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遠景
凉森神社
林之元樋門 昭和2年1月竣工 施行 藤田組
美豆城跡
美豆城跡
戦国時代この地に美豆城があった。場所は凉森神社の西側に接し、広さは約100m四方と云われている。
古文書「春聞御記」に次のように記せられている。
応永廿五年十一月一日(1418年)『当国守護代、三方山城入道(範忠) 今日国に入部。・・・美豆に城郭を構え居住云々。』
又「足利季世記」にも 『三好三人衆ハ・・・・其勢一万余人、永禄十二己己正月三日(1569年)堺ヲ打立・・・・三日ハ山城ノミヅト云処ニ陣取。』と記せられている。明治時代には城郭四辺のうち南辺と、西辺の南半の堀が存在、北辺は細い水路として存在していた。大正時代には東側の堀が存続していた。築城は三方山城入道(範忠)であるかは不明。終末期の城主も不明である。 淀南地誌の会
昭和9年10月 建立
石鳥居は 享保5年(1720年)
境内には 石清水八幡宮 神領守護入之・
拝殿と本殿
忠魂
昭和52年1月 氏子中
文字が読めない
井戸手押しポンプ がありました
狛犬
由緒書き
凉森神社 由緒
社格は明治6年に村社として指定されており、祭神は白髭大神も神速須佐之男命、大国主命、事代主神、菅原道真朝臣である。由緒(縁起)として元禄年間火災に罹り、社記悉く焼失いるとあるようにこの宮の記録は無い。しかし時代の資料から、次のように言われている。
第18代仁徳天皇から高津の宮に都を移されたとき、この地に安在所(行宮、頓宮、御旅所)を造られた際、この近くに神社を造られたのが肇まりと言われている。
水律野神社(水律森)という。ここは樹木が繁茂し大変涼しかったという事で、凉森神社と言われるようになった。別名、夕凉宮とも云った。
又、菅原道真が九州へ流される時、この神社に立ち寄り、鈴を献上されたと云われたことから、「鈴ノ森神社」ともいわれる。
又、「凉宮」(石清水八幡宮)と云われたり、雀が多かったのか「雀宮」「スズメノ宮」(石清水八幡叢書)とも云われている。昔は桧皮葺きの立派な神社であったが、昭和36年度の第ニに室戸台風で損壊しね一時仮宮であったが今のコンクリートの建物になった。
大祭は10月23日である
宮司 奥村博記
凉森神社 総代会
本殿
遥拝所
摂社
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五七五
どの席もスマホと戯れる通勤車 /田村
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