ここは京都銀行本店 昔の画像です この建物 移転前の高島屋が営業していた店舗だった
京都銀行は、京都府北部の丹波・丹後地方に本拠地を置く4つの銀行
(両丹銀行、宮津銀行、丹後商工銀行、丹後産業銀行)の合併により、
昭和16年10月1日に福知山市を本店とする「丹和銀行」として創立しました。
それから約10年後の昭和26年1月1日に、「京都銀行」と改称、
昭和28年8月10日には本店を、ここ烏丸松原上る薬師前町に移し、
地域のみなさまとともに歩んでまいりました。
この地、薬師前町は因幡堂平等寺(通称因幡薬師)の門前町として
古くから多くの参拝者で賑わう町でした。
因幡堂のご本尊薬師如来は「日本三如来」のひとつに数えられ、
1003(長保5)年に祀られて以来、時の天皇から一般庶民に至るまで
多くの人々に信仰されてきました。
烏丸通は平安京の烏丸小路にあたる通りで、明治期には幅8mほどの狭い道でしたが
1912(明治45)年に京都駅から御所に至る「行幸道路」として拡幅され
市電が通り大正天皇・昭和天皇のご大典の行列が行われた
京都随一の格式のあるメインストリートとなりました。
この烏丸通の拡幅時に、高島屋は商店建築では
日本初といわれる鉄筋コンクリート造3階建ての新店舗を開店しました。
建築技法は当時としては最も信頼の置かれた耐震耐火構造でありながらも、
外観は土蔵造りとし、洋風建築とは異なる黒壁に屋根瓦の和風様式は京都の町並みに馴染み、
長く京都市民に親しまれました。
高島屋は1950(昭和25)年に四条河原町に移転し、
1953(昭和28)年からこの建物は京都銀行本店となりました。
その後、建て替えにより1966(昭和41)年8月に現在の京都銀行本店建物が完成しました。
高島屋飯田家は近江国高島郡の出身で、ここ烏丸松原上る薬師前町にて米穀商を営んでいました。
飯田家に婿入りした新七は、1831(天保2)年1月10日に
この地で本家と同じ「高島屋」を屋号として「古着木綿商」をおこしました。
これが現在の「高島屋」のはじまりです。
明治中期には大阪・東京へ出店し昭和5年に商号を「株式会社高島屋」とし
国内外へ店舗を拡大してまいりました。
現在の京都銀行 北側の通行口 4メートルほどの石畳が使われています