コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

スタンド・バイ・ミー

2008-04-29 09:07:30 | Weblog
八つ溝には6年間居ましたが、
久と同じクラスになったのは、中学1年の1年間だけでした。

中学1年生の時、近所に下宿していた先生の部屋に、
勉強を教えて貰うため2人で通いました。
宿題や工作を一緒にやったり、
お好み焼きやカキ氷を食べに行ったりと、殆んど一緒に過しました。

2年生の時、
11才年下の甥が一緒に住み始め、甥の面倒を見なくてはなりません。
クラスも変わり、久と遊ぶ時間は、少なくなっていきました。

当時、中学入学と同時に、
小学生との遊びは、終わりと云う感じでしたが、
甥と遊ぶため、甥と年が近い小学生と相変わらず遊んでいました。

中学3年生の終わり、
母が家を建て、越すまでの間は、
1番の友達でしたし、口喧嘩さえした事が無いと思います。

久と別れ、車を運転しながら、
頭の中ではズット、
映画の主題歌 Stand by me が流れていました。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typh/id11893/

過去から現在、

2008-04-28 09:33:22 | Weblog
『待った?』と、
少しはにかみながら久は現れました。

『いや、ほんの少し前に来たよ。糖尿なんだって、いつからなの?』
『も~、20年くらい前からだよ。数値は低かったし、医者にも行ってなくて、つい最近から薬を飲みだしたけど、忘れる事が多くて、捨てる方が多い』と笑いながら話します。

『数値は、どうなの?』
『血糖値が130前後で、ヘモブロビンが6.2~6.5位だよ』と久。
『あ~、そう~、大した事が無くて良かったな~』

『タカシちゃんは、悪い所が無い?』と久。
『今の所、何も無いよ』と答えますが、
久にタカシちゃんと呼ばれたのは初めてですし、何と無く変な気持ちでした。

『そ~、良かったね~』と久。

話したのは、1時間半位だったでしょうか、
2人だけで、こんなに長く話すのは、中学生以来でした。

帰りがけに、
『いつまで生きられるのか、考える時が有る』と、ポツリと言いました。

無鉄砲で屈託無く笑う久からこのような言葉が出るとは、


田代みどり
中学1年生の時、久と2人でファンレターを書き、返事を貰いました。
http://www.oldies.jp/tarent_Folder/tasito/tasiro.html

エピソード2-最終

2008-04-27 10:46:26 | Weblog
怪我は無さそうですが、
顔から前面は泥水でグショグショでした。

その姿を観た3人は、
大笑いで、はやし立てましたが、中学生が川から上がり、
殴られない内に、車を持ち一目散に逃げ帰りました。

多分、家に帰って怒られた事でしょう、

中学校が近くですから、校庭や講堂兼体育館も遊び場でした。
当然、中学生に捕まり、
『殴らないから、あの事は絶対に誰にも言うな!』と硬く口止めされました。

約束を守り、何回も中学生に会いましたが、
こちらを指刺し、苦笑いするだけでした。

その後、中学生は大場駅近くで、
牛乳屋と食堂をやっている店の息子だと解かりました。

今は会う事も有りませんが、
30代の頃まで、会うとお互い笑顔の挨拶をしていました。

業態を替え、今もその店は在ります、


東千代之助
http://www.purple.dti.ne.jp/nobuaki/untitled.htm29.htm

エピソード2-3

2008-04-26 11:57:12 | Weblog
『今度は、早く走れよ~』と中学生。
出だしはゆっくりで、
直ぐにこれ以上速く走れない位の全力疾走に移りました。

『わぁ~、止めろ、止めろ』と、
怖くなって声を上げますが、止めません!
『うわ~』の悲鳴と共に、
車が急に軽くなり、ベシャと音が聞こえました。

振り向くと、
弟が小川を指差し『あ~あ』と言っています。
中学生は、小川の中でカエルの様に腹ばいになっていました。

心配で『大丈夫~?』と声を掛けますと、
両肘、両膝を立て、『わざとやっただろう~?』と、
こちらをニラミながら立ち上がりました。


東映の月光仮面・大村文武
大好きで全部観ました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~ranpo/page064.html
20代の前半、義兄の大学時代の友達と分かりました。
この頃、美空ひばりの舞台での相手役だと、義兄が話していました。
義兄を訪ね、家に来た事もあります。

エピソード2-2

2008-04-25 08:55:02 | Weblog
『そんな速さなら俺は後ろ向きで運転出来るよ。俺が乗るから引張れよ』と言います。
『何で俺達が引張るの?』

『後ろ向きで運転出来るのを見せるためさ』と、ニヤニヤしながら中学生。
不満は有りますが、久と変わり番こで引張ります。

『な~、乗れるだろ!こんなスピードじゃ~面白くないな~、2人一緒に引張ってみな』と中学生。
言われた通り、力を併せて引張りました。
『何にも速くならないな~!』と中学生。

『もう一度やってみるよ』と2人。
『行くよ~』と合図を送り、もの凄いスピードで走り始めました。
『うぉ~、はぇ~な~』と、言いながらヒックリ返りました。
『な~んだ、後ろ向きじゃ~、運転出来ないじゃん』と、大笑いで、はやし立てます。

こんな事を3度程、繰り返したと思います。

『今度こそ上手く運転するから、もう一度やれよ』と、照れ笑いの中学生。
『本当に出来るの~』と、馬鹿にする2人。

久と顔を見合わせ、眼で合図しますが、後ろ向きの中学生には分かりません、


月形龍之介の水戸黄門
水戸黄門を何人もの俳優が演じてきましたが、
品格のある黄門は月形龍之介が1番だと思います。
TVドラマ「それからの武蔵」は、毎週欠かさず観ていました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%EE%B7%C1%CE%B6%C7%B7%B2%F0

エピソード2

2008-04-24 09:18:04 | Weblog
住んでいた近くには、中学校が在り、
中学校は小川に沿って建てられていました。

小川は子供の膝位の深さので、ザリガニやメダカ、トンボ取り、夏にはホタルが綺麗なイルミネーションを見せてくれました。

この小川は、途中から二手に分かれ、
子供2人がやっとすれ違える位の中州が在りました。
中州には、ネコヤナギなどが生えていて、
縄で椅子や隠れ家を作って、子供達の遊び場でした。

久には、幼稚園に行き始めた弟がいました。
弟はブリキで出来た足踏み自動車を持っていて、
引っ張って貰えるように前にヒモが付いていました。

久と一緒に弟を乗せ、小川沿いの道で遊んでいた時の事です。

『今度は俺達が乗って、どの位のスピードまでヒックリ返らないでいられるか競争しよう』となりました。

弟の事など忘れ、お互いに乗り込み、ヒモを勢いよく引張り走ります。

そこへ中学生が通り掛かりました。


旗本退屈男の市川歌右衛門
殆んど全部観ています
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%D4%C0%EE%B1%A6%C2%C0%B1%D2%CC%E7

映画を観終わって、

2008-04-23 08:56:10 | Weblog
オサムちゃんと2人で、
手招きしますが、入って来れません。
もう諦め、2人で映画を観始めました。

『子供が一人、飛び込んだぞ~!』と、映画館の人達が客席を探し始めました。
僕達2人は顔を見合わせ、
『馬鹿だね~、飛び込んだって!あの時一緒に来れば良かったのに、ね~』と顔を見合わせ笑いました。

『捕まえたぞ~』の声で、館内は静かになり、
コウちゃん捕り物帖は終わり、放り出されたようです。
2人は声をあげて笑う事が出来ず、肩を震わせて笑いました。

当時、三島や沼津の映画館は3本立てでした。
3本見終わると、ゆうに4時間は掛かります。

大川橋蔵主演の若様侍捕り物帖は、
途中からでしたから、最初から途中まで見直しです。

映画館を出ると、もう外は薄暗く、家に着くと夜の7時過ぎで、
先に帰った、コウちゃんから話を聴いた八つ溝では、大騒ぎでした。
当然、母からもの凄く怒られました。

この映画には、
時代劇なのに電信柱が立っていて、当時から撮影に苦労したのでしょう、


東映の大御所、片岡千恵蔵
多羅尾伴内、遠山の金さん、清水次郎長、大石内蔵助など、殆んど観ています。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%D2%B2%AC%C0%E9%B7%C3%C2%A2

昭和30年代の映画館

2008-04-22 09:26:52 | Weblog
三島東映では、
大川橋蔵主演の若様侍捕り物帖が上映されていました。
大川橋蔵ファンでは有りませんが、映画を観たいと云う理由でした。

当時の三島や沼津の映画館では、親が一緒だと子供の料金は取りません。
子供料金を払うようになるのは、
多分、小学5年生位からだったと思います。

三島楽寿園でお金を使いましたので、
帰りの電車賃10円しか持っていません、でも映画館に入りたい。
3人で、映画ポスターや俳優の写真を眺めていました。
そこへ、おばさんが一人、入場券を買うのを見ました。

そこで3人は、相談します。
『あのおばさんと一緒に入れば、子供だと思われて入れるよ!』

オサムちゃんと僕は、直ぐにおばさんの後ろに付きました。
一人取り残されたコウちゃんは、


新諸国物語 「笛吹き童子」
http://forest.kinokuniya.co.jp/ItemIntro/40569

一つ年上の2人と、

2008-04-21 09:43:54 | Weblog
映画に付いては、
今考えてもドキドキする話があります。

その時、久はいませんでした。

多分、昭和31年か32年頃の初秋の日曜日だったと思います。
一つ年上のオサムちゃん、コウちゃんと3人で、
三島に遊びに行く事になりました。

電車は、10円で乗れる所で降ります。
一駅多く乗ると5円増えるからです。

降りた駅からだいぶ歩きますが、最初に三島楽寿園に入りました。
ここは、小さな動物園と遊園地を兼ねた施設で、
今も小さな子供を連れて遊ばせる所になっています。

動物に木や草の葉を食べさせていましたが、
10円で乗れる木馬や自動車を見付けました。

僕はしませんでしたが、年上の2人は、
ガラスのカケラを料金入れに放り込みました。
そうしましたら、動き出すではありませんか!
2人が飽きるのをジット待っていました。
小学校高学年になれば、飽きますね。

誰かが映画を観たいと言い出し、三島東映に歩き出しました。
もう昼を過ぎ、2時頃だったと思います。


三島楽寿園
http://homepage2.nifty.com/kiya/rakujyuen.htm

中村錦之助から大友柳太郎が好きになりました。
本当は、怪傑黒頭巾の映像があれば良かったのですが、
http://www.asahi-net.or.jp/~uy7k-ymst/ootomo/ketteiban.htm

昭和30年代初め、

2008-04-20 12:01:22 | Weblog
映画を見終わった後、
必ず「大衆食堂」に行き、
土曜サービスの20円のラーメンを食べて帰るのが、楽しみでした。
店の中は人でごった返し、同じテーブルに座れる事は、まれでした。

隣りには駄菓子屋さんが在り、
壊れたお菓子を安く買ったのも忘れられません。
この店も人で溢れ、
天井からぶら下げられたザルの中に、お金は放り込まれていきました。

土曜日の午後、100円札を握り締め、
子供同士で映画を観に行く事もありました。
当時、子供料金は55円、電車片道10円、
ラーメン20円でしたから100円で観られました。

子供同士で観る映画は、
怪人20面相(波島進)、七色仮面(波島進)、多羅尾伴内(片岡千恵蔵)、
月光仮面(大村文武)など、東映映画の探偵物か、冒険物でした。


明智小五郎と七色仮面の波島進
http://www2.odn.ne.jp/~ccs89380/ztv/tv01niro/TV01niro.htm