土御門内裏跡 平成八年八月
土御門内裏は,鳥羽(1103~56)・崇徳(1119~64)・近衛(1139~55)三代の天皇が約24年間にわたって利用した方一町規模の里内裏。平安京大内裏を模して造営された最初の里内裏で,もと源師時(1077~1136)の土御門邸があった。たびたび火災などに遭遇したが,保元元(1156)年の再建が中止されて廃絶した。
土御門烏丸邸の沿革
平安京左京一条三坊九町にあたるこの地北は上長者町通、南は下長者町通、東は烏丸通、西は室町通は10世紀 村上天皇皇子具平(ともひら)親王の邸宅が造営され、12世紀に至って、曾孫源師時(もろとき)の邸宅・土御門第となった。白河院近臣の権勢者・藤原顕隆(あきたか)は
この地を買得して内裏を模した最初の里内裏を営み鳥羽天皇から崇徳・近衛と続く三代、24年もの間、天皇の御所だった。この里内裏も、保元元年(1156)の乱によって廃絶した。鎌倉・室町時代には清浄華院が移ってきたが、のち豊臣秀吉により寺町に移され、そのあとには黄金塗瓦葺きの大名屋敷が建ち並んだものの、これも秀吉の伏見城造営に際して伏見に移された。江戸時代の寛永12年(1636)になって水戸藩邸が営まれたが、幕末の文久4年(1864)烏丸通を挟んで東向かいにある蛤御門(禁門)で起こった戦火により全焼した。現存する水戸彰考館所蔵史料の多くはこの藩邸で蒐集されたものである。明治時代に入った後は転々と所有者が変わり、平成8年その一部が京都ガーデンパレスとなった。平成8年仲秋
財団法人 古代学協会・古代学研究所
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