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平安宮019  高陽院跡

2019年01月30日 15時59分40秒 | 平安宮

 

 

 

 

 

 

 

後一条天皇行幸の様子を描いた駒競行幸絵巻(重要文化財・和泉市久保惣記念美術館蔵)

 

『駒競行幸絵巻』に描かれた高陽院。関白の藤原頼通が自邸に甥の後一条天皇(正面に裾が見える)を迎えて催した際の宴の様子(万寿元年・1024)。右手に座っているのが東宮・敦良親王(後の後朱雀天皇)。簀子宴(すのこえん)には美しい模様の裾を高欄に懸けた公卿らが居並ぶ。池には奏楽を乗せた龍頭鷁首(りゅうとうげきす)が浮かび、当時の貴族の華麗な遊びがうかがえる。

 

 

高陽院(かやいん)の庭園

当所は、宇治の平等院鳳凰堂を建立したことで知られる摂関・藤原頼道が平安時代中頃(11世紀)に造営した邸宅、高陽院跡です。

高陽院の敷地は4町(250m四方)に及び、他の貴族の邸宅の4倍もある最大級のものでした。当時の高陽院は寝殿造の邸宅の四周に2つの池と四季の庭を配し、「駒競行幸絵巻」に万寿元年(1024)の後一条天皇行幸の様子が豪華絢爛に描かれ、池に船を浮かべています。また、後朱雀・後冷泉・後三条・白河天皇の里内裏(内裏以外での天皇の住まい)としても使用されました。昭和63年9月に石田大成社本社ビルの建設工事に先立ち、京都市埋蔵文化研究所が発掘調査を行い、庭園の一部が見つかりました。庭園は池を伴い、ゆるやかな曲線を描いた州浜があり、要所には景石が配され、絵図や文献でしかうかがえなかった貴重な遺構が発見されました。

発掘された景石を使って当ビル屋上に庭園の一部を復元、「この高陽院殿の有様、この世のことと見えず・・・」と『栄華物語』に記された華麗な様子を彷彿とさせています。平成23年5月5日

財団法人 京都市埋蔵文化財研究所  株式会社 石田大成社

 

 

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