート側       

 

 

 


毎日届く、巻紙の手紙

2021-09-02 17:35:43 | Weblog

 この頃、毎日義兄に封書が届きす、

それも巻手紙で、時代劇の映画の手紙のようでした。

 

 11通の事もあれば、3通以上の時もありました。

その手紙の量は、5070/月位でした。

 

 『全部、お葬式の通知だよ。

中には数年前に亡くなった人のお葬式もあるよし、10年以上前の人の事もある』

『え~、どうして?』

 『お金がないから、集めるのが大変なんだよ。生活費を稼ぐんだよ』と笑いながら話します。

『は~・・・、前から後ろまで、人の名前が書かれているけど、順番はあるの?』

西口か東口か分かりません       大戸屋は、東口だったんですね、

                   東口は、西武デパートしか分かりません

 

 

 


新しいデパート

2021-09-01 16:53:53 | Weblog

  姪が産まれた頃は、池袋のデパートですませていましたが、

ちょっと遠くに新しいデパートができ、新聞広告も出ました。

 東京の町中をスムーズに運転できるようになったし、

出かけました、「二子玉の高島屋」。

 

 いつも行くのは平日で、人もまばらでガラガラでした。

大きな駐車場もガラガラで、好きな所に停められました。

 

新しいデパートで人もまばら、商品は高級品揃い、

特にドレッサー売り場に行くと、並んでいる商品は、

殆んどヨーロッパからの輸入品、150万円前後でした。

 こんな高級品は池袋のデパートでは、

見る事がありませんでした、驚きで、目が点です!

 田園調布~成城まで、高級住宅街の真ん中に位置すれば、

その内、売れるのが、分かっているのでしょう、

 

僕が、姪の乗った乳母車を押し、

姉が横を歩いていると、夫婦に見られているような、

視線とヒソヒソ話を感じました。

髙島屋の1階の大広間(時々イベントも)

我が家の待ち合わせ場所

 

 

 

姪が産まれた年の開業でした。

玉川高島屋

 

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