コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

'69ToyopetCoronaMarkⅡ

2020-01-31 16:31:09 | Weblog

(2000GT-B 標準タイヤ 165/80SR13)

Toyota1600GT-5 標準タイヤ 165/70SR14)この車が、2000GT-Bを破りました。

(BlueBird3S 標準タイヤ 165/70SR13)

(ToyopetCoronaMarkⅡ 標準タイヤ 165/70-SR13)
(映像はGSSで、165/70-14がオプションでしたが、当時175/70HR14ミシェランのXASを履いていました)

スカイライン2000GT-Bのタイヤは、165/80SR13でした。
マークⅡのオプションタイヤは、
165/70SR13ですから、
扁平率も薄くなっていますので、更に精悍でした。
’69年の10月頃取り換えました。
色は銀、屋根は黒のレザーで、タイヤはオプションを頼みました。
カタログ上の最高速は、180Kmでした。
① 走行1000Kmまでは、3000rpm以上は回しませんし、オイルを取り換えます。
② 次は、3000Kmまで5000rpm以上は回しませんし、オイル交換をします。
③ 5000Kmを過ぎるとREDギリギリまで回しオイル交換。
④ 以後必要な時は、レッドゾーンギリギリまで回し、
2000~3000Km位でオイル交換をします。今でも同じです。




トヨペット コロナ マークⅡ

2020-01-30 15:25:01 | Weblog


(ピンキーとキラーズ)
MarkⅡの新車が販売される気と同時に、
新車を買った人が知り合いに出ました。

車体はシルバー、屋根が黒のレザー、
フロアシフトのATでアメ車の感じの車でした。

タイヤは白のリボンタイヤで少し寂しい感じです。
ここまで決めれば、ラジアルタイヤが欲しかったですね~!

ラジアルタイヤと云っても、当時は165/70 14がオプションでした。
それでも、「太いタイヤだね~!」と人が集まって来ました。

トヨタ車の発表会

2020-01-28 13:52:39 | Weblog


武道館で新車発表をしますとの案内が届きました。

その案内の中に、
「ピンキーとキラーズ」の公演もあると書かれていました。

学校がお茶の水でしたから道は分かります、一人ででかけました。
「Toyopet CoronaMarkⅡ」と云う新型の発表会でした。

ピンキーとキラーズの人気もあるのでしょう、
あの広い武道館が、大勢の人で賑わっていました。
ピンキーと云う名前の女の子、
背が高いのですが、それなりに体重もあり、TVで見るのと違い、迫力に驚きました。

SSSの仕上がりの事もありますので、細かい所まで点検しました。
メーカーで、こんなにも違いがあるんですね。



トヨタ1600GT5も考えた事がありますが、新車の販売は終わっていました。
『中古でも構いません』と云ったのですが、
『人気があるので難しいです』とヤンワリ断られました。
販売員にとっては、新車が売りたいのでしょうね。


何とか買えそうな、ダットサン ブルーバーッド510SSS

2020-01-27 13:11:10 | Weblog

ブルーバードを見るために、池袋の販売店に行きました。
他のお客さんに説明している販売員を、ジット観察します。

室内の説明後、ボンネット、トランクを開き、
その後ブレーキなどを自慢げに説明していますが、造作が悪いと云う感じが頭の中を占めてきました。

今乗っているコロナの造作とは違い過ぎます。
同じ日産でもスカイラインとも違います。

販売員の目がこちらに移動する前に逃げ出しました、ガッカリです・・・

ニッサンの塗装の悪さも思い出しました。
メタリック車の屋根・ボンネット・トランクなどの上から水が当たる部分は、
艶が無い車が多かったのを思い出してしまいました。


この事から2~3か月過ぎた4月終わり頃でしょうか、
トヨペットから新車の案内が来ました。


スカイライン2000GT-B1台で家が建った

2020-01-25 14:12:02 | Weblog

2000GT-Bは当然、
手が届く範囲の値段ではありませんから、憧れです。

2000GT-Bの乗り出し価格で、函南の家と土地は買えました。
30歳の頃、都内で家を買おうと探し回った事があります。

その時、'62年当時の函南町の土地値と大泉学園の土地値は同じ位の値段だったと知りました。
(1960年頃の函南の我が家の土地値¥5,000/坪、
大泉学園駅から北へ車で5~7分位の土地で¥5,000/坪だったそうです。住んでいる人から聴きました。
1977年頃の土地値、函南町我が家の辺り¥5万円/坪、大泉学園¥60万円/坪。今は分かりません)
('60年代土地値が¥5,000‐/坪、建築費¥50,000/坪。2000GT-Bが仮に¥140万円だとすると、80坪の土地に20坪の家が建てられます)

’68年当時、ブルーバードSSSならなんとかなるかもと、云う感じでした。

プリンス スカイライン2000GT-B

2020-01-24 13:53:22 | Weblog

(このGT-Bは3型です、お姉さんのGT-Bは2型だった可能性もあります)

でも、千川通りで前を走っていたお姉さんは、白の2000GT-Bの車高を落とし、
ロールバーを付け、太いラジアルタイヤを履き、
腕を窓の外に出し、長い黒髪で白の長袖のシャツが眩しく、
あの華奢な身体で良く運転できるなと驚いた事がありました。

たった1度しか遭遇しませんでしたが、後姿は抜群でした。
’68年5月初旬の晴天の昼下がりでした。

西武池袋線の椎名町駅近くの線路を横断する前から、
目白通りまでの追走でした。

あんなお姉さんがいたら、
自慢するためにいつも側から離れないでしょう。

音のうるさい、改造した2000GT-Bを運転出来るのですから、
お金持ちのお嬢さんだったのでしょうか、
たった1度、後姿を見ただけですが、今でも覚えています。


憧れの車

2020-01-23 13:55:06 | Weblog

運転に慣れてきましたし、
義兄に仕事を教えてもらい、貯金も少し出来ました。

以前から憧れていた車がありました、
ダットサン・ブルーバードSSSです。
石原裕次郎主演「栄光への5000Km」で走っていた車で、
本物を観たいと云う気持ちが強くなりました。

新車を販売店に見に行ったのは、これで2回目です。

1回目は、プリンス スカイライン2000GT-Bでした。
今乗っているコロナとクラッチの重さが違い過ぎるので驚きました。
こんなにクラッチが重いのなら長距離だと、足がシビレルだろうと思いました。

初めて、東名高速を走った時の事です

2020-01-22 15:00:50 | Weblog

12月29日の公官庁の御用収めの日だから、
道路は空いているだろうと思っていましたが、
道路上を走っている車がいません!

走っている車が少ないので、
事故を起こし他の人を巻き込むリスクは少ないと思い、
カタログ上の最高速度を試します。

145Kmと書かれていますが、メーターで150Km出しました。
この車のスピードメーターは、左から右に赤い線が伸びるタイプでした。

当然追い越す車も追い越される車をいません、怖くなりました、
怖くなったと云うより、別次元に入りこんだのかと思いました。

沼津インターに着いた時、追い越した車は10数台、
東京方面に向かう車と、
すれ違ったのを覚えている台数は3~4台でした。

こんな事があるのでしょうか、未だに不思議に思っています、
中学生の頃毎週TVで見ていた「ミステリーゾーン」に入り込んだ様な感覚でした、
https://www.nicovideo.jp/watch/sm3727957

2回目の遠出

2020-01-21 16:20:10 | Weblog
2回目の遠出も実家への帰省でした。
‘68年12月29日で、公官庁の御用収めの日でした。
多少、道路は空いているだろうと思いました。

前回との違いは、東名高速を使った事です。
東名の入り口までは、前回と同じルートでした。

池袋から明治通りで新宿、
青山~渋谷から246で瀬田、東名用賀入り口です。

東名の料金所入り口で、
切符を受け取り走り出しましたが、車が見当たりません。
車も運転も慣れてきましたので、スピードを上げます。
カタログには、最高速度145Kmと書いてあったような、
出せるだけだしてみました、150Kmです。

でも・・・道路の様子が変です。

コロナDXでの最初の遠出

2020-01-20 16:25:23 | Weblog
このコロナ(色は、白でした)での最初の遠出は、
学校の夏休みを利用して、実家のある静岡でした。

道も不確かなのに、勢いで出かけました。

池袋~明治通りで新宿~原宿~渋谷から246に乗り~瀬田に出て、
第3京浜から、茅ヶ崎に出て小田原へ、
箱根ターンパイク(オーバヒートで30分休憩)に乗り、
箱根~三島に下り、実家のある函南へ到着でした。

かかった時間は5時間で、もうクタクタでした。
でも、実家への道は覚えたので、次回からは速いと思います。