詩仙堂 入り口 付近
すごい 人出でした 11月28日
詩仙堂は江戸時代の儒者石川丈山が晩年を過ごした山荘である。曹洞宗の寺。建物は多少改造されているが、今なお往時の面影をとどめ、儒者の家らしい風格を備えている。建物は仏間と居間(詩仙堂)と屋上の嘯月楼からなり、居間には四方の長押上に丈山が題賛し、狩野探幽・尚信が描いた中国の詩人36人の詩仙の額を掲げている。
庭園は建物の南にあって、東に滝をつくり、前庭につつじの刈り込みを設け、一面に白砂を敷いて枯山水とし、青山と海洋の景趣をあらわしている。丈山は三河国(愛知県)の人。徳川家譜代の家臣であったが、大阪夏の陣に先陣の功を争って家康の怒りをうけた。このため禄を辞して京都に来往し、この地に隠棲すること30余年、寛文12年(1672)5月23日、90歳の高齢で亡くなった。丈山遺愛の品を多数有し、毎年5月23日には丈山忌がいとなまれる。
添水は丈山の考案といわれる。獅子脅しである。
丈山の没後、荒廃した時期もあったが、最近では昭和42年(1967)に至って現在の如く改修された。ダイアナ妃も訪れています。
今年の紅葉は あまり よくない
嘯月楼
洛北の眺望